第16話 雨上がりの朝

 それからしろくんは笑いがおさまると、自分の布団にもどっていった。まだあたりは暗闇にしずむ真夜中。雨はもうやんでいたが、眠れるわけもなく。

 東の空が白むのを待ち、ふたりとも起きだした。しろくんも眠れなかったのだろう。あくびをかみ殺し、大きく伸びをしている。


 昨日の夜に洗濯し、乾燥機にかけていたしろくんの服をわたす。ぬいだ浴衣は脱衣所のかごに入れておいてと頼んだ。

 着替えたしろくんは昨日やり残したネット注文の仕事をし、私は朝ごはんの用意をはじめる。


 ふたりで朝食をとり、今日は祖父の病院にお見舞いにいこうと約束した。奥の間の私の布団は二階にあげ、しろくんが使った布団を雨上がりの外へ干そうかどうか迷っていると玄関のチャイムがなった。


 床の間におかれた時計を見ると、九時前。こんな朝早く誰だろう。伯父が心配してきてくれたのだろうか。瞬間、しろくんがここにいるいいわけを考えた。しろくんも心配して朝イチで来てくれたといえば、伯父は信じるだろう。

 いちおう頭の中でいいわけを反芻しながら、格子戸をあけた。


 そこに立っていたのは、伯父でも伯母でも純にいちゃんでもなく東京にいるはずの母だった。


「お、お母さん。ど、どうしたの」


 あまりのサプライズに声が裏返る。


「始発の新幹線で来たのよ。昨日は大雨だったみたいだけど、遅延せずについてよかったわ。麻琴、ひとりで大丈夫だった?」


 大丈夫……と口に出せず、コクコクとうなずく私の横をすり抜け、母は町家の中へはいっていく。内玄関の戸に手をかけたところで、母を呼びとめた。リビングにはしろくんがいるのだ。伯父のために用意したいいわけを言えばいいのだけれど、この人にはたして通じるかどうか……。


「お、おじいちゃんのお見舞いに来てくれたんだよね。今からすぐにいこうよ。早い方がいいって」


 振り返った母は、あきらかに不審な顔をしている。


「何いってるの、こんな早くから面会できるわけないでしょ。ちょっとトイレにもいきたいのよ」


 勢いよく母は内玄関の戸をあけた。当然、しろくんが気をきかして二階へいっているわけもなく。キョトンとした顔でソファに座っていた。


「あ、あのねお母さん。この人、お店を手伝ってくれてるアルバイトの人で、昨日の雨で雨漏りしたって連絡したら、朝早く見に来てくれたの。この家二か所も雨漏りしたんだよ。困るよね。古くて。彼が応急処置してくれたから、大丈夫だよ」


 母が何か口にする前に、一気にたたみかける。話を合わせるようしろくんに目配せすると、察しがよくすっくとソファから立ちあがった。


「あの、もう雨漏りしてないみたいだから、桶とタオルは片付けておきました」


「あら、ご迷惑をかけたみたいね。ありがとうございます」


 母は愛想よくニコリと笑う。よかった、信じてくれたみたい。心底安堵したのだが、その気配を表に絶対出してはいけない。


「ちょっと、失礼します」


 母は抱えていたボストンバックを床へおきリビングの奥、脱衣所のむこうにあるトイレへと歩いていく。ドアが閉まる音を聞き、小声でしろくんに帰るようにお願いした。


 お見舞いはまた今度といって、しろくんはあわただしく帰っていった。

 トイレから出た母は、キョロキョロとあたりをうかがうと口をひらく。


「あら、さっきの子。帰ったの?」


「うん、急遽来てくれただけだし。もうここにいる用事ないし」


 あらそう。と母をそっけなくいうと奥の間へいく。しまった。まだお布団を片付けてなかった。母を追って奥の間へ入り、仏壇の前に座る背中からお布団を隠す位置に立つ。

 どうか、気づきませんように。そんなこわばる私の顔を、振り返った母は下から見あげた。


「昨日雨漏りしたから、ここで寝たの?」


 やっぱりお布団に気づいてた。でも、都合のいい勘違い。ではない、事実を察してくれた。


「そうなの、あんな音聞いて寝られないよね」


 私の言葉にうなずく母。よ、よかった。なんとか切り抜けられた。たった十分ほどの時間が永遠に思えるぐらい長かった。それから、食器を片付け母へコーヒーを入れ、祖父の見舞いへと病院へむかう。


 個室の病室へ入ると、窓から入る朝の光をあびて祖父はベットに座っていた。思いのほか顔色はいい。


「なんや、紘子。わざわざ東京から来てくれたんか」


「お父さん、びっくりしたわ。救急車で運ばれるやなんて」


 普段は標準語ではなす母だが、祖父や伯父と話す時は昔の感覚がよみがえるのか京ことばをつかう。母に連絡をした時は落ち着いているように感じたが、内心は驚いていたのか。

 母の本心にふれて、少しうれしい。私を束縛する母だけれど、母も祖父にとったら娘なのだ。


「まこも、びっくりしたやろ。入院の荷物おおきに」


「あれで、よかったかな。ほかに何かいるものある?」


「そやなあ、髭剃りがほしいわ」


 祖父は不精髭ののびた顎をさわった。


「髭剃りなんて、女の私らでは気づかんな。麻琴、私はここにいるし帰って取ってきてあげ」


 この病院まで歩いて、二十分ほど。いったん帰るのは面倒だけれど、私はうなずいて病室を出た。母がいない間に、しろくんの痕跡を片付けられると思ったのだ。

 家について、しろくんの使ったお布団を干さずに押し入れになおす。浴衣やタオルを洗濯機に放り込む。


 ついでに奥の間に掃除機をかけていると、ふいに名前を呼ばれる。飛びあがらんばかりに驚いて振り向くと、そこに母が立っていた。


「おじいちゃん、もう帰れって。病人あつかいされるのいやみたいね。ほんとわがままなんだから」


 私が持つ掃除機に視線を落とす。


「麻琴、朝あった男の子。昨晩ここに泊めたんでしょ」


 消し忘れた掃除機のモーター音がなっていて、助かった。なっていなかったら、喉の奥からもれた悲鳴が聞こえるところだった。





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