宝界のドラグリッド

薪原カナユキ

EX(1章読了後に閲覧推奨)

IF.幸せネフライト

 窓から朝陽が差し込み、心地よい温もりの中で僕の意識が浮かび上がる。

 小鳥のさえずりと嫌気のない香りに、眠気でぼんやりとする頭に惑わされながら目を開けた。


 もう少し眠っていたい。

 でもそろそろ起きる時間だ。


 そんな事を何度も繰り返し考えながら、もぞもぞと体を動かす。


「――……ぅん」


 僕の動きに合わせて聞こえた、細く可愛らしい声。

 右腕には程よく柔らかい物が絡みつき、こそばゆい息がかかったり、何かが擦りついている感覚を覚えた。


 どうやら僕以外に何かがベッドの中にいるみたいだ。

 そんな回り切らない頭のまま、腕に取りついたものを見るべく、シーツを軽く持ち上げた。


「………………なんだ。ネフィーさんですか」


 そこにいたのは、同い年の家族である少女――ネフィーさんだった。


 腰まで届きそうな長さの、綺麗きれいかれたブロンドヘアー。

 今は閉じられているけれど、しっかりとした光を宿す翠緑すいりょくの瞳。

 僕とは違い少し耳が尖っていて、これは人間アゲート森人ジェイドの混血である証拠だ。

 そして彼女が着ているワンピース状の白い寝間着は生地が薄く、しっかりと彼女の肌の柔らかさが伝わってくる。


 実の姉も同然なネフィーさんだが、薄着で無防備どころか、積極的に全身を使って僕の腕を抱きしめていた。


「そういえば一緒に寝るって約束してましたね」


 思い至るのは昨夜の出来事。

 ネフィーさんの実父である村長から、近隣で悪魔アメジスト幽霊ジェットのいざこざが有ったと連絡を受けたのだ。

 僕たちみたいな力の弱い人間アゲートが出る幕はなく、すぐに国の組織が対処したらしい。


 もう安心だ。

 そう僕も村長も言ったのだが、ネフィーさんが不安を無くすことが出来ず、僕が寝ようとした直前にここへ来たのだ。


 何かあった時の為に一緒にいた方がいい。

 口ではそんな事を言ってはいたが、やたらと気丈に振る舞っていたので、言葉が気持ちに勝てなかったのだろう。


「……って、ネフィーさん? 待ってください、これは不味いです」

「うにゃぁん……? なぁに、コウくぅん……」


 などと昨夜の事を思い返している内に、意識がハッキリし、僕は今の状況がどれだけ大変な事になっているかを理解した。


 姉同然の家族とはいえ、年頃の男女が同じベッドで寝ている。

 そしてネフィーさんの事を、僕自身は家族としても異性としても見ている。

 男として意識している相手と密着している今の状態は、本能的に非常に不味い状態だった。


 そこに追い打ちをかけるのは、寝ぼけている彼女の恰好。

 僕の腕に押し付けられている胸は、一見慎ましやかなものだが、その実男の心を掴めるぐらいの大きさはある。


 沸々と上がりかけている本能を理性で押し込めている傍らで、人の気も知らずにネフィーさんは幸せそうな顔で寝言を呟いていた。


「まだ夜だよぉ……? 寝かせてよぉ……」

「夜じゃないです、朝です。それよりも早く離れてください。お願いします」

「ううん……やだぁ……。コウくんはあたしと一緒に寝るのぉ……」


 起きる気配は欠片もなく、ネフィーさんはそれどころか、さらに強く僕の腕に抱き着いてくる。

 猫のように頬ずりをするし、逃がすまいと足も使って来る為、ちょうど手が太ももの位置で挟まれてしまう。


 すやすやと幸せに満ちた寝顔。

 これを前にして乱暴に起こす訳にもいかず、かと言って本能を理性で押し返せるほど、成熟した精神を持っていない。


 緊張と焦り、そして生殺し。

 相反する僕の本音を、意中の相手は知ってか知らずか寝言を続けた。


「大好きなコウくんはぁ、このままアタシとぉ……」

「ネフィーさん、ネフィーさん? 頼みますから起きてください」

「アタシとぉ……エぇ……――」


 妙に色っぽい声を無視して、僕は空いた片手を使い、ネフィーさんの肩を必死に揺する。

 その努力が功を奏したのか、彼女の言葉は途切れて綺麗きれい翠緑すいりょくの瞳があらわになった。


 キョトンと状況を理解できていない彼女の目には、黒髪とブラウンの瞳をした僕が映りこむ。


 目と目が合って数拍。

 薄着のまま全身を使って僕の腕に抱き着き、なおかつ半ば夢の中で言っていた事を聞かれたと分かったネフィーさんは――


 一瞬にして、顔がじゅくしたリンゴみたいになった。


「ぅエぇ…………っちちちちちちち、違うからぁ!? 違うからねェ!」

「えっ、なに……何がですか?」

「何がって……。コウが好きっていうのはちがっ……ちがくないけど! 家族としてであって、かぞく、かぞっ……!」

「待ってください。僕は何も聞いてないですから。落ち着いてください、ネフィーさん」

「うそだああぁぁぁぁぁ!」


 パニックになるネフィーさんにつられて、僕も今まで考えてきた事が消し飛ぶ。


