第11話 革のトランク
「ト、トピカルってなんですか」
わからないことは、どんどん聞いていこう。私若いんだから、知らなくてあたりまえ。今日の仕入れは勉強もかねている。そう心に念じた。
「あー、トピカルちゅうんは、切手の図案で分類することや」
そこまでいって、女性はテントの奥から段ボール箱をかかえてきて、中をみせてくれた。
「ほら、たとえば、花の図案ばっかりのとか、こっちは鳥な」
手渡された小袋の中には、バラや百合の切手など。色とりどりの花の切手がつまっていた。
「すごく、きれい――」
私のもらした感嘆の声に、店主さんはうれしそうになおも説明してくれる。
「せやろ、外国の切手はとくに図案がこっててきれいやねん。ヨーロッパの小さい国なんて、切手を発行して重要な資金源にしてるところもあるぐらいや」
「こういうの、コラージュにもつかえますよね。樹脂で固めてデコってもいいし」
私は切手のアイデアを、早口ではなす。いいアイデアが頭の中で消えないうちに、言葉にしたかった。
「そやそや、高額な切手はコレクター用やけど、安くてかわいいのはハンドメイドの材料にする人もいるわ。今の人気はキノコと猫かな」
猫……。ちょうど目についた、猫ばっかりの小袋を段ボール箱の中からみつける。
しろくん、みたい。白い猫がすました顔でおさまる切手に笑いがもれる。
けっきょく、その店でカードや切手古い楽譜を大量に購入した。そもそも値札がついていないものばかりだったけど、たぶん安くしてくれたはず。
支払いの時、お互いのショップカードを交換した。ショップカードなんて今までつくらなかったけど、こういう時のためにいるとしろくんにいわれてつくったのだ。
「うちの店の名前、『ベル』な。なんかほしいもんあったら、いつでも連絡して。主にネットで商売してるし」
初めての仕入れは、うまくいった。いい店主さんでよかった。ちょっとだけ自信がついた私は、どんどんお店をのぞいて小物中心にみてまわる。あと、店におく什器もほしいのだ。
商品がふえれば、店舗の什器がいる。プリンタートレイや小引き出し、状態のいいものをみつけては値切るのを忘れずに買っていった。
一般のお客さんも増えてきた。会場中に活気がでてくる。ますます、私のテンションもあがっていった。
両手いっぱい買った品物がずしりと重い。そろそろ純にいちゃんを呼ぼうかと思っていると、ずっと探していたものをみつけた。
旅行用の革のトランク。他の店にもおいてあったが、状態が悪かった。
しろくんにいわれてきたことは、価格の安いものばかり仕入れてはダメだということ。価格帯を三段階にわけ、高中低の中になる商品も仕入れよ。
このミッショにかなう商品のひとつに、トランクを設定していた。革のトランクは、かざっていても絵になるけれど収納としてもつかえる。
目の前のトランクは、大中小の三つのトランクが重なっておいてあった。まとめて三つともほしい。状態は、多少よごれているけれど鍵などはこわれていない。
でもタグをみると、かなり高めの値段設定だった。高いタグがついていると、それだけ価値のあるものだとついつい思ってしまう。
でもいろいろ品物と値段をみて、相場の値段がだいたいわかってきたのだ。この値段は見せかけで、ふっかけている。
三つ買うから安くしてって、いってみよう。
私は、年配の男性店主に臆せず声をかけた。
「このトランク、三つまとめて買いますから、まけてもらえませんか」
眼鏡の奥のつり目が、ギッとこちらをにらんだような気がした。
「はっ? おじょうちゃん。業者か」
私の両手いっぱいの荷物をじろじろみて、そのおじさんはいう。
「うちは、業者向けに最初から安う設定してんねん。これ以上まけられんわ」
冷たい声にひやりとしたが、思わず言葉がもれる。
「えっ、でも、この値段――」
……高い。といいかけて、やめた。
きっと私が若い女の子だから下にみられている、値段なんかわからない小娘だって。
どうしよう。ここで他の店の値段をいっても、このおじさんの神経をさかなでしそうだし。あきらめるしかないのかな。
せっかくいいトランクなのに。いい値で買うのも、しゃくにさわる。
「おっちゃん、そんなこといわんとまけたってえな。この子こう見えてなかなかの目利きなんや」
背後から聞こえた声は、純にいちゃんだった。
「なんや、つれがおんのか。にいちゃん、ちゃんとみといたり。女の子だけやったらなめられんで」
よ、よくいう。今自分が私をなめてたくせに。怒りがふつふつとわきあがってきた。
「あーかんにん。ちょっと一本ふかしにいっててん。ほな、このトランク三つで六掛けにして」
うそ、純にいちゃんはタバコなんてすわない。こういういい方だったら、相手をおこらせないのだ。私の口から絶対でてこない、商売人の機転。
「にいちゃんそら無茶や、せめて七掛けや」
「ほな、端数きって七掛けでええし。その上の猫つけて」
そう言って、トランクの上におかれた、陶器の猫の置物をゆびさした。
「かなんな。まあええわ。その猫イタリアのやけど、微妙にぶさいくで売れんねん。ほなそれで手えうと」
こうして、商談は成立した。やっと仕入れたトランクは、入れ子にして純にいちゃんがもってくれた。
「ちょっと、休憩しよか」
純にいちゃんの足は神宮道を左へそれ、しだれ桜のある芝生広場へむかう。そこにもお店が多数あり、キッチンカーもきていた。
トボトボ後ろを歩く私は、たくましく広い背中に声をかける。
「ごめんね、かわりに交渉してもらって」
私に合わせたゆっくりとした歩みはピタリと止まり、ふり返る。
「あんなあ、あやまらんでええて、さっきもゆうたやろ。それよりちがう言葉が聞きたいな」
いつも私を気づかってくれるやさしい声が、耳の奥へ流れてこんできた。二重のタレ目が、いたずらっぽくみひらかれている。
その目にうながされ、言葉が自然と出てくる。
「ありがとう」
私の髪を返答のかわりによくできましたと、やさしくくしゃっとなでた。
あー、そうだった。私小さいころからこの手が、好きだった。不安をぬぐい安心をくれる、大きな手。
いつからだろう。大好きな手を持つ人の、すべてを好きになったのは。
妹あつかいがつらくても、妹というみせかけのタグをつけているかぎり、こうやってそばにいられる。
タグの裏の感情なんてみせられない。でも、いつまでかくせるだろう。最近、どんどん自信がなくなってきている。
私の初恋……かくせなくなったら、もうそばにはいられないんだろうか。
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