14.双子の真珠
広い間取りと、一部の壁面に張られた大きな鏡。
運動に適した広さの部屋で、二人の少女が交互に柔軟運動をこなしていた。
シンプルな構造の運動着を着て、課されたメニューを一セットずつ消化していくが、その質は明らかな違いを見せていた。
片や足を伸ばした状態から腕を伸ばし、滑らかな動きで足先へと触れ。
片や伸ばした足先に届くどころか、曲がり切らない猫背にわたわたと腕を動かして、実らない努力を重ねていた。
「いつも思うんだけど、姉さまは猫みたいに体柔らかいよね。全身液体なの?」
「全身液体なのは
「ううぅー……。姉さま、いたい。背中ぐいぐい押さないでぇ……」
同じ顔の少女が二人。
姉と呼ばれた少女が柔軟に苦戦しているところで背中を押すと、妹は涙目になっていく。
だが姉の後押しも虚しく潰え、苦難の前屈から解放された妹は、背中を曲げたままコテンと横へ倒れ込んだ。
「もぅムリぃ……」
「ほら起きて、リラ。柔軟これで終わりだから。――ん? はい、どうぞ」
柔軟運動で力尽きた妹の回復を図る姉。
床と一体化する前に妹の体を起こす姉は、扉がノックされた事に気が付くと元気な声で反応を示す。
「失礼します。シルト様、リラ様。警護の人員が増えましたので、ご挨拶に参りました」
「あっ、シンクさん。こんにちは。昨日言っていた人たちですね」
扉を開けて入って来たのは、黒い軍服を着た赤い
シンクさんは二人と視線を合わせずに話を進め、姉も事情を理解しているのか気にせず室内へと迎い入れた。
シンクさんに続き部屋へ入るのは、
姉は彼らを見た途端に、目を丸くして声を上げた。
「あれっ!? コウくんにローエンさん。どうしてここに」
正確には僕たち――僕とローエンさんを見ての驚きだった。
「シルトさん? 要人の護衛とは聞きましたが、ローエンさんは知っていましたか?」
「いや。街で偶然出会ったシルト殿が、そのような身分とは思わなかった。シンク殿からも祭典に出る要人の護衛としか」
「済みません、お二人共。
女性恐怖症の
後ろにはよく似ているものの、明るいシルトさんとは対照的に、内気な雰囲気を漂わせる少女がいた。
シルトさんより色味の濃い青髪は長く、たれ目の瞳は青紫。
猫背のせいかシルトさんより僅かに背が低く、彼女の背中へ隠れる姿は、見知らぬ人が来た時の飼い猫そのものだ。
「初めて会う人もいるので、改めて! あたしの名前はシルト。こっちは妹のリラ。双子でアイドルやってます!!!」
はっきりと印象が別れている双子だけれど、弦楽器のように美しい声質と女性らしい体格は瓜二つだ。
「こん中で知らねえのアタシだけか。――ソフィアだ。オッサンの監視役でコウの後見人、シンクとは……何でもねえな」
「せめて知り合いにしてくれ」
「ソフィアさんですね、よろしくお願いします。シンクさん、ソフィアさんみたいにカッコいい系でも駄目ですか」
「女性って認識するとどうにも。コレでも症状は軽くなった方なんです」
女性が相手だと誰であれ目を背けてしまう。
それが軽いかと言われたら首を傾げてしまうが、僕はいま別の疑問が頭の中を占領していた。
「あの済みません。アイドルっていったい何ですか?」
「恥ずかしながら私にもご教授を。職業なのは理解できたが、どういった事をする仕事なんだ?」
同時に上がる二つの手。
僕とローエンさんの謎は同じもので、要人とされるからには相応の仕事を請け負っているのだろう。
だが言葉からは何をする仕事なのか判別がつかず、理解できている面々へ質問した。
「ああ、そういやコイツら田舎の出だから、都市の流行りなんざ知る訳ねぇか」
「そもそもアイドルを知らないから、あたしへの反応薄かったのか。仕方ない。ここはあたしが説明しましょう!」
「いえ。シルトさんだと要点が纏まらないかもしれないので、俺がします」
僕とローエンさんの疑問に答えたのは、二人の女性から逃げるようにこちらへ来たシンクさん。
女性と面と向かって話す事を長くはしたくないのか、前へ出る足はやたらと速かった。
「アイドルというのは、国内最大の商業組織――ムーンティアーズの新興事業です」
ムーンティアーズはその努力の結晶であり、国内流通を支える二大巨頭の片割れでもある。
「例としては見目も良く芸事に秀でた者が、祭りで演奏やダンスを行う。それを仕事として確立させたのがアイドルです。お二人の村には、祭事などでそのような方がいませんでしたか?」
「それなら分かる。栄えた都市ではそういった者を、"あいどる"と言うのか」
