4.覚醒

 空舞う亜麻色の髪が落ちていく。

 眼前にあるのは首を手足を胴体を、カゲロウによって無残に解体された村人たちだった物。


 悲鳴すらなかった。

 一抹の希望が見え、不安の消えた後には驚愕きょうがくを残し、みんな物言わぬ赤い塊に変貌へんぼうしていた。

 抱き寄せたネフィーさんは後ろ髪を切られただけだと、視界に映る惨状さんじょうを前に抱いてはいけない安堵に、僕は顔を歪めてしまう。


 良かったなんて、口が裂けても言える訳が無い。

 大切な人さえ生きていれば、知人が殺されても良いなんて、そんな人間には成りたくない。

 そんな考えを過ぎらせてしまう僕自身に、相反した思いが胃を絞めつける。


「ネフィーさん、大丈夫ですか」

「う、うん。……アンタのお陰で――」


 怯える音色が途切れる。

 炎に紛れる陽炎かげろうをしっかり捉えようと目を凝らしていた僕は、息が止まり視線を下へ降ろす事が出来なくなった。


 何かが落ちる音がした。

 こびりつく鉄の臭いと、両手に広がる温かい液状の何か。

 腕の中で小さくなっていく鼓動に反比例して、僕の鼓動は活発になっていく。


 心は熱い。

 なのに彼女を抱きしめる腕は冷たく、既に足先の感覚は零度のそれだ。

 頭に広がる警告は、異様な速さで情報を乱立し、音を遠ざけ視界を狭める。


 こころが熱く叫んでいた。

 今より下を見てはならないと。


「不味ったな。これじゃ、アイツらにどやされちまう。折角の褒美をどうしてくれるって」


 陽炎かげろうが収まり輪郭を現したのは、片手に抜いた長剣を握る、くたびれた風貌ふうぼうの男。

 隈のできた目の座っている彼は、痛んだ髪を掻きながら気だるげに、自分の仕出かした惨状を後悔していた。


 それは村人たちを殺した事に対してではなく、凌辱りょうじょくを目的とした獣の如き野盗なかまを考えての事だった。


「テメェ……やりやがったな。ネフィーちゃんを、彼女たちをよくもっ!」

「……っと。前菜ってやつが来たな」


 どうするかと一考していた長剣の彼だが、想定外の相手を前にして目に光を宿す。


 その相手は、満身創痍となったジョージ先輩。

 全身傷だらけで、槍を杖代わりに足を引きずって歩く先輩は、喋るときにすら苦痛で顔を歪ませていた。


「何だお前。アイツら全員ったのか。そんじゃあ、杞憂って事でこっちに専念できるな」


 先輩が向かって来ることは、他の野党が全滅したことを指していたが、長剣の彼はむしろ上機嫌で先輩を迎い入れる。

 長剣を構え、息も絶え絶えの先輩へ笑いかける彼は、余裕をもって敵対者の動向を待っていた。


「コウ。さっさと片付けてくっから、ネフィーちゃんと一緒にそこで待ってろ」


 力の入らない体に活を入れ、奥歯を噛みしめて先輩は僕に微笑みかける。


 出血多量に底をついた体力、棒きれ同然な両足、動いている事が奇跡な右腕と出鱈目に切り裂かれた胴体。

 短時間で集った野盗を全滅させた奮戦の記録を、その一身で物語っていた。


 だが、だからこそ。

 状況は絶望的で、戦力差は満場一致の大差負け。

 神霊の起こす森羅万象の奇蹟が起きない限り、先輩の敗北は揺らがない。


「穿てよ、グラン・トライデントッ!!」


 一歩前に出た先輩は、色褪せた視界にも関わらず怨敵を捉えてみせた。


 顔も声も分からない。

 そんな相手に、彼は握る黄土色の三叉槍さんさそうを振りかざす。


「面白れぇ……。捌いてやるよ。ヒートヘイズ・シルバー!」


 絶命間際の先輩が放った、全身全霊の投擲とうてき

 対する野盗は、またしても体を陽炎かげろうへ溶かし、銀の剣閃を持って迎撃する。


 宙を裂く音が鳴り、僕の体を通り抜けた熱風は都合三度。

