12.光さす水の少女

 昼食を終えて集合住宅から出た僕は、変わらない陽光の下を歩きだす。

 心に霧がかかったまま、進んでいくのは未だに見慣れない街並み。

 大通りに出れば故郷を超える数の人が溢れ、見た事も無い物品が安価で売り買いされている。


 ここ水の都市シーパルは、枝分かれした運河に沿って建てられた、大規模な商業都市。

 海に繋がる河、豊富な水と広い大地、そして寄り集まった技術。


 それらを見た僕が思うのは、目を細めてしまいそうになる眩しさ。

 ネフィーさんたちとこんな光景を見たかった、そんな思いが徐々に心を焦がしていく。


「これから僕は、どうすればいいんでしょう」


 空に呟いたところで返事は無く。

 気持ちは晴れぬまま、重い足を引きずり約束の場所に向かっていく。


 五分ほど歩いて辿り着いたのは、自分よりも年下の子供が集まる小さな広間。

 駆け回る子供たちの種族はまとまりがなく、かと言って険悪な雰囲気を漂わせることなく嬉々としている。


 人間アゲート獣人マラカイト森人ジェイド機鋼種トルマリン

 村では名前しか聞いたことのない種族も、この都市では当たり前のように暮らしていた。


「……ん?」


 広間の隅に置かれたベンチに座り、約束を交わした相手を待っていると、ふと後ろ髪を引っ張られる感覚が走る。

 つられて辺りを見渡すと、僕と似た感じに誰かを探す少女がいた。


 淡い青色の短髪と赤紫の瞳。

 僕より少し年上で、帽子を被りボーイッシュな格好は活発さに満ちている。

 女性的な体型を考えなければ、雰囲気はまさに少年そのものだ。


 そんな彼女は僕の姿を見つけると、すぐさま駆け寄って来た。


「いたいた、コウくん! どうだった? あたしの定型魔法スキル、うまくいってた?」

定型魔法スキル自体は上手くいっていたと思いますが……。今のであまり変わらないかと」

「――……あー、あははは。ゴメンねーみんな。気にしないでー」


 彼女から発せられる、透き通った弦楽器のような明るい声。

 それは呼びかけた僕だけではなく、広間にいた子供たちの注目も集めていた。


 大声を上げたから何だと振り向いた訳では無く、耳を打った声に惹かれて目を向けてしまった。


 魅惑みわく声質せいしつ――それが彼女の種族としての特徴だ。


水霊パールの声はやっぱり凄いですね。僕も初めて聞いた時は驚きました」

「その割には反応薄かったよね。職業柄、それすんごく悔しかったんだけど」

「済みません。あの時はあまりに綺麗きれいな声だったので、どう反応すればいいか分からなかったんです」

「ん、そっか。――ってあれ? コウくん、定型魔法スキル使ってる? なんかやたらとハッキリ見えるんだけど」

「まだ使ってないです。そういう気分では無かったので」


 運び込まれたシーパルの病院から、退院して三週間。

 ローエンさんに勧められて、体調を戻しながら定型魔法スキルの訓練を少しずつやって来た。


 二カ月前の戦いでローエンさんに指摘された、霧散蒼影刃ムサンソウエイジンの不自由さ。

 味方に大きな影響を与える力を、どうすれば指定の相手にのみ効果を及ぼせるのか。


 ローエンさんと頭を悩ませながら日々を過ごしていたところで、彼女と出会ったのだ。


 強大な力を持った十二の種族。

 彼女シルトさんは、その内の一つの水霊パールだ。


「うん? また何かあったの?」

「またというより、ずっと考えていたんです。僕は本当にこうして生きていくのが正しいのか。胸を張れる生き方を出来ているのかなって」


 ギヤマさんへの復讐ふくしゅうも、ローエンさんとの殺し合いを妨げたのも、誰かを助ける生き方をしようと決めたのも。


 どれもその時の僕が、素直に納得できる選択したのだ。

 その場の衝動で選んだことは否定できないし、あの時こうすれば良かったのかなって、今こうして後悔が蜷局とぐろを巻いている。


「コウくんが今、ここにいることが正しいのか。……うん。あたしには難しくて分かんない。だけど正しいって言えるよう、今はあたしと定型魔法スキルの練習、頑張ろう?」


 溌溂はつらつとしたシルトさんの笑みが、鬱々うつうつとした心に染み渡る。

 この気分は彼女の定型魔法スキルによるものと理解しているが、伸ばされた糸の先は、引き寄せたくなるほどまばゆい光だった。


「コウくんが頑張って、それを見た人たちが笑えたのなら。それはきっと、胸を張れることだよ」

