第5話 アンティーク

 すったもんだの翌日の夕方。

 リンカネーションのある大宮通りから、豆腐売りのおじさんの吹く、ノスタルジックな笛の音が聞こえてきた。


 目の前にはダンガリーシャツを着て、ニットのネクタイをしめた猫田くんが。マホガニーのテーブルをはさんで座っている。


 わたしの手もとには、先ほどもらった履歴書。

 現住所は、御所の北側のマンション名がしるされている。親御さんの東京の住所も書かれていた。私の実家の近く。


 やだ、東京で会ってたのかな。いまだに彼のことを思い出せない。それがひっかかっていたが、あえて聞いていない。


 彼は私が思い出すのを、待っているんじゃないか。なんて、自分に都合の良い解釈をし、問題を先送りしてるだけなんだけど。


 そして、学歴。中高一貫校の私立の有名校。経済的に恵まれた家庭であるとわかる。そこから、付属の大学にいかず京都大学へ。


 資格の欄には、英検一級やら漢字検定一級などがならんでいる。

 このような輝かしい経歴の持ち主が、傾きかけた染め糸屋に無給で働くなんて。まったく意味がわからない。


 恩返しといっても、誰に対する恩返しかいまだわからず。ひょっとして、私への恩返しなのかと思うけれど、無給にみあう恩を売った覚えもない。


 わからないことだらけの、なぞ多き人物にはまちがいない。でもまあ悪い人には見えないし、非力そうだし。いいのかな。

 私の身長よりは背が高いが、小柄で細身の体をちらりと上目づかいでみる。


「じゃあ、さっそく仕事のはなしなんですが、この店は朝十一時から夕方六時まで。定休日は、日曜日と月曜日。あの、猫田くんには週一回でもいいので――」


 私の説明は遠慮なくさえぎられる。


「木金と講義が夕方まであるので、残念ながらこられません。火水は夕方から、土曜日は一日働きます」


「あ、あのそんなお勉強忙しいのに、無理しなくても」


「ぜんぜん無理じゃないです。それから、まだお名前うかがっていませんでした」


 わたしをみつめ、ふにゃっとほほえむ。そんな、かわいい顔でみられるとついついこっちもほほがゆるむ。


「そうだったかな……、えっと店主の広瀬 麻琴です。よろしくお願いします」


 おずおずと遅い名のりをあげた私に、なおも猫田くんはぐいぐいせまってくる。


「こちらこそ、よろしくお願いします。土田さんじゃないんですね。名字」


「あ、はい。母方の実家なので、ここ。それで、猫田くんにはまず店内の説明を――」


「みなさん、まこさんとお呼びされてたので、僕もまこさんと呼んでもいいですか? それと、僕のことはとよんでください」


「えっ? でも、おじいちゃんは猫田くんてよんでたの――」


「まこさんには、しろとよんでほしいんです」


 そういって、また顔のパーツをすべてゆるめてふにゃっと笑ったのだ。そんな顔されて拒否できる人は、悪党いがい何者でもない。

 私はすっかりしろくんのペースにのせられ、こくんとうなずくしかなかった。


 店内の説明にはいる前の自己紹介の部分で、すでにつかれた私。テーブルにつっぷしたかったが、そうもいかない。


「みてもらったらわかるように、うちは隣の土田商店の白糸を草木染めの染色家さんに染めてもらっています。その糸をお客さんがほしいグラム数だけ、量り売りしています」


 しろくんは、私の言葉にしたがい壁一面にならんだ染め糸をみまわし、感嘆の声をあげる。


「こういうの、えるっていうんですよね。色の洪水みたいで、すごくきれいです」


「あ、ありがとう」


 すなおにほめられると、悪い気はしない。こんど土間をはさんで反対側の部屋を、私は指さした。


「あちらの部屋はおもに、アンティークやブロカントをおいています。数は少ないですが、販売しています」


 アンティークとは、そもそもつくられて百年以上経過したものをいい、ブロカントは、そこまで古くない道具類のこと。ビンテージとも古物ともいう。


「あっちの部屋もすごく雰囲気ありますね。ヨーロッパのおうちみたいだ」


 天井からは小ぶりのシャンデリアがさがり、壁には、あめ色の時代がかった棚。そこに、食器類や銀製品のカトラリー、香水びん、古書がならぶ。


 部屋の真ん中には、猫あしの丸テーブルがおかれ、古いオルゴール、花びん、アイアンの鳥かごがディスプレイされていた。


 祖母が仕入れと称した海外旅行で手に入れてきた商品の数々が、和室にうくことなくとけこんでいる。

 和と洋がまざりあった不思議な空間だが、お互いをみとめあったように、しっくりと上品な雰囲気をかもしだしている。


「レース編みって、もともとヨーロッパの女性のたしなみだったんですよ。だから、先代の祖母は当時の雰囲気の中、糸を選んでもらいたいと、こういう染め糸とアンティークの店にしたそうです」


 しろくんは、感心したように大きくうなずいている。

 こういの趣味の世界って、なかなか男性に理解してもらえないけれど、しろくんは気にいってくれたようでなんだかうれしい。


 気分がよくなった私は、もっとアンティークのうんちくをしゃべろうとしたら、しろくんが大きなため息とともに言葉をこぼした。


「すごく、残念です」

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