13.少年のいない間に

 集合住宅の一室。

 リビングは窓から差し込むの光に照らされ、ローエンさんはテーブルにティーカップを三つ並べていく。


 少し値の張る白磁器のティーカップに注がれているのは、茶葉をせんじた湯気立つ飲み物。

 お茶請けとして置かれるのは、少量の砂糖をまぶしたシンプルな焼き菓子。


 準備を終えたローエンさんが席に座り、既に着席していたソフィアさんは、隣で退屈そうに外を眺めている。


 長くも短い静寂せいじゃく

 それを打ち破ったのは、ローエンさんでもソフィアさんでもなく。

 彼らの正面に座る三人目。


「話しを始める前に、まずは持て成しに感謝を。有り難うございます、ローエンさん」

「いえ。この身に慈悲を下さっている龍族ルビーの客人となれば、失礼な真似は出来ませんから」

「組織の一員として、その心遣いは頂いておきます。ですが今回、俺は立場を置いて貴方にお願いする側。気遣いは無用です」


 粛々しゅくしゅくと自身の立場を低くするローエンさんに、ふっと柔和な笑顔を向けるのは、黒い軍服を着た青年。

 無駄な筋肉の無いすらりとした体型は、高身長と合わさって恵まれている事が一目でわかる。


 黒に程なく近い赤い瞳はりんとしていて、映える赤髪は共に芳醇ほうじゅんなワインの如く視線を引き付ける。


「そういえば名乗っていませんでしたね。――紅玉こうぎょく騎士団第一部隊の末席に身を置く、新玖シンク・グラッドナイツです。どうかシンクとお呼びください」

「よろしく、シンク殿。……こう言っては何だが、一生の内に龍族ルビーと話すことが出来るとは。思ってもみなかった」

「治安警備も行っている龍族おれたちは、まだ会いやすい方ですよ。天使クリスタルなんか、巷だと一生分の幸運を使わないと会えない。そんな事を言われているぐらいですから」


 静寂から一変して、和やかな雰囲気で話を進めていくローエンさんとシンクさん。

 そこへソフィアさんは、出されたお茶に角砂糖を入れながら割って入る。


「んな話は余所でやれ。ここには仕事の話をしに来たんだろ、シンク」

「そう急がせなくてもするさ。ソフィア、君のそのすぐ本題に入ろうとするとこだけは、昔から変わらないね」

「うっせえよ。オマエも女相手に目すら合わせらんねえの、変わんねえじゃねえか」

「……ソフィア殿とシンク殿は、昔からのお知り合いで?」


 それまでの礼儀を弁えたシンクさんの言葉は、ソフィアさんを相手取ると無遠慮な物言いに変わっていく。

 二人の関係が見えず質問をするローエンさんに、シンクさんは困ったように受け答えする。


「はい。十年以上前から彼女の家絡みで少し。ソフィアがうるさいので本題に入りますが、実は今回の依頼……私情を交えての物なのです」

「自慢だけなら帰れよ」

「私情だけならここまで来ない! ……失礼。今俺はこの都市で近々ある、祭典の要人を警護する任を受けているのですが、その手伝いをして頂きたいのです」


 途中ソフィアさんの茶化しが入るも、ローエンさんが静かに頷き話が続く。


「報酬は俺と同じ、正規雇用された人員と同価の賃金。数人程度なら知り合いを連れても構いません。紅玉こうぎょく騎士団からの正式依頼には変わりないので、ローエンさんには拒否権が無いも同然なのは申し訳ない」