「……それなら良いですね」


 立ち上がり、シルトさんのすらりとした指先が、僕の前に差し出される。

 つたなく笑う僕は、心の霧が晴れぬまま彼女の手を取った。


 シルトさんの考えは素敵だし、そうやって生きたいと頷ける。

 なのに疑問を持つ僕の心は、どうすれば納得するのだろう。


「まずは一つずつやっていこう! 初めて会った時に言ってたよね。人を助ける騎士に憧れてたって。なら手始めに――」


 漫然まんぜんとしているところで腕を引かれ、シルトさんの動きにつられて僕の体が回っていく。

 全身に力を込めて抵抗すると回転はすぐに止み、口をぽかんとしているところへ、シルトさんは言葉を続けた。


「助けてよ、騎士さま。妹の前で一番な姉でいたい、あたしを」

「ズルいですよ、シルトさん。そう言われたらやるしか無いじゃないですか」


 心が晴れないのなら、そのままでいい。

 誰かを助けるって決めたんだ。

 正しいと信じたい道があるのなら、一歩を踏み出す為にくさびを打とう。


 ギヤマさんの時も、ローエンさんの時も。

 そうして来たんだ。


「それでどうする? 乗り気じゃないなら、今日はこのまま解散でも良いけど」

「大丈夫です。吹っ切れてはいないですが、やる気は出ました」


 とにかく出来る事をやっていく。


 僕とシルトさんの目的は同じ、定型魔法スキルの細かな操作。

 無差別だった力を制御し、一人一人に絞っていく。


 幸いにも目的が一致し、お互いに力を使って他の誰にも影響が無かったら成功だ。


「じゃあさっそく、やっていこうか。……あっ」


 陽光みたいな笑顔で気合を入れるシルトさん。

 そんな彼女の後ろで、黒い猫が意気揚々と歩いていくのを見かけると、強い風が僕たちの間を吹き抜ける。


 シルトさんの髪を吹き上げ、抑える暇も無く飛ばされる帽子。

 僕も反応することが出来ず、風にさらわれる帽子を見届けるのみ。


 けれどそれを絶好のチャンスとばかりに、僕は定型魔法スキルを発動する。


 体から蒼い霧を放つ霧散蒼影刃ムサンソウエイジン

 騙すのはシルトさんの認識と、僕の体そのもの。


 負担と効果のバランスを取り、人間アゲートの体でも耐えきれる力を身に宿す。

 普段と違いゆっくりと流れる世界の中、向上した脚力で地面を蹴り、飛ばされる帽子を掴み取る。


 風が吹いたのに驚き、目を伏せるシルトさんの頭へ帽子を被せ直すと、僕は定型魔法スキルを解除する。


「って、あれ!? 今、あたしの帽子飛ばされて……。で、なんでコウくん汗かいているの!? もしかしてコウくん定型魔法スキル使った?」

「は、はい。たぶんシルトさんだけに効果が出てる筈です」


 目をまん丸とさせているシルトさんを置いて、僕は成功したかを周りの子供たちを見て判断する。


 結果は一目瞭然。

 シルトさんが大声を上げた時以上に、子供たちの視線が集まり、それどころか広間の外の視線も感じる。


「僕の方も上手くいったみたいですね。――って、どうしました? シルトさん」

「うん、ちょっとね。コウくんの技装それってさ、元は誰かの定型魔法スキルなんだよね。ならあたしの定型魔法スキルも真似できない?」

「えっまあ、出来るとは思いますが」

「ならこれも練習! あたしの定型魔法スキル真似して、使い勝手とか教えてよ。絶対参考になる」


 ぐいぐいと迫ってくるシルトさんは、定型魔法スキルも併用しているのか、如何いかに本気で言っているのかが嫌でも分かる。

 彼女の力の全貌ぜんぼうは教わっているが、それを今の僕が使うのはあまりにも抵抗があった。


 模倣し使えばきっと、彼女に空元気なのが伝わってしまう。

 だから僕は、模倣に必要な条件を理由に大きく否定した。


「僕の定型魔法スキルは、完全に真似をするなんて出来ません。だから参考になるかは怪しいです」

「ならより精度を上げる方法とかは? その辺り分かるの?」

「た、たぶん相手を深く知れば、いけるんじゃ……ない、でしょう……か……」


 この言葉を口にした事を、僕は後々深く後悔した。

 ローエンさんたちが待つ集合住宅へ戻れたのは、シルトさんが語り始めて三時間後。


 解放された僕が、試しにシルトさんの定型魔法スキルを模倣してみたが、結果はかんばしくなかった。

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