「ならシルトさんたちは、祭典の時に踊りとかを披露する。そういう認識で合っていますか?」
「その認識で充分です」
簡潔だがシンクさんの説明に、僕たちは合点がいった。
祭事を盛り上げる楽器の奏者や踊り子は、男女問わず人気を集めやすく、同時に悪意ある者からも注目がいく。
また国営組織に属する以上、シルトさんとその妹リラさんも要人には間違いないし、大手を上げて危険が考慮される事から、その人気の程も
知り合いがそんな立場の人物だと驚きつつ、時折向けられる不可解な視線に僕は再び首を傾げた。
「えっと……。リラさん、で良いんですよね。僕に何か用でしょうか」
「……最近姉さまの話に出てくるの。貴方で合ってますか」
「ん、そうだよリラ。この子がコウくん。歳はあたしたちの三つ下で、
「いえ、練習には間違いなくなっていたので大丈夫です」
シルトさんから三時間も妹さんの話を聞いていた件で謝罪を受けるが、それ以上に
シルトさんが僕の名前を呼ぶたびに睨まれている気がするし、リラさんの名前が上がると逆に嬉しそうに頬を染める。
彼女がリラさんの頭を撫でると目を細め、他人が苦手なのかずっと姉の背中に張り付いてる姿は、猫という印象が前に出る。
「シルトさんから聞いていると思いますが、僕の名前はコウ。よろしくお願いします、リラさん」
「……よろしく、お願いします」
シルトさんの話からどういった印象を持たれているのか分からないが、会話自体は成立するので、僕は安堵の念を覚える。
嫌われている。
僕を見る目はそんな負の感情ではなく、また別の何か。
恐らく姉から聞いた話と、今の僕の印象のズレを一つ一つ擦り合わせているのだろう。
「……姉さまの話とだいぶ違う。もっと暗い子だと思ってた」
「いや違うんだってコウくん。キミ、最近までずっとそんな感じだったからさ。変に話を盛ったりとかしてないからね!?」
「落ち込んでいたのは事実なので気にしてません。それよりも、僕にだけ他の方とは違う視線を向けられている事が気になります」
「……だって。貴方の話をしている姉さま、なんか楽しそうだから」
シルトさんが楽しそうにしている事の、どこが問題があるのだろうか。
リラさんと話していたのは、例えば
恨めしそうに僕を見つめるリラさんを止めたのは、またしてもシルトさんだった。
「またそんなこと言って。あたしはコウくんの所にはいかないよ。あたしにとっての一番はリラなんだから」
「……本当に?」
「本当。んーそうだね。――ねえコウくん。キミ、あたしと恋人になるイメージ出来る?」
話の流れが分からないが、シルトさんから振られた話題が、リラさんの印象改善に繋がると信じて考えてみる。
具体的な想像は出来ないが、恋人と言われて頭に浮かんでくるのはネフィーさんの姿ばかり。
胸の内で小さくなっていた灯火が一瞬、大きくなった所を拳を握りしめて勢いを削ぐ。
「いえ、想像できないですね」
「ハッキリ言われると、それはそれで複雑だけど。まあそうね、あたしも同じ。コウくんはただの男友達。だからむくれてないで、リラも仲良くしよ!」
「……じゃあ姉さま。そこで今度やるパフォーマンス、ちょっとやってみて」
「んえ? 別にいいけどコウくんたちからすると、そんなウケるものでもないよ」
そう言って、広い室内の中央へ歩いていくシルトさん。
自然と別の話をしていたローエンさんとソフィアさん、そしてシンクさんの視線も彼女へと集まっていく。
一転、二転。
歩行に混ざる回転は軽やかで、継ぎ目が極力消された動き。
ただ回転しているだけなのに、模倣が難しいと感じさせる動きは、突然流れが絶たれてしまう。
中央へ辿り着いたと同時に、足を滑らせて転んでしまうシルトさん。
慌てて受け止めようと僕たちは動きかけるも、リラさんとシンクさんだけはその先を知っているのか、微動だにしない。
その様子を見て
シルトさんは転んだ姿勢のまま縦に一回転し、
「どう! 姉さま凄いでしょう!」
リラさんの嬉々とした声が響く。
シルトさんの動きは芸術的と表現しても過言ではなく、僕やローエンさんでも安易に真似をする事が不可能な領域。
凄いと言う言葉だけじゃ不足だと悩んでいると、リラさんは勢いよく眼前にまで迫ってきて、期待に満ちた表情を鼻先で見せてくる。
そんな顔を見て、何を迷っているのだろうと、僕は沸き上がる言葉を告げていく。
まとまっておらず、
それを聞いたリラさんは、今日一番の笑顔を見せてくれるのだった。
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