「いや、問題ない。思ったよりは平和な内容で安心した所だ。……しかしただの人員不足の解消に聞こえたが、とても私情が挟まっているとは到底思えない」


 ローエンさんが告げるのは当然の疑問。

 栄えた都市で行われる祭典で、人員不足が発生するのは言うまでもなく必定。


 ここで発生するシンクさん自身の都合は、ローエンさんの想定を遥かに超えたものだった。


「その実は……。俺、女性恐怖症で。警護対象が二人の少女なんです」

「――……あ、ああ。成る程そうか。分かった、依頼を受けよう。人員不足で交代要員がいないんだな」

龍族ルビーの奴らが、んな配置ミスすっかな。まあオッサンがやるってんなら、別にいいけど」


 親しげに話す割には、ソフィアさんと一度も合わない視線。

 少女二人の相手をすることを、私情の問題として提起したこと。

 人員不足よりも先に、自身の手伝いをして欲しいと述べたこと。


 これらを加味し、深くは聞かずにシンクさんの女性恐怖症が事実であることを、ローエンさんは少し遅れて理解した。


「有り難うございます、ローエンさん。細かな日程は後ほど伝達させていただきます。本題としてはこれで終わりですが、二人にそれぞれ別件が」

「あん? アタシにも?」


 何事かと眉をひそめるローエンさんとソフィアさん。

 朗らかに広げられていた場の空気は、途端に引き締まり、温度を落としていく。


「まずはローエンさん。貴方と契約を交わした悪魔アメジストの行方ですが、未だ不明のまま。娘さんの安否も確認できていないです」

「そうか……」

「騎士団としては早期発見に至らない無力を詫びると同時に、貴方には警告を発せなければいけません」

「もし娘が無事でなければ、自暴自棄になって国を脅かすかもしれないか。安心して欲しい、シンク殿。今後どうであれ、この身は奴を斬る事しか考えていない」


 娘を、ローナさんを連れ去った悪魔スクリュードは、何があっても一刀の下に断じる。

 仮にローナさんの命が失われていたとしたら、その憎しみは復讐ふくしゅうまきとして、一層の憎悪を燃やすのみ。


 それが少年と剣を、言葉を交わしたローエンさんが見つけた新たな道。


 残る命を全て娘に捧げる。

 今までと変わらない様に見える姿勢だが、その指向性は諦観のそれではない。


「忠告は肝に銘じておく。その上でスクリュードの動向を一つでも掴んだら、最優先で私に教えて欲しい」

「承知しています。――次ソフィアだけど、ペルセ﹅﹅﹅の尻尾は今回も掴めなかった。騎士団も注目している奴だから、明らかな釣りな情報も虱潰しらみつぶししてるけど、どれも外れ」

「使えねえ奴らだな」

「耳が痛いよ。……さて、話はこれで終わりです。俺は他の仕事が残っているので、これで失礼します」


 伝えるべき情報を話し終えたシンクは、出された焼き菓子を一つ二つと口に放り込み、お茶で胃へと一気に流し込む。


「ああ、見送りとかは気にしないで下さい。お菓子とお茶、美味しかったです」


 シンクさんは颯爽さっそうと室内から去っていく。

 残されたローエンさんはお茶を一口含むと、余った焼き菓子を一人食べ続けるソフィアさんに体を向ける。


「コウ殿が帰ってきたら依頼の内容を伝えないとな」

「そのコウだが、今のアンタはどう思ってんだ。娘が死んでたら、マジでアイツを恨まないって言えんのか」

「………………無理だ。きっと恨む。だがコウ殿がいなければ今の道すら歩めていない。だから決めた」


 ローエンさんがティーカップの中を見つめ、ブラウンの水面に映るのは記憶の影。


 はかなげな白銀の背中は薄れ、次に移るのは灰色の血気盛んな少女の背中。

 それと重なる様に見えるのは、何もかも失った黒の少年。


「スクリュードを倒してから考える。どうしてだろうな。私の中でのコウ殿の立ち位置が、自分自身でも分からないんだ」

「ふーん。オッサンも悩んでる感じか。どいつもこいつもハッキリしねぇ奴らだ」

「そういうソフィア殿はどうなのだ。先程の話からすると、誰かを探しているのか?」


 要約するとペルセは見つからなかった。

 そう捉えられる内容に、ローエンさんは興味を持つ。


 二カ月前の事件から行動する事が多くなった三人の内、もっとも目的が見えないのがソフィアさん。


 何のために、何をしていて、何を成し遂げたいのか。

 その一端が垣間見える。


「ああ。あのクソ女を探し出して、そっからはアンタと同じだよオッサン」


 ソフィアさんは行儀悪く両足をテーブルの上に乗せ、ひと自嘲じちょうしながら焼き菓子を噛み砕く。


 赤く、赤く。

 血のようにあかくなる右眼は、見えない影を想起した。


「復讐だ」


 単純明快な行動原理。

 聞いたローエンさんは否定も肯定もせず、湧いた感情を押し戻すようにティーカップを傾けた。

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