8.傀儡の狼

 黄金の光が放たれ、僕の体は吹き荒れる爆風により遠方へ弾かれる。

 地面へ何度も衝突し、放り上げられた僕が転がり着いたのは、抜き身の刀を構えるローエンさんの足元。


 左眼から深碧しんぺきの雪結晶を零す彼は、対峙する女性からは目を離さず、黄金の焔に焼かれた馬車に言葉を投げた。


「いったいこれは、どういう了見なんだ。スクリュード殿」

「どうもこうも無いですよ。天使クリスタルどころか龍族ルビーにも目を付けられたんです。潮時って奴ですよ」

「そうじゃない。何故後ろの彼らまで巻き込んだと聞いているんだ!」


 僕たちの位置から見ても、黄金の焔は後方一帯を隈なく包み込み、生者の可能性は絶たれていた。

 残っているのは光を放った張本人だけ。


 黄金に煌めく炎を背に、ローエンさんの声を聞き届ける影は、腹を抱えて笑っていた。


「何言ってるんですか。ウチと貴方の契約はただの一つ。――娘さんの命と引き換えに傀儡かいらいになる事。後ろの売れ残りは契約外だ」


 口を紡ぐ人狼を影は笑う。

 子供のように無邪気に、悪意が煮詰められた釜口を釣り上げて。


「さて人間アゲートのお二方。お初にお目にかかりますが、覚えなくて良いですよ」


 黄金の焔によって、御者の着ていた合羽かっぱが焼け落ちる。

 中から現れたのは、賑わう都市部で流行っている黒スーツを着た、姿勢の悪い男性。


 整いきっていない紫の頭髪。

 目の周りには隈を作り、顔の赤みと胡乱うろんな視線から誰が見ても分かる酒気。

 黒いジャケットの下は紫のシャツを着こみ、結ぶネクタイは乱雑に緩められている。


 気だるげで印象の悪い男性だが、彼の種族を示す身体的特徴に目が奪われてしまう。


「……悪魔アメジスト


 男性の腰部から伸びる、やじりのような先端を持つ漆黒の尻尾。

 頭部には黒山羊の角が大仰に生え、人間アゲートとはかけ離れた見た目へと変化した。


 それは紛れもなく彼が悪魔アメジストである証明で、僕たちにとって絶望そのもの。


 世界に存在する強大な力を有する十二の種族。

 悪魔アメジストはその一つに数えられていて、力の一端は既に示されている。


「さてさて天使クリスタルが来るのは時間の問題ですね。ウチは帰って一杯やるので。傀儡かいらいさん。そこの二人、殺しておいてください」

「それは……」

「拒否しても良いですよ。そうしたらさかなとして娘さんが死にますが」


 一方的な要求だけを残して、悪魔アメジストは黄金の焔に身を包み姿を消した。

 誰も逃げた彼を追うことは出来ず、取り残された僕たちの中で初めに動いたのはローエンさんだった。


 構えていた刀による円を描いた薙ぎ払い。

 間一髪で僕と女性は避けるも、あおの闘気が宿った一撃は、生じた衝撃だけで遠く燃える黄金の焔を切り払う。


「待ってください、ローエンさん! まさか今の言葉に従うんですか!?」

「悪魔に魂を売った私に残された道は、これだけなんですコウ殿」


 握る刀に殺意が伝達し、あおの闘気は得物どころかローエンさんの全身を包んでいく。


 まごう事なき定型魔法スキルの発現。

 先の一撃で僕の倣った射程拡張ヒートヘイズ・シルバーと同系列だと踏んだが、それがどれだけ甘い考えだったか身を持って知らされた。


「――狼王六華ロウオウリッカ無花果イチジク


 僕も定型魔法スキル――技装ギソウを展開して蒼い霧を身に纏う。

 後手に回るも、霧散蒼影刃ムサンソウエイジンならば狙いが外れるはず。


 そんな期待は、予備動作無く振るわれた一撃が左肩を裂いた事により、いとも簡単に打ち砕かれた。


「っぅ!」

「コウ殿の言い分は承知しています。悪に屈しその一派として働くのでなく、反旗はんきひるがえす心を持てと。考えるまでもなくそれが正しいです。ですがっ……!」

「それを浴びせんのは数年遅かったな、ガキ。コイツはもう手遅れなんだよ」


 続く二撃目。

 本調子ではない体は言うことを聞かず、死の直面に硬直してしまう。

