第14話 ひとつ屋根の下

 古い町家の上と下にわかれて、二階の自室へ入ったのは夜十時すぎ。

 就寝するには、まだ早い時間。しかし雨はちょうど小康状態になり、雨音はしずか。


 この時を逃したら、眠れないような気がする。そう思い、あかりを消して布団に入ったのだが。

 暗闇の中に響く、水滴の音。ぴちゃん、ぴちゃん。もったいぶったように、間隔をあけて落下する雨漏り。


 やっぱり……。早く、桶をおかないと畳がぬれる。いそいで明かりをつけ、雨漏りの箇所を確認して階下へいそぐ。私の足音に気づいたのか、浴衣姿のしろくんが奥の間から出てきた。


「どうしました?」


 心配そうな声に、私は一呼吸おいて平静をよそおう。


「雨が小降りになったのに、雨漏りしだしたの」


 洗面所においてある予備の桶とバスタオルをもって階段をあがると、しろくんもついてくる。

 さすがに女性の部屋に入るのは気おくれするのか、タオルをひき桶をおく私を引き戸の前でじっと見ていた。


「この音だと、眠れないですね」


 一定のリズムを刻む水音。たしかにこんな音を一晩中、聞いていられない。

 聖域を踏みにじられた修道女とは、こんな思いをするのだろうか。安寧の場をうばわれ、心細さで胸いっぱいにして世俗へ放り出されるかわいそうな少女。

 ……オーバーな。それに私、少女じゃないし、大人女子だし。


「おじいちゃんの部屋で寝ようかな」


 軽い口調で、第二の安息地を提案した。向かいの部屋のふすまをあけ電気をつけると、なんとそこも雨漏りしていたのだ。

 もうどんなけ古いのよ。誰に対する悪態かわからないが、心の中で愚痴りながらも反射的に階段をかけおりる。今度は、台所からプラスチックのボールとタオルをもってきた。


 ぬれた畳をふきボールをおいてホッとするどころか、たれてくるしずくを呆然と見ている。これでとうとう一階しか寝る場所がなくなった。

 私の追い詰められた姿を見て、しろくんは遠慮がちに切り出す。


「僕、ソファで寝ますから。奥の間使ってください」


 そんなことは、させられない。大人女子として店主として、しろくんの雇い主――ではない――として。


「大丈夫、私がソファで寝るから。ね、しろくんはそのまま奥の間で寝て」


 私の提案を素直にきいてくれたらいいのに、しろくんは全力で抵抗する。


「そんなわけにはいきません。女性をソファに寝かせるとか。僕が寝ますから」


「そんなの気にしないで」


「だめです。あっ、僕の寝た布団だと嫌ですよね。まこさんの布団、下におろしますから」


 私の部屋へかけこんだしろくんは、肌布団ごと敷布団をふたつ折りにして抱え込もうとする。なんだこの状況。私が『いいから、いいから』と連呼してとめようとしても、布団を持ちあげてしまった。


「なら、いっしょに奥の間で寝よう。ね、そうしよう。それで全部まるくおさまるから!」


 張り上げた大声に呼応したのか、ふたたび雨足が強くなってきた。ふたりの間に流れる沈黙をうめるように、水滴のリズムが私の心臓のリズムとシンクロした。私だけじゃない、しろくんのリズムともシンクロしている。きっと。


「あの、いっしょに寝るってことですか」


 三つの重なるリズムを邪魔するしろくんの声。


「もちろん、お布団は別々だよ。いやなら、私がソファで寝ればいいのであって」


 おかしい、この話の流れだとまるで同じ部屋で寝たがっているみたい。でも、ここでしろくんが受け入れなければ、私は無事ソファで寝ればいいんだし。お願い。いやっていって、しろくん。


「いや、じゃ、ないです――」


 しろくんは真っ赤な顔をぷいっと横にむけお布団を抱えたまま、部屋から出て階段を勢いよくおりていった。そんなにいそいだら、あぶないよ。と声をかける暇もない。


 あれっ? 私、どうしてしろくんといっしょに寝ることになったのだろう。なんでそうなった。さっぱり意味がわからない。でも、いい出したのはたしかに私。いまさら、私からいやですとはいい出せない。


 瓦に当たる雨音を聞きながら、一段一段ゆっくりおりていく。おりていく途中で、雷の音が遠くから聞こえて来た。もう、ぐずぐずネチネチ迷っている場合じゃない。

 とにかく、お布団に入ってすぐに寝ればいいんだから。


 音を全く立てないことが私にかせられた使命。という心持ちで開けたふすめをにぎる手に力が入り、せっかく無音だった空間にガタっと動揺の音がはしる。

 入って右手には仏壇と床の間。奥の壁にひっつけて敷かれた布団の上で、正座するしろくん。


 その布団から十センチほどはなされ、ふすまギリギリに敷かれた私の布団。ちゃんとシーツのしわはのばされ、ふわりと肌布団がふたつ折りにされていた。

 せまい京間の六畳ではこれ以上、布団の間隔はとれない。


 ゴクリと生唾を飲み込む私にむかって、しろくんは深々と頭をさげた。


「おやすみなさい」


 さっと身をひるがえし布団にもぐりこむと背中をむける。布団から出ている肩は呼吸に合わせ、大きく上下していた。


「おやすみ」


 私も布団にもぐりこむ。横をむいても上をむいても、ましてやしろくんの背中を見ながらなんて、眠れるはずもない。

 たぶん寝ていないだろうしろくんの後頭部を見ながら、今晩だけは猫のしろにもどってくれたらいいのに、という都合のいいことを考えていた。





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