9.碧の選択
僕を包み隠す蒼の霧。
それは
脳からの情報を、傷口からの痛みを、心臓から伝わる鼓動も。
僕の思いを費やして、悲鳴を上げる肉体に偽りの事実を刷り込んでいく。
引き起こされるのは、
――よって、僕の世界は一変した。
「ッ……! コウ殿。そんな
「立ち塞がる? そんなつもりは毛頭ない!」
霧が濃くなったことで、認識の
それを
槍に転じた事による、倍に伸びた間合い。
驚いたのが成り行きで背中を預けた、ソフィアさんの対応力。
彼女の眼は余程良いのか、瞬時の槍の切り替えに戸惑うことなく、大振りの隙を無くしてくれる。
「そう思えないほど、今の君は厄介なんだ」
偶然にもジョージ先輩と僕のような連携になったのを、懐かしむ間もなくローエンさんは次の手立てへと移行した。
一定の距離を保っていた彼が初めて距離を詰め、僕同様に多少の傷を許容してまでも、槍の間合いを超えて迫り寄る。
槍を分解し、再び剣と
攻防の転換。
攻性にのみ振られていた技量が防御にも割り振られ、予備動作の無い攻撃が、相手の動きを封じることにのみ注力される。
攻撃は最大の防御と言える技は、一手ごとに丁寧に、僕の動きを制限した。
「思った通り。君の
「それがどうした。……ソフィアさん! 構わずに撃って」
「チッ! この野郎。気遣い無用なら初めから言いやがれェ!」
扱いなれない霧による認識の操作は、確かにソフィアさんにも効いてしまっている。
だがそれを承知の上で、僕に中る前提の提案を叫ぶ。
結果。
後方から聞こえる炸裂音の内、何発かが中り、体に熱を与えてくるが、奥歯を噛みしめて痛くないと説き伏せる。
「こんな形で
「それが……その考え方が、俺は納得できないんだよ」
「納得!? 何の!!!」
「嫌な事をそれしか無いと諦めて、無心で実行して。そんな生き様で胸を張れるのかよ、ローエンさん!」
放たれる弾丸を弾きつつ、ローエンさんは僕から距離を取る。
全身の刀傷にいくつかの銃創。
普通なら致命傷を越した瀕死の重体を、
「俺は無理だ。どんなに馬鹿だと言われても、それが正しいんだって頷けなきゃ……」
想起される過去の自分に、尽きぬ
今のローエンさんが、娘さんの為に凶器を振りかざすしか無いのは理解できてる。
だから僕は否定したいんだ。
もしもネフィーさんが生きていたら、彼と同じ事しか出来ないのだと、暗に告げられているようで。
「来なよ、ローエンさん。貴方は正しいと思う道を選んだんだろ。だったら手を抜くなよ」
「正しい、か。私には立ち塞がっているように見えるが、それを君は否という。なら全力を促す君の言葉は、何を意味する」
「貴方が娘さんを助け出す。その為の新しい一歩目だ」
言葉の意味を理解できず
少年は
どれだけ距離が離れていようとも、結ばれた契約により常に監視に置かれている。
二人を殺す。
それを成せば契約は続行され、
そして自害を成せば、永久に娘との再会は叶わぬ夢となる。
「私は――」
「オッサン。事情は知ったこっちゃねえが、アタシから言えんのは一つだけだ。――アンタの娘の命ってのは、迷う程度のものなんだな」
ソフィアさんの龍の瞳がローエンさんを射抜く。
明け透けにされた人狼の心は、今まで何をしていたのだと純度を上げていく。
「……そうだな。他の全てを諦めても、ローナを諦めなかった私が何をしている。ローナと比べれば、君たち二人の命など後ろの焼かれた者たちと変わりない」
刀を構え直し、零れていた
きっと次に来るのは本気の一撃。
僕にはもう素のままで避ける策は無く、ソフィアさんも取れる手は少ない筈。
だからこそ、彼女が僕の背中を押す理由が分からない。
「先に言っとく。話に乗ったのは、今のオマエが知ってる背中と被ったからだ」
「そうですよね。でも有り難うございます。たったそれだけの理由で、僕を信じてくれて」
ソフィアさんに振り返り、彼女とその人へ心からの感謝が、笑みと共に零れ落ちる。
向き直り対峙するのは、
深々と大地に芽生える雪結晶は、積み重なって花を象っていく。
僕がこれまで見てきたのは、
それが
けれど僕が視るのは彼の使う
優れた剣技と野盗の性質。
二つの要素が絡み合ったギヤマさんの力に似ているのなら、ローエンさんから模倣すべき事はもう決まっている。
「大切な人への想いなら、負ける気はないよ。ローエンさん」
蒼い火花と
霧と結晶の衝突は降り注ぐ雨を飲み込み、音を置いて一撃が放たれた。
「――
「――
音速を超えた横薙ぎの一閃。
霧を裂き、濡れた大地を雪とする
静かに息絶えた僕たちを認めるローエンさんは、手にした刀を取りこぼし、熱く焼ける胸を押さえつける。
「これがコウ殿の選んだ道……? 馬鹿、な。どうして……」
彼の心臓を撃ち抜いたのは、刹那に放たれたソフィアさんの銃弾。
無念と倒れ呆気なく終わりを示した僕の選択に、ローエンさんは疑問を抱きながら意識を途絶えさせる。
大地を変えた雪が融け、場に残ったのは蒼く暗い濃霧と降り止まない雨だけ。
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