第2話 母からの電話
なりやまないスマホの画面を、たっぷり十秒みつめてから電話にでた。
「ごめんごめん、営業時間だったね」
場違いなほど明るい声。母はいつも、昼過ぎに電話をかけてくる。店の暇な時間をみはからって、ではなく自分の都合のいい時間帯に。話の内容は終始一貫、ひとり娘の心配……という名の過干渉。
「今はお客さんいないから」
そういいながら、土間の左側の部屋へ靴をぬぎ黒光りする式台からあがった。
ペルシャじゅうたんが敷かれ、洋風にしつらえられた八畳の和室。マホガニーのテーブルに残されたティーカップへ、スマホ片手に手をのばす。
「あいかわらず暇そうねえ。経営は大丈夫なの?」
のばされた手が、カップへとどく前にとまった。母の嫌味はいつものことなのに、今日はうまくうけ流せない。さっきの藤原さんのことが、ひっかかっているからなのか。
壁一面にならんだコーン(糸巻き)に巻かれた染め糸を見て、だらりと右腕がおちる。ゆっくり店内を見まわしても、祖母の代からかわらない店内に、私の痕跡なんて何もない。
うけ継いだものをそのまま守っていけばいいって、単純に思っていた。でも、店主がかわったのに、今まで通りというわけにはいかない。お客さんも、時代もどんどんかわっていくのに。この店の中だけ、時間がとまっている。
「今度、うちの染め糸をつかって、教室をしようと思ってる」
電話のむこうの母を説得するように、ゆっくりと確かめながら口を動かす。
「
あきれた声を聞き、かたい決意が一瞬でふにゃふにゃととけていく。
「編みものじゃなくて、うちの糸をつかった手芸でいいの。たとえばミサンガとか――」
「そんなつけ焼刃で、お客さんこないわよ」
母のいう通りだ。前から教室をひらこうと思っていたが、どうしても決断できなかったのは、私にそれだけの技術はないということ。
母は、いつでも正しいことをいう。正しすぎて、口をつぐむしかない。
「あのね、もうそんなもうからないようなお店たたんで、東京に帰ってきなさい。せっかく美大のデザイン科卒業してるのに。京都より、ぜったい東京の方が就職あるわよ」
「わ、私はこのお店がしたいの。おばあちゃんが残したお店なんだから。潰したくない」
まるで、だだっ子だ。いやだまだ遊ぶって、公園から帰りたがらない子供みたい。私、今年で二十四になるのに。
「潰したくなくても、商売っていうものはダメな時はダメなの。麻琴、おじいちゃんに生活費入れてないでしょ。おこづかい程度にしかもうからない店なんて、ただの趣味で仕事じゃないよ。悪いことは言わないから、早くもっと経営が悪くなる前に帰ってきなさい」
「まだ、はじめて半年だし。私も要領つかめないところあるし、もうちょっとがんばれば――」
自分で発した言葉なのに、ちっとも実感がともなわず頭の中をすべっていく。
「がんばって、どうにかなるものではないって、前にもいったわよね。商売はそんなに甘くない。あなたには、最初から無理だって思ってたのよ。でも、麻琴がどうしてもやりたいっていうから、お母さんやらしたけど。やっぱりだめよ」
「でも、もうちょっとだけ」
「もうちょっとって、具体的にいつまでなの。あなたは昔からそうやって――」
「あっ、お客さんが来られたから、切るね」
なにかわめいている声を無視して、強引に電話を切った。
あの調子ではこれ以上、のらりくらりと店をしめることをひきのばせない。何か、母が納得できるものを見せないと。
てっとり早いのは、売上げアップだけどそんなに急激にふえるとは思えないし。スマホをポケットにいれながらふりかえった瞬間、格子戸の前に白いものが浮いていた。
ポケットにいれようとしたスマホが、すべりおちた。ゴトッという音に心臓がはね、思わず目をつむる。
こんな昼間から幽霊? 私、霊感ないはずだけどこの家古いから、出てもおかしくないのかな。目をあけたら消えてますように。
そう念じながらあけると、目の前にいたのは幽霊ではなく白いシャツを着た男の人だった。なんだ、ズボンがダークな色合いだから、白が浮いて見えたのか。
ほっとした気持ちで、いらっしゃいませといおうとした。
そうしたら、まだ少年っぽさが残っているその人は、大きくて丸い目を半分にして笑った。
「よかった。やっとあなたに会えた」
えっ、お客さんじゃなくて、私を訪ねてきたの? でも、この人を私は知らない。知らないではなく、忘れているだけかもしれないと、彼の顔をしげしげと見る。
全体的に色素のうすい人。茶色いやわらかそうな髪に、色白の丸顔には大きな目。整った顔立ちは、イケメンというよりカワイイに分類できるかもしれない。男性だとわかるけれど、中性的な容貌をしている。そして、ひどく純粋な思いにとらわれていそうな、まっすぐ私をみつめる姿をうつくしいと思った。
でも、どんなにその清廉な姿を見ても誰だか思い出せない。
何もいわない私に落胆したのか、その人は一瞬さびしげにうつむいた。そして、すぐに顔をあげる。
「僕、むかしこの家で大事にされていた、猫です」
すこしはずかしそうに首をすくめていう姿に、思わず叫ぶ。
「はいっ!?」
猫? 猫ってあの動物の猫だよね。それとも今はやってる若者言葉とか?
この人あきらかに年下だし。きっと私の知らない意味があるにちがいない、猫って言葉には……。
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