第4話 恩返し

「いやー今日の茶会はよかったわ。よかってんけど、横井のばーさんが、またわしにつっかかってきて。わしの横では茶がのめんとか、ぬかしやがる」


 横井のばーさんとはむかしからのなじみで、祖母の友人でもあり、ここの常連客でもあった。その横井さんの悪口をいいながら、祖父は中へ入ってきた。


「けったくそ悪いし、ほな立ってのんだらどないやゆうたったら、あのばーさん、ほんまに立ってのんだんやで。おまけに、あんたの顔がみえんでちょうどええわ、やて」


 放っておいたら、延々しゃべり続けそうな祖父の口を私はとめにかかる。


「あ、あのおじいちゃん。横井さんのはなしは、あとで聞くから。この男の人、覚えてる? ここでお世話になったんだって」


 私は、ちらりと猫田くんを横目でみる。それなのに、そんな猫田くんには目もくれず、祖父は私の手をとった。


「まこ、わしのはなしちゃんと聞いてくれんのは、おまえだけや。男の孫はわしにつめたいし」


 祖父は私の手をとり、純にいちゃんに上目づかいの目線をおくった。


「あのなあ。いくら会長やからて、ちっとも会社に顔ださんようなじいさんのはなし、誰が聞くか」


「こんな高齢のじじいに、働けゆうんか。ひどいはなしや。なあ、まこ」


 祖父は同情をひこうと、私の手を強くにぎりしめる。


「今日は茶会。昨日は会社の女子社員と夜に映画いったんやろ? もうろくじじいのふりすんな」


「ちっ、佳乃よしのちゃんには口止めしといたのに。なんでおまえ知ってるんや。あっ、あれか、おまえら付きおうてるんか!」


 純にいちゃんも、売られたケンカは買うという勢いで、おじいちゃんにむかってずいっと胸をそらす。なにこのカオス。


 猫田くんのそのかわいい顔が、あ然としている。このままじゃ、だめだ。私は祖父の手をふりほどき、お腹に力をいれる。


「ちょっ、ちょっといいかげんにして!! この人知ってるかどうか、どっちなの!!」


           *


 ふたりのケンカにわって入り、なんとか祖父に今の状況を説明し終えるころには、私はすっかり疲労困憊していた。


「わしは知らんけど、松さんが世話したんかなあ。むかしは、ようこの店に近所の子やらが出入りしてたし」


 松さんとは、祖母の名前。祖父は、腕組みをして猫田くんをじっくりと観察する。


「でも、おたく京都のもんちゃうやろ。言葉がちがう」


 祖父のするどい眼光に負けず、猫田くんははっきりとした声で答える。


「はい。東京出身で一人暮らししながら、大学に通ってます」


「ほう、どこの大学や」


「京都大学の経済学部です」


 祖父の白いものがまじる眉が、ぴくりと動いた。


「そら優秀な学生さんや。ええやんか。まこ、店てつどおてもらい」


 京大のネームバリューに負けた祖父は、私をふり返えりにこりと笑った。


「えっ、いやだって、そんなこといわれても、バイト代なんか出せないよ」


 売上げから必要経費とバイト代なんか出したら、すずめの涙しか残らない。


「お金はいりません。恩返しにきたんですから、もともともらおうと思ってませんでした。だから、働かせてください」


 猫田くんは、私ではなく祖父にむかって懇願する。交渉相手が誰か、ちゃんとわかっているみたい。


「こりゃ、ますますええわ。ただで働いてもらえるなんて」


 商売人は、タダという言葉に弱い。弱いけれど、私はそこまで生粋の商売人じゃないから。とにかく、この人とはあまり関わり合いになりたくない。


 私の困り顔に、純にいちゃんは気づいてくれた。


「じいさん、ええかげんにせえよ。得体の知れん男と、まこを働かすなんて」


「なんや、純弥。自分よりええ大学の男やし、嫉妬か? ケツの穴の小さい男やな」


「ちゃうわ! まこは妹みたいなもんやし、心配なんやろ」


 純にいちゃんが、心配してくれている。うれしいんだけど、という言葉がチクリと胸をさす。


「まーまー、おまえの心配もわかるけど、これから知りおうたら、得体の知れん男やのうなる」


 せやけど……と、純にいちゃんがくいさがっても、祖父はゆずらない。

 私ぬきで、どんどんはなしが進んでいく。ここは、私のお店なのに。でも、これが今のこの店の現状なんだ。


 何をきめるにしても、祖父や純にいちゃんに頼って相談してきたことはたしか。私がきめたことは、この店を継ぐということと、やめないということだけ。


「なあ、まこ。この店つぶしたないんやったら、京大生の手でもなんでも借りるぐらいの、意地みせたらどないや」


 祖父のしわにうもれた目が、私の迷いをいいあてる。


「でもさすがに、ただっていうのは――」


 グズグズ最後の抵抗をみせる私に祖父は、ポンとひとつ手をうった。


「そや、賃金は出せんけど。夕飯ここで食べてもろたらええわ。なんちゅうナイスアイデア! 時に猫田くん、君いくつ?」


 祖父に満面の笑顔をむけられ、ぴょんととびはねそうなほど、とびきりうれしそうな声で彼は答えた。


「僕、もうすぐ二十歳です!」


「おおー、もうすぐ二十歳か。ほな、いっしょに晩酌もできんな。まこは酒がのめんし、つまらんねん。あっ、アレルギーとかはあるか? 食事はわしとまこで交代でつくってて、まあ、こういうたら、まこには悪いんやけど、わしの方が料理の腕は上や。洋食でも、和食でもなんでもつくるし。好きなもん教えて」


「なんでも、食べます。好き嫌いないです。特に魚が好きです」


 魚が好きって、ほんと猫みたい。でも、猫って恩返しするような性格じゃないよね。

 ここまで、はなしができてしまっては、もうあきらめるしかない。それに、祖父がうれしそうにしてるんだから、まあいいか。


「じゃあ、いつから働けますか? 今度くる時、いちおう履歴書持ってきてください」

 

私のあきらめた声が、オレンジ色に染まりだした室内にしみていく。


「明日の夕方四時なら、講義おわってます」


 四つも下の男の子と働くって、どうすればいいんだろう。明日は店の説明でもしよう。とりあえず、そこからはじめたらいい。


「ほんまにええんか、まこ? じいさんは、ああゆうてるけど。嫌やったら、はっきり断ったら」


 鼻筋の通った、たれ目だけど精悍な顔が、心配そうに私の顔をのぞきこむ。


「ありがとう。嫌じゃないよ。大丈夫」


 大きな手がおりてきて、小柄な私の頭にふわりとおかれた。


「まこは、がんばりやさんやからな。無理せんように」


 くしゃりと頭をなでられ、妹以上の感情をもらえない私は、兄と自負する人へほほえみ返す。


 ふと私たちをみている彼と、目が合う。その大きくすんだ目には、私の泣き顔がうつっていそうで、思わず顔をそむけた。


 やっぱり、この人苦手だな。










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