1章

1.騎士を目指す少年

 物語に登場する公明正大こうめいせいだいの騎士。

 忠義を尽くし護ると誓ったお姫様の傍に寄り添う、そんな存在に僕は憧れていた。


 衛兵になった切っ掛けも単純なもので、それが騎士になる為に一番の近道だって。

 志願した当時は疑いもなく信じていたから。


 大切なものを護る剣であり盾で在りたい。

 それが僕の生涯変わらない誓いで、剣を握る理由だ。


「まあ……。約束をいつ果たせるか、分からないですけどね」


 空を登り始めた陽光をもたらす我らが神様に、僕は手を伸ばす。


 決して届くことの無い、唯一絶対の光。

 身寄りのない僕の名前の由来となった"金剛こんごう"の神は、今日も日の恵みと共に僕たちを見守ってくださっている。


「天に居ります金剛こんごうあるじよ。御身おんみの天昇に感謝します」


 雲少なく澄み切った青い空。

 短く切り揃えた黒の髪を撫でる風は、清々しいほど心地よく。

 僕はそっとブラウンの目を閉じ、祈りの言葉を口にする。


 だが感謝をするのは、金剛かみ様だけじゃない。

 今着こんでいる鎧装束を作り、両腰に携えた鋼鉄の剣と鋼棒こうぼうを作った鍛冶師の方。

 衛兵になってから僕を鍛えてくれた、元傭兵の教官に。

 生きる糧を作って下さっている農家や猟師の皆さん。


 僕の居場所を作って下さる村の人々全員にも、感謝の念を忘れてはいけない。


「はあ。まったくアンタはバカ真面目ね、コウ。なに? 騎士目指すの止めて、宗教家にでも鞍替え?」

「開口一番に厳しいですね、ネフィーさん。晴れた日を喜ぶぐらい許して欲しいです」


 お世話になった方々を一人一人思い浮かべ、心の中で感謝をする僕の後ろから、聞きなれた少女の声が聞こえて来た。


 目を開け、振り返った先でまず目に入るのは、肩ほどのブロンドヘア。

 見るからに呆れている澄んだ翠緑すいりょくの瞳と、僕とは違い僅かに尖った耳。

 草原を連想する新緑のワンピースで着飾った彼女ネフィーと僕は、言ってしまえば幼馴染というやつだ。


 十年以上前。

 記憶もなく、一人村の前で膝を抱えていた僕は、その時からずっと彼女の家にお世話になっている。

 歳もだいたい同じらしく、ずっと一緒に育ってきた僕たちは、実の姉弟きょうだいと何ら変わりはない。


「……ああ、もう! ホンット、前から言ってるよね! その魂に染みついた丁寧ていねい口調、止めなさいって! 小さい頃から一緒に居る昔馴染むかしなじみに、遠慮えんりょも何もあるかぁ!」

「でもそれが良い所だって、ネフィーさんが言ったんじゃないですか」


 昔、一緒に読んでいた寝物語の騎士のお話。

 その物語に憧れていた僕は一生懸命に口調の真似をし、ネフィーさんも笑って似合ってるって言ってくれた。


 だからこのままで良いと思っていたのだが、一昨年くらいから彼女は口調を変えろと迫るようになっていた。


「それはそれよ! 少しは砕けなさい、この礼節騎士バカ!」

「ええっ……。もう僕、どうすれば良いんですか」


 何度も言われる為、一人になった時に口調を考えてみた事はある。

 ネフィーさんをイメージして舌の上で言葉を転がしてみたが、違和感を覚えるばかりで諦めたのだ。


「ネフィーさんの言う通り、魂に染みついているのなら難しいですね。――それはそうと、何かご用ですか? 今日は外回りなので、見送りを受ける程では無いのですが」


 村の外を見て回る衛兵の仕事としては、猪や熊などの害獣と食糧の発見が主だ。

 危険はほとんど無いし、わざわざ声をかけに来た理由が僕には思い至らなかった。


「えっ、いやあ……ははっ……。その何というかぁ……。――……っん」


 どうして来たのだろうと首を傾げる僕に、ネフィーさんは片手に持っていた小柄なバスケットを胸元に押し付けてきた。


 その顔はほんのり赤みを帯びていて、声は小さくさっきまでは有った威勢が無い。

 そっぽを向いて僕と目線を合わせてくれないし、渡されたバスケットの中身が何か、ふたを開けないと分からなかった。


「葉野菜と鹿肉のサンド――。ああ、昼食ですね。わざわざ有り難うございます。助かります、ネフィーさん」

「べ、別に。お礼とかいらないから。いるかと思って用意しただけだから。ちゃんと食べなきゃ、ぶっ飛ばすわよ」


 恐る恐るバスケットのふたを開けて中身を確認すると、入っていたのは質素なサンド。

 朝に採れたばかりであろう葉野菜と、焼いた鹿の燻製くんせい肉。

 それらをパン生地で挟み、大雑把に四等分にされていた。


 お弁当として持っていくには、村の食糧事情をかんがみると比較的良質な方で。

 それ以上のものが入っていると、頬を赤く染めるネフィーさんを見て、僕は微笑みかける。


「勿論です。ネフィーさんの料理はなんて言うか、安心できる味ですから。是非いただきます」

「ええいっ。恥ずかしいこと言ってないで、さっさと行ってきなさい、この騎士モドキ。アンタたち衛兵はそれが仕事でしょうが!」


 僕が嘘でも何でもない本心を告げると、ネフィーさんは耳まで真っ赤にしてしまう。


 感謝は言葉にしなければ伝わらないし、心で思っていても態度にすら出さなければ、誰も彼も素通りしてしまう。

 だから感謝を、善意を、そして好意を。

 僕は掛けがえのない宝石だと思うから、大切な人には惜しむまいと心の内を明かす。


 けれどここ数年は、彼女は真っ向から感謝を受け取ってくれる事が少なくなり。

 今僕は背中を押されて、彼女に村の外まで押し出されていた。


「はい、行ってきますネフィーさん。帰ったらお昼の感想を、いの一番に言いに行きますね」

「そんなもん、しなくていいっての! このバカァー!」


 バスケットを両手で抱え、自分なりに昼食を受け取った恩を返そうと、約束を取り付けようとするも、全身全霊の叫びで拒否されてしまう。

 それでも大切な事なんだって、僕は約束を胸にしまい、仕事を果たすべく村の兵長に指定されたルートを辿っていく。


***


「ホント、バカなんだから」


 バスケットを嬉しそうに抱えて遠ざかっていく、騎士染みた格好の昔馴染むかしなじみの背中。

 人の気持ちを知らないで騎士を目指す彼に、アタシの胸に渦巻く気持ちは二分していた。


 頑張ってと応援する背中を押す気持ちと、早く気づいてと手を取る気持ち。


 昔アンタが目指していた騎士は、お姫様を守る王子きし様なんだから。

 ほんの少し、真っ直ぐ見据えた目を後ろに向けてくれるだけで良いのに。


 大切にするじゃなくて、好きだって。

 そう言って欲しい、そう言いたいのに――


 アタシたちは手を繋ぎ前に進み続けるだけで、隣を振り向くことが出来ない。


「さっさと騎士になりなさいよ、まったく。あの約束まで忘れたんじゃないでしょうね……」


 彼があの約束を忘れたなんて思ってはいない。


 コウが騎士で、アタシがお姫様。

 いつかなろうって誓った、いつかの夜の小さな約束。

 色褪せてしまった思い出の中の、唯一の温度すら感じられる鮮明な記憶。


 何度も何度も心の中で問いかけても、返ってくることは無い。

 彼の背中は遠くなっていくばかり……

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