第14話 額田王

「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る。って額田王の有名な和歌やけど」


 少々あきれた顔で私を見る、あやちゃん。少々教養のなさをあせる、私。


「それと、この二色の染め糸とどう関係あるの」


「この歌に出てくる色やん。茜と紫。で、この和歌も恋の歌やし。会いたい人のおまじないと、ひっかけたんやない?」


 内玄関のあく音がして、祖父がひょいと染め糸の部屋をのぞく。


「紫草も茜も、古代から薬として珍重されてきたんや。それになあ、驚きなや」


 足元にいたあおくんをだっこして、祖父はさあ今から驚いてや、という顔をする。たいていこの顔で発されることは、眉唾ものだった。


「うちの先祖は、額田王なんや。そんで、額田は巫女であり不思議な力があったっともいわれてる。そやから、そのミサンガゆうもんに不思議な力があるんちゃうか」


「「またまた~」」


 あやちゃんと私は同時に否定する。


「うちの近所の蘇我さんかて、うちは蘇我氏の生き残りやゆうたはったで。名字がいっしょなだけ、蘇我さんの方がましやわ」


「そうそう、大学の同期の子に、先祖は大津皇子だっていってた大津くんがいた」


「そやろー、みんな好き勝手にうちの先祖自慢が始まんねん。そんなすごいご先祖さんなわけないやんな、一般庶民が」


 ふたりが口々に、祖父のとっておきの話にケチをつけるものだから、祖父はむくれて何もわからない、あおくんにはなしかける。


「あお、ロマンがわからんおなごはつまらんなあ。さあ、辰巳公園に遊びにいこ。男同士でロマンを語り合おうやないか」


 そういって、近くの公園へ遊びに出かけていった。


「一歳児となんのロマン語り合うねん、ほんま」


「おじいちゃんも、年だし。ちょっと誇大妄想入ってきたのかな。どうしよう」


 祖父の言動に心配して私がいうと、あやちゃんはケロッとしている。


「大丈夫や、昔からああいう話大好きやったから」


 それならいいかと、ようやくミサンガに話がもどる。


「色は茜と紫紺染めの糸。で、編み方はねじり編み。らせん状に編みあがるんやけど、同じことの繰り返しやし初心者にも編みやすいわ」


 レース糸は四本用意する。濃いピンクと紫の糸を二本づつ。四本まとめてくくって、マスキングテープで机に固定する。最初三センチほどは、四つ編みに。


 そして、いよいよねじり編みの部分。しんの糸(ピンク、紫)二本を真ん中にして、左にピンク、右に紫をおく。まず、左糸をしん糸に対して数字の4の字になるようにおいて、左糸としん糸でできた輪っかに右糸を下から通す。


 これを繰り返していけば、きれいならせん状になるはずなのだが。

 私の手元の糸は、何回繰り返してもらせん状にならなかった。


「あれー、なんかきれいじゃない」


「ぎゅっとしぼりすぎると、きれいにならへん。しぼり方を均一にしな」


 そういってすいすい編むあやちゃんの手元を、凝視する。なるほど、しん糸を親指で固定して、適度にしぼるのか。技をぬすみ見て、私は新しく糸を用意していちから編み始めた。


 しばらくたつと、四本の糸がきれいに渦をまき、らせん状に編みあがってきた。


「やった、きれいに編めた」


 手首の長さに編めたら、最後にまた三センチほど四つ編みをしてまとめると完成。


「思ったほど、時間かからなかったね」


 私はキッチンで紅茶をいれてきて、あやちゃんお手製のフロランタンをいただく。

 お皿にフロランタンを出しながら、あやちゃんはできあがったミサンガをみる。


「茜染めは赤から濃いピンクまであるから、紫のトーンと合わせたらしぶい感じにも、かわいい感じにもなるわ」


 なるほど、茜と紫根染めならどの色でもいいということか。あやちゃんと私のミサンガを並べておいてるが、やはり昔取った杵柄。あやちゃんのミサンガの方が、きれいな仕上がりだった。


 そういえば、この組み合わせは。あいるさんが買って帰った木製のミシン糸の芯に巻かれた絹糸も、茜と紫根染めの糸だったような。


 まさか、そのせいで変な夢を見始めたとか……。いやいや、祖父の与太話を信じてはいけない。パリッといい音をさせて、私はフロランタンにかぶりついた。


「ん-ーおいしい。サクサクだね、このフロランタン」


 フロランタンはものによったら、クッキー生地がしっとりして上にかかったキャラメルがねちょっとするものもある。

 私は、クッキー生地が薄く表面がパリッとした方が好みだ。


「ヌガーに水あめつかってるから、歯切れがいいやろ。しっかり焼いて水分とばしてるから、日持ちもするし――」


 ここまで言って、あやちゃんは持っていたティーカップをそっとおいた。


「あんな、このフロランタン日持ちするし、リンカネーションでおいてくれへんやろか」


 とつぜんのあやちゃんの申し出。詳しく聞くと、以前勤めていた洋菓子店の厨房をかり、お菓子をつくって販売したいという。洋菓子店におくほど大量につくれないし、この店なら少量でもいい。


「でも、そんな少しだったら、あんまりお金にならないよ」


 私は、店主として意見をいう。うちの店としても、お菓子がおいてあればいいと思う。資格のある人物がちゃんとした施設でつくったお菓子だから、うちでも売り出せる。

 でも、そんな大量には売れないと思うのだけれど。


「お金じゃなくて、なんやろ、社会とつながってたいというか。いきなり復帰するより、助走期間みたいな感じかな。それに、毎週つくれるとはかぎらんし」


「わかった。しろくんに、聞いてみるね」


 その言葉をきいて、あやちゃんはホッとしたように、ふたたびティカップに手をのばした。





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