第15話 夢の中で
「しろ、こっちおいで、こっちや。そっちいったらあかん!」
幼い女の子が必死にしろを呼ぶ声がする。ちがう、その声を発しているのは自分。声がかれるほど、大きな声でよんでいるのに、しろは袋の中から飛び出し逃げていった。
体の芯から恐怖を感じさせる空襲警報がなり響く中、何も考えずしろを追いかけ走り出した。
早くしないと爆弾が落ちてくるかもしれない。しろ、しろと何度よんでもとまってくれない。どうしよう、しろが死んでしまう。そう思った瞬間、頭の上から何かが風を切るひゅるひゅるという甲高い音がして、地面をゆさぶる振動と爆音と爆風が同時におこり私の体は宙をまった。
「まこさん、まこさん。起きてください」
今度は私をよぶ声がする。おかしい、私がしろをよんでいたのに。ジワリとまぶたを開けると、にじむ視界の中にしろの姿が。
「よかった、しろ。生きてたんだね」
思わず上体をおこし、力の入らない腕で抱きついた。抱きついたのだけど、違和感がする。しろはちいさくてかわいい猫なのに、抱きついたものは私の体より大きくて硬い。
大きな体は突然抱きつかれてバランスをくずし、私ともつれ合うように倒れ込んだ。背中には柔らかいお布団の感触。私は爆弾に吹き飛ばされたんじゃなくて、眠ってたの?
ということは、あれは夢? えっ、私は何に抱きついたのだろう。体の上には人間の重みがのっかっている。いったいこの状況は……。
こわごわもう一度目をあけると、鼻先に人間のしろくんの顔が見えた。あまりの距離のなさに目を見ひらき、だまる私へむかってしろくんはいいわけをはじめた。
「あの、まこさんうなされてて。しろ、しろって何度もよんだんです。それで僕、悪いと思いつつ、まこさんに近づいて起こそうと思ったんです。だって、涙を浮かべて苦しそうだったから。そしたら、いきなり抱きつかれてひっぱられた感じで、いっしょにお布団へ倒れてしまって」
そう、その説明はあっている。私の腕はしろくんの背中にまわされたまま。すぐに振りほどけばいいのに、手のひらに伝わるぬくみを感じたらはなせなくなった。
「私、夢みてた。空襲の時の夢。よかった、しろは生きてたんだね」
しろは、抱きしめているしろくんなのか、猫のしろなのかもう自分でもわからない。とにかく手に感じるあたたかさにホッとして、とめどなく熱いものが目からあふれだした。
「しろは、たしかに生きてました。爆風でふきとばされたけど無事だったんです。糸子さんが亡くなった後も、この家でかわいがられて老衰で死にました」
しろくんの声を耳元で聞きながら、何度も何度もよかったと私はくり返した。散々泣いて、だんだん冷静さをとりもどしてくると、さっきとは違うあせりで血の気がひく。
ひょっとしてしろくんと私、お布団の中で抱き合ってる? 私の体はいつの間にか横むきになっていて、しろくんの胸に頬をすりつけている。で、しろくんの腕は私の背中にまわされてあやすように、背中をさすってくれている。はだけた浴衣をとおしたしろくんの心音と、手の動きが気持ちよくてだんだん落ち着いてきたのだ。けれど、その動きが今は心臓の鼓動を速めている。
いくらしろくんが元猫であっても、今は成人男性。私は幼女ではなく立派な大人女子。いや、しろを思って泣いたのは糸子さんなわけで、体は大人、心は幼女。ならば、この状況もけして無理はない。無理はない……って無理にきまってる!!
「ごめんね、もう落ちついたから」
必死で落ちついた声をしぼりだし、しろくんの胸板をおす。もうはなしてほしいというジェスチャーをしたつもりなのに、しろくんははなれていかない。
「あの、まこさんの中では今でも僕は猫のしろですか? それとも少しは猫田 真白って思ってもらえてますか」
この状況で、それ聞くの? おまけに、私の頭にしろくんのあごがコツンとあたり、私を抱きしめる腕に力がくわわる。そんな、これで猫だなんて思えないよ。しろくんは立派な猫田 真白という男性にきまっている。そう答えようとして、口をひらいたけれどすぐにとじた。
そういうことじゃない。気持ちとしてってこと。私にとってしろくんの存在は……。
「弟みたいだった。すごく頼りになる弟」
私の言葉を聞いて、しろくんの腕から力がぬけていく。
「猫じゃなくて、弟ですか」
「前世のこと知って、そりゃ猫のしろと重ねたよ。でも、今は弟でもなく猫でもなく……」
「じゃなくて、なんです。はっきりいってください」
「わからない。自分でもわからない。でも、しろくんの存在は私の中で大きくなりつつあるってことはたしか」
これで、納得してくれるだろうか。いくら考えても答えはでない。でないなら、正直に答えるしかない。顔をあげ、しろくんの顔を下からのぞきこむ。あきれた顔をしているだろうと思ったら、いがいにその白く整った顔は、いつものようにふにゃっと笑っていた。
ホッとしたのもつかの間、グングン顔が近づいてきて唇をうばわれた。羽でなでられたような軽いキス。それでも、私のファーストキスなわけで。息をするのも忘れた。
「猫になめられたと思ってください」
「思えるわけないでしょ!」
年下男子にいいようにされているようで、くやしくて私はクツクツと笑う胸板をぽかぽか殴ってやったが、ちっとも怒りはおさまらなかった。
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