2章

6.廃れた村で少年は出会う

 日の光が届かない暗い雨空。

 まばらに雨が降る中、一人の男がその地へ足を踏み入れる。

 狼の頭を持ち、黒と灰色の毛皮をまとった彼は着物を着こなし、履いた草鞋わらじただれた地面を踏んでいく。


 左目に刃物傷を残す彼の前に広がるのは、焼け落ちた家屋しか残らない廃れた村。

 囲む大自然には火が飛び移っていない所から、彼は人為的な火事だと推測する。


ここ﹅﹅もか……」


 腰へ携えた大小二振りの刀に左手を当て、辺りの臭いを嗅いだ彼が感じたのは、隠しようもない鉄の臭い。

 流血沙汰があった事を裏付ける事態に、彼は気を張り巡らせる。


 想定するのは悪意ある輩。

 この惨状を引き起こした者の一派か、廃村を狙い巣食った盗人か。


 もし誰かがいる場合、この村の者ならば、いち早く見つけなければならない。

 そして敵意ある者であれば、一刀の下、断じなければならない。


「一人いるな……。若いな、少年か」


 刀にかかる僅かな重さを認め、廃村を巡る狼頭の彼が見つけたのは、地面へ突き刺したショベルに背中を預ける、黒髪の少年。


 泥と血にまみれ、疲労に満ちた体を雨に濡らすコウだった。


「私はローエン。獣人マラカイトだ。君はこの村の者か?」


 口調は優しく、雨音にも負けない力ある声の狼の獣人ローエンさんは、下げた刀に手を掛けたまま。


 作業の邪魔になると鎧は脱いでいたが、それでも腰に剣と鋼棒こうぼうを携えたまま。

 警戒するのは当たり前で、返答によっては僕をすぐさま斬る為だろう。


「はい、そうです。もうこの村の住人は僕しか残っていません」

「何があった。不祥事によるただの火事では無いだろう。君しか残っていないと言ったが、他の方は何処へ」


 当然の疑問、当然の追求。

 この状況を見て当たり前に浮かぶ質問は、村に野盗が現れてから今に至るまでの出来事を呼び起こす。


「皆さんはあちらに。僕が……数日かけて埋めました。村の皆も、野盗の方たちもです。誰も、誰も生き残って……ません。僕が、僕だけしか」


 空となった胃は捻じれ、頭痛は鳴りやまず、弱る心臓は力なく鼓動する。


 ネフィーさん、ジョージ先輩、村の皆。

 生きている人を見つけられなかったから、一人で全員のお墓を作った。

 体がある人は土に埋め、無い人は墓標だけ。


にわかには信じがたいが、似た境遇となれば自然と納得もいく。――事情は理解した少年。君に嫌疑をかけていた事を詫びよう」

「似た境遇? それってどういう……」

「細かい話は後にしよう。見るからに衰弱している君と、このまま話をするのは忍びない」


 慣れた動作で僕を自らの背中に乗せるローエンさん。

 着物越しでも分かる毛皮の柔らかさと温もりは、大きな背中と相まって心に安らぎが伝わってくる。


「近くに馬車を待たせている。今からそこへ君を連れていく。村を離れるのは辛いだろうが、今の君を放ってはおけない」


 僕の返答を待たず、ローエンさんは早足でその場から離れていく。


 揺れる体。

 冷え切った心身に、数日ぶりの生き物の暖かさを感じる僕の意識は、瞬く間に霞へと呑まれていく。


***


 再び意識が浮上し、初めに僕が感じたのは軋みを上げて揺れる床の感触。

 質素な掛け物と共に寝かせられていた僕は、目を開くことは出来ても喉を鳴らすことは出来なかった。


 見える木製の屋根と馬の蹄が地面を蹴る音から、馬車に乗せられているのは分かる。

 でもどうしてそんな場所にいるのか、それを誰かに聞きたいけれど、鉛のように重い体が拒絶する。


「目を覚ましたか、少年。無理をしなくていい。まずは水を。ゆっくりと、少しずつ飲むんだ」


 雨と車輪の音を遮って聞こえてきたのは、意識が途切れる前に出会ったローエンさんの声。


 片手で身を軽く起こされ、僕の口につけられたのは水の入った革袋。

 彼の言った通りに少しずつ流れ込んでくる水を飲み込んでいくと、意識にかかっていた霞が晴れていく。


