第4話 振り袖の少女
「いやーその人は杜氏の息子さんで、
おばあさんは、感心したというふうにあいるさんの顔を見た。
「あ、えっと、なんか、写真の感じから杜氏の人かなって。でもこんなに若い杜氏さん、いませんよね。蔵人でしたか――」
あいるさんの苦しい言い訳に、とくだん不審に思わずおばあさんは、はなし続ける。
「その写真ね。創業三十年の記念の写真で、当時の杜氏や
写真の横には昭和十年としるされていた。
「あ、あの私日本酒好きで、もっと当時の詳しいお話しとか聞かせてもらえませんか」
あいるさんの申し出に、おばあさんはうれしそうに、
「ちょっと待っとって」
というと酒蔵を出てしばらくしてから、古いアルバムを持って帰って来た。
おばあさんはアルバムをくりながら昔話のように、お姑さんに聞いた昭和初頭のはなしを語って聞かせてくれた。
現在では酒造メーカーの社長や従業員が杜氏をつとめるケースが多い。しかし昔の杜氏は、配下の蔵人とともに冬の間にやってきて、そのシーズンの酒造りをまかされる季節労働者だったそうだ。
杜氏はいわば酒造りの責任者。蔵人をつかって一年分の酒をしこみ、春になると蔵人をつれて地元へかえっていく。
普段は、農業や漁業をなりわいにしている人々。冬の厳しい季節、出稼ぎにくるという側面もあったそうだ。
この伏見は越前からやってくる杜氏集団が多かった。写真に写っているメンバーもその越前からきた杜氏と蔵人たち。
アルバムには長い棒を持ち、いくつも並ぶ樽の中をかき回している杜氏と蔵人の写真があった。夜の作業らしくランプのともる人影が白壁に映し出されていた。
あいるさんが指さした人物も、アルバムの中の写真にもおさまっていた。セピア色の写真でもわかるほど色が黒く、精悍な顔だちの青年。
この人が、夢の中に出てきた冬に訪れる人だろうか。たしかに、夢の中の内容といっちする。
「うち酒造りやめてひさしいのに、息子が家業を再興したい言い出したんは、五年前どすわ。いざはじめよう思ても、かつての杜氏集団は解散。残った資料をたよりにするしかのうて。こまり果ててたら、ふらりと酒井くんが訪ねてきましてん」
「杜氏の遠縁の人、酒井さんってゆうんですか!」
大人しくはなしを聞いていたあいるさんが、とつぜん大声をあげた。
おばあさんは目を白黒させながらも、そうだと答えた。
「若いのに、酒造りのことよー知っててびっくりしましたわ。聞いたら、昔の杜氏の血筋やて。福井から突然、酒造りしたなって、うっとこに来たんやて」
その酒井さんに、会えば何かわかるかもしれない。私は口をはさむ。
「あの、酒井さんはいまどちらに」
「今は、大手筋の商店街でバーみたいなん経営してますわ。うちの社員になってほしいゆうたんやけど、ここにずっといるのはつらいて、なんやわけわからんこといいましてなあ。いまは忙しい時だけ手伝いにきてくれますのんや」
ずっといるのが、つらい? どういうこと……。
私はちらりとあいるさんの横顔を見る。うつむいた顔は無表情で、アルバムの中の一枚の写真を凝視していた。
それは、蔵元の家族の写真のようだった。両親を真ん中にして小さな子供たちと兄らしき青年といっしょに、華やかな振袖を着た少女がすました顔でうつっていた。
「この人、ここの娘さんですよね。あの、この写真のあと、えっと、どうしはりました?」
奥歯にものがはさまったようなもってまわったいい方。いつものあいるさんらしくない。
「ああ、この人は主人の叔母です。かわいそうに、二十歳にもならんと結核で亡くなったて聞いてます」
ギュッとまぶたをとじ、おばあさんの言葉を一言ももらさないようじっと聞いているあいるさん。ひょっとしてこの人が、夢の中の人……。つまりあいるさんの前世?
夢の中の人は空ばかり見ていると、あいるさんはいっていた。私はアルバムの中の少女へ視線をもどす。つまりこの人は、病床にふしていたということなのだろうか。
「いや! どないしはったん。どっか具合わるいん?」
おばあさんの素っ頓狂な声に驚いて、アルバムから顔をあげるとあいるさんの頬に一滴の涙がつたっていた。
あいるさんははずかしそうに泣き笑いの顔になり、ぎゅっと目をつぶると瞳にたまったしずくがはらはらと流れ出した。
「ごめんなさい。びっくりさせて。その亡くなった娘さん、いろんなことしたかったやろうなあて、かわいそうで。なんや涙が出てきた」
「おおきに。あなたやさしい人やねえ」
おばあさんも、もらい泣きなのか着物のたもとで目頭をおさえていた。
しんみりした空気がおさまると、私たちはお暇を申し出た。
するとおばあさんはまたどこかに消え、戻ってきた時には五百ミリサイズの酒瓶を二本さげていた。
「これもろて。うっとこのお酒『天空』ゆうの」
そういって私とあいるさんに一本づつ手渡した。
あいるさんは、おばあさんの手を押し返す。
「そんな、お話聞かしてもろただけやのに、こんなお酒まで。お金はらいます」
私もあわてておばあさんに、酒瓶を返そうとしたのだが。
「なんや、あなたたち他人には思えへん。遠い親戚の娘さんが、帰って来てくれたみたいな感じして。こんなおばあさんの話聞いてくれたお礼や。おおきに」
あいるさんはたしかに、親戚といえば親戚のようなものかもしれないが、私まで。申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、あいるさんが素直にもらったので、私ももう何もいわなかった。
最後に門まで見送ってくれたおばあさんに、酒井さんのお店の名前をあいるさんは聞いた。
「大手筋の銀行の横にある『
おばあさんに何度も頭をさげ、私たちは大手筋へ戻ってきた。
いわれた通り、銀行の隣に千歳というお店があったが、今日は定休日だった。
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