 逃げる間もない攻撃は、炸裂音と共に高速で飛翔した物体により妨げられた。


 雨の中でも影響を受けず放たれる、高熱の弾丸。

 ローエンさんは弾丸を物ともせずに、弾くどころか、そのまま女性に同等の攻撃を返していく。


「ああ、その通りだ。二年も前に悪魔スクリュードが村を襲い、娘を――ローナを人質にされて。もう私の下には何も残っていないんだ」

「僕たちが乗っていた馬車以外にも、沢山の誰かが……彼らは、彼らは仲間じゃ無かったんですか」

「仲間だよ。同じ境遇に立たされ、共感や同情だって勿論ある。だがそれだけだ。私には彼らと娘は同じでは無いんだ」


 女性を引き金を引く合間に、僕にもローエンさんの斬撃が放たれる。

 土俵の違う相手との対峙の片手間とはいえ、蒼い霧を見切る鋭い一撃は着実に僕の体を刻んでいく。


 ローエンさんにとって、この世にある一番は娘さんだけ。

 大切に思っているからこそ、人質となった彼女を守る為、彼は悪魔アメジストの言いなりになっている。


「限界なんだ。もうこの手で守れるのは、娘だけしかいない!」


 全身に切り傷を増やしながら、ローエンさんから距離を置く僕は、援護をしてくれる女性の下へと辿り着く。


 霧散蒼影刃ムサンソウエイジンで狙いをズラしても。

 剣を振るい、地塊三叉刃チカイサンサジンで手数を増やして迎撃に出ても。


 剣士としての質が違い過ぎて、僕が攻め入る隙を与えてくれない。


「おい、オマエ。事情聴取は後だ。あのオッサンをふんじばるぞ」

「分かりました。今は味方という事で良いんですよね」

「味方じゃねえよ。利害が一致しただけだ」


 交わされ続ける斬撃と銃撃。

 一進一退の状況になり、ローエンさんから目を逸らさず僕たちは言葉を交わしていく。


 彼女と僕の今の関係は、味方でないのなら一時的な協力者だろう。

 その意味するところはきっと、僕も少なからず、あの悪魔アメジストと関わりがあると疑われている。


 違うと言いたいところだけれど、今はすべき事に集中する。


「僕の名前はコウです。切り込んでみますので、援護をお願いします」

「へえ、思い切りが良いのは嫌いじゃねえ。アタシはソフィアだ。オマエは死んでくれるなよ、話し相手が減っちまう」


 飛び交うあかあおの閃光の中、僕は蒼の霧となって大地を蹴る。


 右手に剣を、左手には鋼棒こうぼうを。

 相手の狙いをずらし、複製した斬撃と打撃を放ちながら、ローエンさんへ駆け寄っていく。


 当然、力量の上回る相手を前にして、距離を詰めれば受ける傷は深くなるばかり。

 後ろから放たれる銃撃は、音を耳にするだけで意識が削がれ、いつか背中に来るのではないかと考えてしまう。


 赤い血潮ちしおが痛みと恐怖に染まる。

 引き締められ、熱く猛る鼓動は弱まり、本来あるべき感情を塗り替える。


「ローエンさん。娘さんだけを守る。そんな道しか貴方には残されていないんですね」

「それ以外何がある。どれだけ細い糸だろうと、私はそれを手放すつもりは無い!」

「……羨ましいです」


 心から零れ落ちる羨望せんぼう

 暗闇に閉ざされた中で、必死に小さな光を握りしめる彼の立ち振る舞いに、光明に近い輝かしさを僕は感じてしまう。


 あの日、あの時。

 ネフィーさんだけが助かっていたら、きっと僕はローエンさんと同じ道を取っていただろう。

 守ると誓った少女が世界の中心となって、僕はその本懐を遂げるべく奔走する。


 彼の心境は痛いほど理解できる。

 だから、だからこそ――その輝きに手を伸ばしたくなる。


「そんな希望ひかりが残っているのに、どうしてその程度なんですか」


 熱く流れていた羨望せんぼうに冷気が帯びる。

 ローエンさんの現状に納得できない、理解は出来ても頷けない。

 守るだけをとしたくなくて、人形同然の立場を否と告げる。


 どうしてそこで諦めてしまうのだと、血の通った思いは濃霧に閉ざされた。

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