第13話 鈍感な、まこさん
「しろくん、授業は?」
しろくんの出現で、私限定の気まずい空気はとけてなくなった。
ほっとして笑いかけたけれど、相変わらずの無表情。そして、こちらに荒々しい歩調でズンズン近よってきた。
しろくんの少し茶色い猫っ毛に、春のやさしい日差しが降りそそいでいる。のんびりした光景なのに、黒く大きな目が私をいすくめた。
「講義がとつぜん休講になったんです。だから、まこさんまだ蚤の市にいるだろうと思って」
切羽つまった声音に驚く。
「い、今、休憩してたとこ。せっかくきてくれたけど、そろそろ――」
ちらりと純にいちゃんをみた。遅刻していいとはいえ、もうタイムリミットはせまっている。もう帰らないと。しろくんには悪いけど。
「ちょうど、ええやんか。俺は荷物もって帰るわ。まこは、まだいたいんやろ?」
「えっ、でも。そんな。純にいちゃんひとりに、荷物運ばせるなんて」
「かまへん、荷物は店にいれとくさかい」
そうして、三人で午前中仕入れた商品を社用車のバンにつみこみ、私としろくんは、二条通りを走っていく純にいちゃんをみおくった。
なんかあっけなかった。でも、もうちょっとみたかったから、よかったのかもしれない。それにこれ以上いっしょにいたら、きっと心臓がもたなかった。しろくんがきてくれてよかったと思い、さっきから何もしゃべらない横顔をうかがう。
「あの、どうかした? 体調でも悪い?」
おずおず聞いても、しろくんの機嫌はなおらない。
「いえ、自分でも驚いてるんです。予想できた光景を、予想通りみただけなのに」
「えっ?」
意味不明なセリフにハッとする。ひょっとして、私と純にいちゃんが仲良くしてたから、焼きもちやいた?
しろくんは、純にいちゃんのこと好きだから……。
いやいや、しろくんのネコ疑惑は終わったはず。勝手に人様の心情を想像してはいけない。
いけないけれど、しろくんが純にいちゃんにちょっと冷たいわけがわかるような。ツンデレってやつなのかな。包容力のある兄貴系年上の攻めに、ツンデレの猫系年下の受け。
テッパンすぎる。……いやいや私、腐女子じゃないから。ただ、美大の友だちの二次創作を手伝っていただけで、けっしてちがう……。
妄想を暴走させている私の顔を、しろくんはとつぜんのぞきこんできた。
「まこさんって、鈍感ですよね」
「ど、鈍感?」
どうしよう、いけない妄想がだだもれてた?
「でも鈍感なおかげで、僕はここにいられる。だから、その鈍感に感謝します」
そういって、ニッと薄い唇のはしをあげた。
まったくもって意味がわからない。
しろくんは、ひとりで怒ってひとりで解決している。私ぬきで。
わからない。わからないけれど、とにかくあやまっておこう。どうも、怒らせたのは私みたいだから。変な妄想をした罪悪感もくわわり、いい訳がスルスルと口をつく。
「あの、ごめんね。しろくんもいっしょに仕入れたかったよね。でも、早い時間にきたから、いろいろ買えたんだよ。たとえば――」
「そのはなし、店に帰ってからききます。とにかく僕はいま、まこさんと蚤の市を楽しみたいんです。さっ、いきましょ」
そういって、私の腕をぐっとつかみ強引に蚤の市の方へひっぱっていったのだ。
しろくんとお店をまわるのは、ひとりの時よりも楽しかった。たとえば、古い鍵をみつけてかわいいといえば、かわいという同じ反応がかえってくる。
おまけに、どうやって使うかと聞かれれば、古い鍵を使ったアイデアまで浮かんできた。
「この鍵に革ひもを通して、ペンダントにしてもいいし。ひもを短くすれば、キーホルダーとか」
「なるほど。ただ売るだけじゃなくて、古物の使い方を提案するのも、ひとつの販売戦略ですね。ハンドメイドの資材がおいてあるあっちの店に、革ひも売ってましたよ」
というように、話がどんどん展開していく。
こんな感じで仕入れを続け、もうそろそろ帰ろうかという時に、おもしろいものをみつけた。
しゃがみ込んで段ボールの中をみつめる私に、しろくんは不思議そうに声をかける。
「これ、なんですか」
高さ五センチほどの木でできた円筒形のものを、しろくんは段ボール箱の中からひとつつまみあげた。
「これ、ミシン糸。ミシン糸を使い終わって芯の部分だけになったものだよ」
「あー小学生の時の裁縫箱にはいってました。でも、あれはプラスチックの芯に糸が巻かれてましたけど」
「むかしは、木製だったの。普通使い終わったらすてるんだけど、こんなに残ってる。これいい、ぜんぶ買う」
私にはめずらしいきっぱりしたものいいに、しろくんは面食らっている。
「ぜんぶ買うって、すごい量ですよ。これ、売れます? 僕いまいちこれのよさが、わかりません」
たしかに、箱の中の木製の芯はほこりをかぶって薄汚れていた。でも、きれいにふいて手をくわえれば、絶対かわいくなる。
納得しきれないしろくんを無視して、私は店主さんに声をかけていた。ぜんぶ買うから、七掛けにしてくださいと。
*
大きな箱をかかえ私たちが市バスにのりこむと、乗客の視線がこちらへ集中する。箱をかかえたしろくんにあいている席にすわるよううながされ、ストンと腰をおろす。背中にリュクをせおい、段ボール箱を抱えてたつしろくんへ両腕をのばした。
「その箱、膝の上におくから貸して」
調子にのって、ぜんぶ買ったものだから大荷物になってしまった。純にいちゃんが帰ったのだから、行きとちがい車ではないということを忘れていた。
「いいですよ、これぐらい大丈夫です。大きいけど中身軽いから」
「でも――」
言葉をにごす私に、しろくんはなおもいう。
「僕こうみえても、力はあるんですから。頭脳いがいにもたよってください」
そういわれては、ひきさがるしかない。膝の上の紙袋に入った大量の鍵が、バスのゆれに合わせガチャガチャと音をたてている。こすれあう音が胸の奥へ、チリチリとひびく。
『ごめんね』っていおうとして、やめた。こういう場合はちがう言葉。さっき純にいちゃんにもいわれた。
「ありがとう」
そういうと、しろくんは顔のパーツがすべてゆるんだいつもの笑顔になる。
市バスは東山通りを北上し、百万遍を左折して西陣へむかって走っていった。
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