「うわぁぁぁあああああん! コウにアタシの恥ずかしいところ見られたぁぁぁぁぁ!!!」

「見てないですし、聞いてないですから。一旦落ち着いてください!」


 シーツは宙に舞い、僕の腕と一体になりかけていたネフィーさんの体は、弾かれるようにベッドから抜け出した。

 その勢いで彼女は部屋の外へ出ようとするので、足取りは危うく、何もない所で足をもつらせてしまう。


「――……あっ」

「――ッ。ネフィーさん!」


 危ういのは僕も同じだった。

 体の反応だけに任せて、背中から床へと落ちていくネフィーさんを受け止めようと、気が動転したままベッドから飛び出す。

 中途半端な起き上がりから、無理のある体勢で動いたので、彼女の下敷きになれず上へ重なってしまう。


 明らかな判断ミス。

 その事に刹那に行き着いた僕は、せめてもの抵抗でネフィーさんを抱きしめて衝撃を和らげる事にした。


 ――ドクン、ドクンと。

 お互いに重なり合う心臓の鼓動。


 大きく息をついて、ネフィーさんが無事であるかどうか、僕は少し体を起こして確認する。


「大丈夫ですか、ネフィーさん」

「えっ……。う、うん。大丈夫。ありがとう」


 体を離しても僕たちの間に空いた空間から、熱い音が伝わってくる。

 ネフィーさんの赤く染まった頬には、一筋の雫が目元から流れていた。


 理由はどうあれ、泣かせてしまった。

 その事実を目の当たりにして、心を冷やす自責の念が強まりかけたが、彼女の普段とは違う様子によって僕の思考は上書きされた。


「ネフィーさん、本当に大丈夫ですか?」

「う、うん。大丈夫。大丈夫、だよ……」


 何かを期待しているかのような瞳で、僕を見上げているネフィーさん。

 緊張も見て取れるけれど、少し口元が緩んでいる気もする。


 こういうのを恍惚こうこつというのだろうか。

 試しに彼女の頬を軽く叩いたり、伸ばしたりしても変わらない。


 もしかして頭でも打ったか?

 非常に不味い状態ならすぐ医者に見せないと。

 そんな考えが過ぎったところで、ふと僕たちの状況を指す言葉が脳裏を走り抜けた。


「あっ……。えっと、ネフィーさん。これは違うんです。誤解です。その……押し倒すつもりなんて無かったんです。ただ助けようとしただけで……」


 思い出すのは衛兵の仕事でよく一緒になる先輩。


 会うたびにネフィーさんと付き合わないのか?

 結婚とか考えないのか、と僕たちの関係性がいち早く発展する事を望んでいる人で。


 彼に吹き込まれた知識から、恋愛物語とかでも見かける行為に類似している事を、僕は今となって気がついた。


「う、うん。そんなの分かってる……。分かってるわよ! 何も期待なんかしてないんだから!」

「すみません。そんな事より早く退くべきですね」


 かなり不味いことをした。

 そんな自覚から僕はすぐに起き上がり、ネフィーさんから距離を置く。


 剣幕に怒鳴られるだろうなと覚悟を決め、息をのんで彼女の一喝いっかつを待っていたのだが、雷は待てども落ちてこなかった。

 何故と思い、体を起こし座り込んでいたネフィーさんの顔を覗き込むと、とても複雑な面持ちでこちらをにらんできた。


「別に良いけど。何か言う事はないの、馬鹿コウ」


 羞恥と悔しさに、落胆?

 それとも全てをひっくり返す、極まった怒り?


 ネフィーさんの言葉の真意は掴みかねるけど、僕は素直な気持ちを彼女へ伝えようとした。


「その……すみません。危険な目に合わせてしまって」

「ん……別に。それは怒ってないけど。――はぁ、もういい。アタシとコウは確かに一緒に寝たけど、何もなかった。そういう事で」

「はい。そうですね、それがお互いの為ですね」


 僕の謝罪に大きなため息をつきながらも、ネフィーさんは許しの言葉を告げてくれた。

 落ち着いたところでネフィーさんが部屋を出ようとしたが、その横顔に僕は引っ掛かりを覚える。


 すると一瞬だけ視線がこちらに向いた気がして、僕は別の言葉が聞きたかったのではと思い至った。


「それと僕も好きですよ、ネフィーさんのこと」


 そういえば寝言とはいえ、好きと言ってくれた事に対して、きちんとした返答をしていなかったなと。


 家族としても、異性としても。

 真っ直ぐに飾らない言葉をネフィーさんへ送ると、答えはすぐに返って来た。


「――……っぅ! ばっ、バッカじゃないの! やっぱり聞いてたんじゃない、このバカぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 再び顔をさくらんぼのように真っ赤にするネフィーさんは、壊れるんじゃないかと思うくらいの勢いで扉を閉めた。

 そして僕は一人静かになった自室で、朝食の時間になるまでやっぱり何か間違ったことをしたのではないかと、自問自答を繰り返すことにした。

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