第3話 前世

 リンカネーション定休日の月曜、時刻は二時すぎ。私とあいるさんは、京阪電車の伏見桃山駅の改札をそろって通過した。ふたりの左手首には、ミサンガが巻かれている。


 駅を出て左手、大手筋の商店街の中を進んでまっすぐ進んでいく。

 平日の昼間。商店街を歩く人はまばら。だけど、夕方には買い物客でにぎわうのだろう。さびれた雰囲気のしない活気のある商店街だった。


 松本酒造の位置はあらかじめ調べてあった。

 途中でアーケードはとぎれても、まだ大手筋を歩く。駅から十分ほどいくと、焼き杉の板が張られた壁が右手に延々と続く。あのレンガの煙突も見えてきた。ここが松本酒造だろう。塀がとぎれ、煙突が近くに見える。すると小さな川にでた。


 右に折れ川沿いの遊歩道に入り、松本酒造の全体像をのぞむ。レンガの煙突に、丸窓のあるレンガの建物。小窓がずらっとならんだ酒蔵。あのポスターと同じ景色。

 駅から一言もはなさなかったあいるさんは、一心にその風景をみている。すると、熱に浮かされようなふるえる声を出した。


「ここ、ここであの人とうてん。うち、ここに来たことある」


 普段のあいるさんの人称はなのに、今といった。今話していたのは、本当にあいるさん? それとも夢の中の人?

 その恍惚とした表情から、あいるさんの断片を私は必死に探す。


「あいるさん、来たことあるって夢の話であって――」


 おそるおそると発された私の言葉は、宙をさまよい届かない。あいるさんがとつぜん身をひるがえし、もと来た道を走り出したのだ。あわてて私も走り出し後をおう。


 私は、はっきりいって走るのが苦手。しかし見失っては大変と必死にあいるさんの背中をおいかける。季節は初夏。走り出すとたちまち汗がふき出してくる。


 あいるさんは大手筋を駅の方角にひた走り、ふいっと左へまがり、住宅街の細い道を走りぬける。まるで目的の場所に導かれるように、迷わず走っていく。私も必死についていく。

 伏見には来たことがないといっていたのに。いったいどこへむかっているのか。前世の自分にせきたてられているのだろうか。


 私の前方であいるさんは、やっと足をとめた。ぜーぜーと息ぎれしつつ近づき、彼女が見あげる視線の先を見た。

 石柱が建つ門の上に大きな杉玉がぶら下がっていた。ここも酒造メーカーなのだろう。石柱には、『藤光酒造』と書かれた看板がかかっている。


 膝に手をおき、息を整えている私の横で、あいるさんは門を通り中へ入ろうとする。とっさに、腕をつかんだ。


「待って、勝手に入ったらダメですよ」


 私の言葉に、あいるさんはきょとんとしている。


「なんで? うちの家やのに」


 完全に、前世の人格が出てきているみたい。こんなことってあるの? 

 夢を見るだけじゃなく、前世の人格が出てくるなんて。私はこわくなり、つかんだ細い腕を強くゆさぶった。


「あいるさん、しっかりして。ここはあいるさんの家じゃないでしょ。あなたは大阪出身の薬剤師。ここは、あなたの家じゃない」


 焦点のあっていなかった目がだんだんと生気をとりもどし、私をしっかりと見返す。


「えっ、私いま変なことゆうた? えっ、ここどこ? あれ? いつのまに移動したん」


 おろおろと周りをみまわすあいるさん。私は大きく息をはき出した。

 よかった。もとにもどった。でも、これからどうしよう。夢の中で会いたい人のヒントは確実にここにありそうだけれど。

 門の奥をのぞくと蔵が建ち並ぶ静まり返った雰囲気は、気軽にふみこめそうにない。


 すると、私たちが騒いでいたからか、事務所とおぼしき建物の中から人が出てきた。着物姿のおばあさんだった。


「あれあれ、どないしはったん。蔵の見学どすか?」


 若い女性ふたり組なので、観光客と勘違いしたのだろう。私はその勘違いを利用させてもらった。


「はい、あの見学とかできるんですか?」


 おばあさんは、人のよさそうなニコニコ顔になる。


「どうぞどうぞ、うちの蔵の歴史の説明からお酒の試飲もできますさかい」


 その笑顔に罪悪感を覚えたが、蔵を見学させてもらうことにした。まだ、呆然としているあいるさんの腕をひっぱり、おばあさんの後へ続く。


 道路に面した酒蔵は内部が改装されていて、試飲もできるカウンターのある見学スペースになっていた。外気と比べひんやりとした空気にのって、ほのかに日本酒独特の甘い匂いもただよってくる。

 私はお酒が飲めないからとくに何も感じないけれど、お酒が好きな人にはたまらない空間なのかもしれない。

 そして漆喰の壁には蔵元の歴史を物語る古い写真が、何枚もかけられている。あいるさんはそれらを、食い入るように見ていた。何かを探すように。


 おばあさんは暇なのか、案内したあともそこにとどまっていた。お客さんは、私たち以外誰もいない。

 沈黙にたえられず、私は口を開く。


「すごく、歴史のある蔵元さんですね」


「いやーうちなんて、この伏見の中では歴史の浅いほうですわ。それに、一回商売たたんでますし」


「えっ?」


 たたむって、倒産したってこと?


「うちの主人わこおで亡くなりましてな。息子もまだ小さあて。商売つづけられへんどしたんや」


「じゃあ、また復活されたんですか」


 一度やめた商売をもう一度再開することは、並大抵のことではできないだろう。こんなに大きな蔵元ならなおのこと。

 うちのリンカネーションでも大変だったのだから。


「息子がサラリーマンやめて、家業を再びはじめたい言い出しましてなあ」


 いかにも困ったという口ぶりだったが、うれしげに顔のしわがより深くなっている。


「そしたら、偶然にもうちの酒造りをまかせてた杜氏とうじの遠縁の人がある日訪ねてきましてん」


 天井の高い酒蔵に、あいるさんのするどい声が響いた。


「杜氏……杜氏てこの人ですか!」


 セピア色の集合写真に写っている青年を指さしていた。







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