9.碧の選択

 僕を包み隠す蒼の霧。

 それは皮膚ひふを通り抜けて、神経にすら干渉していく。


 脳からの情報を、傷口からの痛みを、心臓から伝わる鼓動も。

 僕の思いを費やして、悲鳴を上げる肉体に偽りの事実を刷り込んでいく。


 引き起こされるのは、人間アゲートの限界を超えた身体機能の獲得。

 獣人マラカイトであるローエンさんとの差を埋める為、脳が自動的に掛ける制限すら、僕はそういう存在なんだと騙しとおす。


 ――よって、僕の世界は一変した。


「ッ……! コウ殿。そんな定型魔法スキルを使ってまで、私の前に立ち塞がるか」

「立ち塞がる? そんなつもりは毛頭ない!」


 霧が濃くなったことで、認識の齟齬そごが強くなったのか、放たれる斬撃に迷いが生まれ速度が落ちる。

 それを我武者羅がむしゃらに弾き、距離を一気に詰める僕は、すかさず剣の柄尻に鋼棒こうぼうを組み合わせ、戦法の根底を覆す。


 槍に転じた事による、倍に伸びた間合い。

 射程拡張ムサンソウエイジン斬撃複製チカイサンサジンは変わらず、刺突を中心に一歩引いた戦い方で、ローエンさんの動きを崩していく。


 驚いたのが成り行きで背中を預けた、ソフィアさんの対応力。

 彼女の眼は余程良いのか、瞬時の槍の切り替えに戸惑うことなく、大振りの隙を無くしてくれる。


「そう思えないほど、今の君は厄介なんだ」


 偶然にもジョージ先輩と僕のような連携になったのを、懐かしむ間もなくローエンさんは次の手立てへと移行した。


 一定の距離を保っていた彼が初めて距離を詰め、僕同様に多少の傷を許容してまでも、槍の間合いを超えて迫り寄る。

 槍を分解し、再び剣と鋼棒こうぼうに切り替えようとしたその時、彼の成す技の真意を僕は理解した。


 攻防の転換。

 攻性にのみ振られていた技量が防御にも割り振られ、予備動作の無い攻撃が、相手の動きを封じることにのみ注力される。

 攻撃は最大の防御と言える技は、一手ごとに丁寧に、僕の動きを制限した。


「思った通り。君の定型魔法スキルはまだまだ未完成。この霧、味方にも有効だな」

「それがどうした。……ソフィアさん! 構わずに撃って」

「チッ! この野郎。気遣い無用なら初めから言いやがれェ!」


 扱いなれない霧による認識の操作は、確かにソフィアさんにも効いてしまっている。

 だがそれを承知の上で、僕に中る前提の提案を叫ぶ。


 結果。

 後方から聞こえる炸裂音の内、何発かが中り、体に熱を与えてくるが、奥歯を噛みしめて痛くないと説き伏せる。


「こんな形で藤花フジバナに対抗するとは。これの何処が立ち塞がっていないと言うのか!」

「それが……その考え方が、俺は納得できないんだよ」

「納得!? 何の!!!」

「嫌な事をそれしか無いと諦めて、無心で実行して。そんな生き様で胸を張れるのかよ、ローエンさん!」


 放たれる弾丸を弾きつつ、ローエンさんは僕から距離を取る。


 全身の刀傷にいくつかの銃創。

 普通なら致命傷を越した瀕死の重体を、定型魔法スキルで騙しに騙して槍を構える。


「俺は無理だ。どんなに馬鹿だと言われても、それが正しいんだって頷けなきゃ……」


 想起される過去の自分に、尽きぬ憤怒ふんどが左眼から蒼い火花となって飛び散る。


 今のローエンさんが、娘さんの為に凶器を振りかざすしか無いのは理解できてる。


 だから僕は否定したいんだ。

 もしもネフィーさんが生きていたら、彼と同じ事しか出来ないのだと、暗に告げられているようで。


「来なよ、ローエンさん。貴方は正しいと思う道を選んだんだろ。だったら手を抜くなよ」

「正しい、か。私には立ち塞がっているように見えるが、それを君は否という。なら全力を促す君の言葉は、何を意味する」

「貴方が娘さんを助け出す。その為の新しい一歩目だ」


 言葉の意味を理解できず愕然がくぜんとし、そして次には馬鹿な話だと、彼はため息を漏らす。


 少年は悪魔アメジストを知らぬから、そんな世迷言を抜かすのだろう。

 どれだけ距離が離れていようとも、結ばれた契約により常に監視に置かれている。


 二人を殺す。

 それを成せば契約は続行され、傀儡かいらいままだが、娘の身の安全は保障される。

 そして自害を成せば、永久に娘との再会は叶わぬ夢となる。


「私は――」

「オッサン。事情は知ったこっちゃねえが、アタシから言えんのは一つだけだ。――アンタの娘の命ってのは、迷う程度のものなんだな」


 ソフィアさんの龍の瞳がローエンさんを射抜く。

 明け透けにされた人狼の心は、今まで何をしていたのだと純度を上げていく。


「……そうだな。他の全てを諦めても、ローナを諦めなかった私が何をしている。ローナと比べれば、君たち二人の命など後ろの焼かれた者たちと変わりない」


 刀を構え直し、零れていた深碧しんぺきの雪結晶が数を増す。


 きっと次に来るのは本気の一撃。

 僕にはもう素のままで避ける策は無く、ソフィアさんも取れる手は少ない筈。


 だからこそ、彼女が僕の背中を押す理由が分からない。


「先に言っとく。話に乗ったのは、今のオマエが知ってる背中と被ったからだ」

「そうですよね。でも有り難うございます。たったそれだけの理由で、僕を信じてくれて」


 ソフィアさんに振り返り、彼女とその人へ心からの感謝が、笑みと共に零れ落ちる。


 向き直り対峙するのは、深碧しんぺきの一刀を構えた黒き人狼。

 深々と大地に芽生える雪結晶は、積み重なって花を象っていく。


 僕がこれまで見てきたのは、無花果イチジク藤花フジバナと続く剣技の定型魔法スキル

 それが狼王六華ロウオウリッカと呼ばれる力の全貌である筈もなく、剣術の型と考えれば二種で収まる訳もない。


 けれど僕が視るのは彼の使う定型魔法スキルの根幹。


 優れた剣技と野盗の性質。

 二つの要素が絡み合ったギヤマさんの力に似ているのなら、ローエンさんから模倣すべき事はもう決まっている。


「大切な人への想いなら、負ける気はないよ。ローエンさん」


 蒼い火花と深碧しんぺきの雪結晶が左眼から弾ける。

 霧と結晶の衝突は降り注ぐ雨を飲み込み、音を置いて一撃が放たれた。


「――狼王六華ロウオウリッカヨモギ

「――技装ギソウ蒼焔軟鋼路ソウエンナンコウロ


 音速を超えた横薙ぎの一閃。

 霧を裂き、濡れた大地を雪とする剣閃けんせんは、寸分違わず僕とソフィアさんの胴を跳ね飛ばした。


 静かに息絶えた僕たちを認めるローエンさんは、手にした刀を取りこぼし、熱く焼ける胸を押さえつける。


「これがコウ殿の選んだ道……? 馬鹿、な。どうして……」


 彼の心臓を撃ち抜いたのは、刹那に放たれたソフィアさんの銃弾。

 無念と倒れ呆気なく終わりを示した僕の選択に、ローエンさんは疑問を抱きながら意識を途絶えさせる。


 大地を変えた雪が融け、場に残ったのは蒼く暗い濃霧と降り止まない雨だけ。

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