第2話 ネットショップ
今日の夕飯は私が料理当番。メニューは、ハヤシライスにグリーンサラダ。そして、いとこのあやちゃんがもってきてくれた、自家製のチョコレートケーキ。
パティシエとして働いていたあやちゃんの作るケーキは、どれも絶品。今日のチョコレートケーキも、まちがいなくおいしいはず。
だから、ルーをつかったハヤシライスでもしろくんには、満足していただけると思う。しょうがないのだ、今日はあれからお客さんが途切れることなく来店され、忙しかった。けして手抜きではない。
男性ふたりは何もいわず、もくもくとハヤシライスを食べていた。私はウールの着物を着た祖父の薄い頭頂部へ話しかける。
「おじいちゃんは、会いたい人に会えるミサンガって知ってる?」
「はっ? なんやミサンガて」
私の横からすかさず、説明がはいる。
「ミサンガとは、三十年ほど前サッカーJリーグ発足時に、Jリーガーたちがつけていたお守りからはじまったとされる、プロミスリングのことです」
「つまり、おまじないみたいなもの。今日お店にきてくれた高校生が、むかしここにあったって。おばあちゃんから聞いてない?」
祖父はスプーン片手に首をひねった。
「さあ、染め糸屋には、わしノータッチやったからなあ。そんな話聞いたことないわ」
やっぱりか。かくなる上は、横井さんに聞くしかない。
「じゃあ、横井さんなら知ってるかな。明日でもおうちへ聞きにいこう。ちょうど明日は定休日の日曜日だし」
横井さんの家は、この土田家の町屋から数件南へさがった所にあった。
「ちょと待ちや! 横井のばあさんに聞かんでもええ。そんなん聞いたら何いわれるか、わかったもんやない。今日も茶会で顔合わせたのに。けったくそ悪い。いま思い出すさかい!」
腕組みをして考えはじめた祖父を見て、ため息が出た。
横井さんは、祖父より五つ年上。ふたりは子供のころからの幼なじみ。幼なじみというか、祖父の亡くなったお姉さんのお友達だったそうだ。横井さんいわく。鼻たらしながらお姉さんの後ろをおいかけてたくせに、えらそうにしてからに。だそうだ。
祖父の黒歴史を知る横井さんは、まさに祖父にとって天敵。これは、聞きにいけないような。どうしよう。あと、聞けそうな人は……。思案にくれる私の視線と祖父の視線が、チョコレートケーキの上でからまった。
「そうや、綾美がおった。綾美に聞いたらええわ」
明るい祖父の声に、私は反論する。
「三十年前って、あやちゃんうまれてないよ」
しろくんが、すかさず訂正する。
「ミサンガブームは三十年前ですが、会いたい人に会えるミサンガが三十年前にあったかどうかは、さだかではありません」
「綾美は小学生のころ、よお店に出入りしてたし知ってるかもしれん」
あやちゃんと純にいちゃんのご両親は、そろって土田商店で働いていた。だから小学生の時は自宅のマンションではなく、この町家に帰ってきていたそうだ。
私はポケットからスマホを取り出した。
「そっか、じゃあ聞いてみようかな」
祖父は私の言葉に、ちらりとリビングにかけられた時計を見る。
「今はやめといた方がええな。あの家は今ごろ戦場やろ」
時刻は七時をまわったところ。私は肩をすくめた。
「今は、お風呂に入れてる時間だね。あとでメッセージ送っておくよ」
食事が終わり、チョコレートケーキをおいしそうに頬張っていたしろくんが、フォークをおいた。
「お風呂に入れている戦場ってどういう状況なんでしょう。僕、さっぱりわかりません」
「ああ、あっこは一歳になる子供がおんねん。つまりわしのひ孫な。まあそらかわいいんやけど、なんせ男の子でやんちゃなんや。おまけに風呂が嫌いで入る前に逃げ回るし、入ったら入ったで泣きわめく。毎日この時間は戦場というよりも、地獄やな」
「今日は土曜日で旦那さんいるからましだけど、平日はあやちゃんひとりでお風呂いれてるんだって」
しろくんは、食べていたチョコレートケーキに視線をおとす。
「子育て中でお忙しいのに、こんなおいしいケーキをつくれるんですか。お母さんってすごいですね」
「ケーキをつくるのはストレス発散になるし、製菓の技術を忘れないためだって。あやちゃん、ちょくちょくケーキ持ってきてくれるから、また食べられるよ」
私がそういうと、しろくんはふにゃりと笑った。これは本心からの笑顔だな。ネット販売をしぶっている私を、懐柔するさっきの笑みとちがって。
「ネットショップのはなしだけど。システム組むの大変じゃない? ホームページはなんとか私つくれるけど」
横井さんの呪縛から解放された祖父は、食欲が進むのかハヤシライスを頬ばりながら聞いてきた。
「なんや、ネットショップはじめるんか。そらええわ。これからはなんでもネットの世の中やしな」
私より頭の柔らかい七十八歳にいわれては、対面販売にこだわっている私がなんだか時代遅れもはなはだしく思えてきた。
今はこだわりより売り上げアップをめざさないと、お店じたいなくなるかもしれない。
「ショップは、外注してつくってもらおうか。美大の同級生に詳しい人いるし――」
私の言葉尻をとらえ、しろくんは笑顔のままいった。
「自サイトに決済サービス機能を追加するだけで、いいんですよ。まこさんがホームページをつくって、あとは僕がします」
どこまで有能なんだろう、この人……。
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