7.赤の使者

 停車した馬車は再び動き出す気配は無く。

 何かあったのは分かるが体に力が入りきらない僕は、事態の進展を待つばかりだった。


 御者の後姿から何かを待っている様子があり、少しして痺れを切らしたのか、彼は頭を下げながらこちらに振り向く。


「済みませんねぇ、お二人とも。どうにも道を塞いでいる方がいらして。困ったもので、いかがします?」


 下の衣装を隠す合羽かっぱを着こみ、目深にフードを被った御者は、へらへらとした口調で僕たちに相談を持ちかけてきた。

 態度からは参っている様子がなく、嘘にすら感じる軽薄さがあったが、事実として道の先に人影が認められる。


 雨具すら身につけず道の中央に佇んでいたのは、一人の人間アゲートの女性。

 赤茶けたロングヘアーを薄い黄色のシュシュでアップにし、赤いパンツスタイル。

 右腕には果実のように赤い金属の腕輪を付け、朱色の瞳で彼女はこちらをいぶかし気に眺めていた。


「私が話そう。コウ殿はこのままで」


 僕が何かを言う前に、ローエンさんは刀を手に取り馬車の外へと飛び出した。

 御者はお気楽に手を振って彼を見送り、自分からは行動を起こそうとする気はないらしく、だらけた声で僕に話しかけてきた。


「面倒ですねえ。ウチが予定を立てると、いつもこうなんですよ。何が悪いんですかね」

「誰も悪くないと思います。今はただ、ローエンさんのお話がうまくいく事を願いましょう」


 御者の言う予定外は、きっと彼女の他に僕も含まれているだろう。

 申し訳なさに心苦しくなり、返す言葉は自然と小さくなる。


「そうです! 良い事を思いつきましたよ。そもそも目標があるのがいけないんです。目標があるから予定に苦しむんです」

「……えっ?」


 しばし考えこんだ御者が告げたのは、現状を打破する為の不可解な解決法。


 予定通りにいかないから、目標を諦めて予定を無くす。

 そんな無茶苦茶な理論を彼は平然と話し、そうだそうだと独りでに頷く。


 少ない言葉の交わし合いで、御者の人が苦手な部類なのは分かっていた。

 けれど理解のできない発言をする人だとは思っていなかった。


 あのローエンさんと一緒に行動していて、少なくとも彼のいた村の仲間の筈だから。


「やっぱり今やりたい事を優先するのが、一番ですよねえ。コウさん」


 目深に被ったフードの奥から、焦点の合わない胡乱うろんな目が覗く。


 僕を捉えるのは底の見えない金色の瞳。

 欲望を全肯定する笑顔が脳に衝撃を与えた。


 目的が見えず、獣のように衝動に駆られる野盗たち。

 彼らと同等以上のドロドロと下劣な欲望が、彼の瞳から流れ込んでくる。


「お友達になろうと思ったんですが、面倒になりました。折角なので死んでください」


 僕の全身を撫でる悪意。


 彼の言葉が終わる前に、僕は武器を手にして馬車を飛び出そうとする。

 後もう少しのところで僕が見たのは、御者の右手から放たれる鈍く輝いた金色の光だった。


***


「――失礼。そこを退いて貰えないだろうか。それとも乗車希望か?」

「残念だが退かねえし乗らねえよ、狼のオッサン」


 ぴしゃりとローエンさんの確認を否定する女性に、彼は眉を顰めて刀に当てていた左手に力を込める。

 目的の見えない彼女は、それでも態度を変えることなく話を続けた。


「なあ、ここ数年世界各地で、集落が壊滅する事件が多発してるの知ってるか」

「知っているさ。私はその事件の生き残りの一人だからな。それが今の君と何の関係がある」

「いやさ、ちょっとばかしお上に頼まれちまって。つい数日前にも、この近くの村で事件が起きたっつうから、調べに来たんだよ」


 女性の首周りに浮かぶ、赤い刻印。

 自らの尾を噛み円環を描いた赤い龍を象るそれは、ローエンさんは覚えがあるのか納得の色を見せた。


 それは国を纏める種族から与えられる、利害が一致した証。

 世界の何処にいようとも、授けた種族に居場所を知らせることが出来るもの。


 なので授かったら最後。

 飼われているも同然な立場になる事から、自然と"首輪"と呼ばれている。


「その首輪――。成る程、国の使いか。なら馬車に乗りたまえ。その村の唯一の生き残りを保護している」

「へえ、唯一ねぇ……」


 遠くながらも僕と女性の視線が交わる。

 僕と同じ人間アゲートの筈なのに、挑発的な瞳は心を見透かしそうな力強さを内包していた。


「けどさっきも言ったぞ、オッサン。アタシは乗らねえ。乗る必要もねえ。――調べるのはアンタたち何だからな」


 僕の感じた内包される力は、彼女の右目から発現した。


 朱色の目が宝石の如く透明質な真紅へ変わり、瞳孔は縦へ鋭く尖っていく。

 変異した瞳からは炎が噴き出し、目尻から走る赤き線は、首のものとは別の刻印を描いていく。


 上部に頭を描き、胴部に翼、頬にかけて下部に描かれるのは長き尻尾。

 全体は割れたハートを思わせる新たな刻印。

 しかしその実態は、天を目指す赤い龍。


 ――だが彼女が起こす異変は、それだけでは止まらなかった。


 右腕に付けられた腕輪から、同期して放たれる真紅の炎。

 手へ伝わり、剣のように伸ばされる炎からそれは生まれ出た。


「その眼。龍族ルビーの加護か。それを有する割に意外な武器を使う」

「コレが何だか分かった上で剣を抜くたぁ。自信あんだな、オッサン」


 炎を払い彼女の手の中に現れたのは、銃器と呼ばれる射撃武器。

 中でも小銃ライフルと分類される物で、両手で支えられた長い銃身は、的確にローエンさんの額へと向けられていた。


 引き金一つで頭を撃ち抜かれる状況に陥ったローエンさんだけど、対する彼女もまた、首筋に雨粒を弾く刀身が当てられていた。


「一応、龍族アイツらの流儀は通じるぜ? 仮にも被害者って立場だろ、アンタ」

「贖罪と救済か。あの時は命を懸けて欲したが、今の私にそれを手にする資格は無い」


 手首を捻り、ローエンさんは女性の小銃ライフルを跳ね上げる。

 同時に放たれた銃弾が虚空へ消え、切り返しの一撃も女性が後方へ退く事で空を切る。


 間合いが開け、優勢となったのは小銃ライフルを持った女性。

 だというのに勝負の天秤は傾くどころか、重さが拮抗し平衡になっていく。


「一つ聞かせてくれ。我々……いや、私と彼に気が付いたのは何が原因だ?」

「知らねえ。けどまあ、天空そらの連中も馬鹿じゃねえ。数重ね過ぎたんじゃねえの」

「そうか。それなら致し方ない。だが……」


 出かかった言葉を、ローエンさんは苦しそうに飲み込む。

 暗い雨空を見上げて、一粒の雫を傷ある左眼から流し、刀を強く握る。


 深く、深く。

 彼は息と共に魂から輝きを吐き出す。


「もう遅い」


 左眼から流れるしずくは、深碧しんぺきの雪結晶へ。

 白き刀身はみどりに染まり、青丹あおにの光が波紋をなぞる。

 猛き焔の決意を緑の双眸そうぼうに宿し、人狼は潜めた真の剣を解き放つ。


 討ち合う合図は他でもない。

 彼らの背後で待っていた馬車群が、金色の業火で焼かれるその時だった。

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