 目も耳も、水の味もはっきりとし始めた辺りで僕は咳き込んでしまう。


「――……ごほっ、ごほっ!」

「っと、済まない。急すぎたか。それでどうだ、少しは楽になったか?」

「……ごほっ。は、はい。有り難うございます。助かりました」


 沸き上がってくる活力は体の鉛を溶かし、不思議と腕を上げて自分で革袋を持てるくらいの力を引き出していた。

 それを見て頷いたローエンさんは、そそくさと馬車の隅に積まれた木箱から、一つの袋を取り出し僕の隣へと置く。


「衰弱している体には酷だろうが、今だせる物が木の実しか無くてね。それを食べながら話をしようか」

「……分かりました。ですが」

「遠慮は無用だ。そもしている余裕は君は無いだろう」

「……有り難うございます。いただきます」


 考えていたことを読まれた僕は、はにかんで照れを誤魔化しつつ、木の実の入った袋へ手を伸ばす。

 小ぶりで摘まめる生のままな木の実は、噛むとわずかな甘みと強めの酸味が口の中に広がる。


 本来なら顔をしかめてしまいそうな味だったが、疲労し切った体は何でも受け付けるようで、僕は水と交互に木の実を食していく。


「さて、どこから話しをしたものか。……そうだな。まずは改めて、私の名はローエン。君の村から数十里先のカミツ村の村長をしていた者だ」

「僕の名前はコウです。名前も無いあの小さな村で、衛兵をしていました」


 互いに壁に背を預けて向かい合った僕たちは、静かに何があったのかを話していく。


「ではコウ殿。君の村で何があったのかは、十全ではないが私は理解しているつもりだ。日々を暮らしていた村に、突然目的も分からない襲撃者が現れた。そうだね」

「……はい」

「私も同じだ。二年も前の事だが、抵抗も虚しくこの様だ」


 自分に嘲笑ちょうしょうするローエンさん。

 抵抗――そう言われて視線が行くのは、ローエンさんの隣へ立てかけられた大小の刀二振り。

 僕の隣にも、使っていた剣と鋼棒こうぼうが揃えられていた。


 守りたいものを守れなかった、無力な剣。

 後悔が重さとなって積み重なるばかりで、持つことさえ僕には苦痛を感じてしまう。


「我ら獣人マラカイトの集落には守護してくださるあるじがいるのだが、彼が不調のタイミングを衝かれてしまってね。大した時間もかからず村を制圧され、残った者だけがこうしている」

「残った人たち、ですか」


 乗っている馬車の後部からは、同じ道を辿る馬車が四台ほど見えた。

 御者も馬車に乗る人も、全員が暗くうつむいてた獣人マラカイトばかり。


「少年。いやコウ殿は無理に話そうとしなくていい。諦めて長い私とは違うのだから」

「いえ。……皆をとむらいながら考えていたんです。この後、僕はどうすれば良いんだろうって。どう生きればいいか、ずっと考えていたんです」


 全員をとむらい終わり、呆然としていた僕は生きる道を漠然と思案していた。


 何処へ行って、何をして、どう生き続ければいいんだろう。

 知り合いはもういない、復讐も終わった、皆との別れも告げた。


 なら後は、残された僕はどうすれば正しく生きれたと、ネフィーさんに胸を張れるだろう。


「どんな事があっても誰かを助ける。それが僕の憧れていた騎士なんです。だから僕のすべき事は――人助け﹅﹅﹅だと思うんです」

「コウ殿は……強い方なのですね」

「強くなんか無いですよ。むしろ弱いから、こんな道しか選べないんです」


 本当に僕が強いのだとしたら、村の皆全員を守れている。

 本当に強いのだとしたら、すがるように道を探さない。


 本当に強かったら、割れた心を真っ赤な嘘で固めない。


「弱いから正しいと信じたい道を選ぶと。……そうですね。私も信じたいものです」


 僕とローエンさんの間に再び沈黙が落ち、雨音と馬車の地面を蹴る音だけが空間を支配する。

 場を制する二重奏はそう長くは続かず、次第に速度を落としていく馬車は、何もない平地で停車した。

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