 二度に渡る金属の衝突音が響いた後、サイゴの音は心が拒絶した。


「………………ネフィーさん」


 もう燃える炎の音すら満足に聞こえない僕は、ゆっくりとネフィーさんの体を抱きしめたまま視線を下へ向ける。


 目が合うのは絶望に暮れた翠緑すいりょくの瞳。

 一筋の赤いしずくこぼし、それは綺麗きれいかれたブロンドの髪を染めていく。

 半ばに開かれた口は何を言いかけていたのか、問いかけても動くことは無い。


 抱きしめる体は温かいのに、伝わる熱は心を冷たくしていく。


「ネフィーさん。ずっと一緒に居てくれますか?」


 浮かび上がってくる言葉をそのまま漏らしてく。


 これが本音。

 これが本心。

 嘘偽りない魂の言葉で、昔からずっと……出会ったあの日から刻まれた刹那せつな煌めきおもい


騎士もどきのこんな僕でも良いですか?」


 なのになぜ、いつから僕は取り違えたのだろうか。

 物語の騎士に憧れて、成長と共に普遍ふへんの正しさを求めてしまったから、歩む道を違えてしまった。


 本当は大切なすきな人の隣にいて、永遠に守っていたい。

 そんな想いを飾った言葉だった筈なのに。


「……そう、ですよね」


 今も昔も、ネフィーさんのこの問いへの答えは変わらない。

 赤くなって言葉を濁して、最後の最後は黙り込んで顔を背ける。


 言わなくても分かってるでしょって、ずっと僕の隣に居てくれた。


「一緒に死んで欲しいなんて、ネフィーさんは考えません。ましてや復讐ふくしゅうなんてありえない。ただ僕に生きていて欲しい。それだけを願う人です」


 昔の僕たちは、騎士とお姫様を代替にそれを描いていた。

 一緒に老いを重ねられなくても良い、後を追うこともしなくていい。

 お互いを大切に想い合う、そんな関係になりたいって。


 だから今、僕のすべきことは生きること﹅﹅﹅﹅﹅

 逃げて逃げて、生き延びて。

 馬鹿を晒してでも生を全うする。


「それが僕の知っているネフィーさんです」


 もう答えは出ていた。

 一心不乱に眼前の敵から逃亡する事。


 それが最愛の人ネフィーさんが望む、正しい答え。


「――……なんて事が、正しい﹅﹅﹅訳が無いです!」


 変わらぬ陽光をもたら金剛かみに向け、僕は咆哮した。


 温かな熱はたぎる心臓に伝わり、心を通して、鋭利な冷水の刃となって魂に刻まれる。

 熱し容易な切断が可能になった魂は、より優れた希望ひかりを求めて形を変え、差し込まれた感情ひかりに呼応する。


「悪意に屈し、敵意に怯え、一生の何もかもを踏みにじられて。こんな世界で正しいのは、屈辱を噛み締めた逃亡だけ? ふざけているにも程があります」


 にじんだ悪意ひかりの一欠片を魂から抽出し、乱反射させて、心に塗り固めていく。

 魂から漏れる殺意を、敵意の心が増幅し、それは全身へ駆け巡る。


「さっきからどうした、ガキ。恋人死んで狂っちまったか? そんな事より俺とろうぜ」

「ええ、そうですね」


 飽きが回って来たのか、陽気に僕へ声をかけてきた彼に、自分でも驚くほど冷たく低い声で僕は応える。

 抱きしめていた体をそっと寝かせ、僕は虚空を見つめるネフィーさんの目に、手をかざして閉ざす。


 彼女の手の代わりに握るのは、冷たく重い鋼鉄の剣。

 最愛の人の血で赤く染まった体からは、不思議と蒼白の殺意が流出する。


 こういう時は、ネフィーさんの言う通りだよね。

 遠慮なんていらない。

 魂に刻まれた礼儀正しさなんて……


「死ねよ、クソ野郎がッ!」


 自然と吐かれた僕の言葉を合図に、野盗の彼はこれ以上ない満面の笑みを浮かべる。

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