あじあ号

 僕が満州にきてひと月が経過した。

 輸送船で運ばれ、大陸の赤い夕陽を見たときの感動と言ったら、言葉にならないほど美しかった。

 僕は鉄道の警備を任され、写真も撮影する係だった。

 関東軍のようなエリートにはなれず、僕は「陸軍歩兵一等兵」という肩書になった。

 特にうれしかったのは、あじあ号の存在だった。

 日本の最大限の技術の結晶であると、仲間内で話した。

 冷暖房の搭載された超特急だ。

 時速は140キロ(暫定)という、とても速い乗り物として富裕層が主に利用した。

「あじあ号、すげえよなあ」

 戦友のひとりが列車を見上げてため息をついた。

「オレたちも、じき乗れるさ」

 また別の戦友が言った。

「そうかな。もうそんな余裕すらあるか、わからなくなったぞ。関東軍が指揮とってるって噂だろう。石原中将はどう思ってるか知らないけど、小耳にはさんだことがあって」

「なんだ」

「つまり……」

 そいつが言いにくそうだったので、僕は急かすように言う。

「気になるじゃないか、早く言えよ」

「近々、東條大臣が首相になるんじゃないかって」

 僕と戦友は、ああ、と声を漏らす。

「そりゃ、けったいな話だ。石原中将、きっとカンカンだぞ……」

「ドイツのナチスもなあ。ヒトラーが日本を取り入れようとしてるらしいから。そうなったら、日本はいったいどうなるんだ」

「まあ、それをいうなら、ソ連兵(このころにはロシアからソビエトに改名)もユダヤ人を虐殺してるし、ヒトラーもまた、プロパガンダだろう」 

 

 このころのドイツはヒトラーが中心となって政治を行っていたため、国民たちが世界恐慌から救ってくれると信じていた。

 ヒトラーの演説は、人々に必ずや希望をもたらすことを約束し、力のこもったセリフばかりを吐いていた。

 もちろん、僕ら日本人がヒトラーのことを快く思うはずもなく。


「噂だけどな。ヒトラーさん、第一次世界大戦のころの報復をやるってんで、それで必死こいてるらしいんだ。ドイツの中にはヤツを止めるものはいない。やりたい放題だってよ」

「どこからそういう機密情報を拾うんだ。お前、あじあ号よりすごいよな」

「へへへっ。それは秘密でしてね」

 

 汽笛を鳴らし、あじあ号が走ってきたので、僕たち三人は線路に視線を投げた。

 満州の超特急は大連からハルビンの駅までを豪速で往復する。

 あの列車は、みんなの夢を乗せて走っているのだろうか。

 

 それとも……。 




 ※解説 陸軍歩兵何某 とするのは調べた結果、関東軍ではなく、満州国軍のようですね。

 手紙だけだと歴史的な背景などが読めずに難しく、間違いもあるかと思います。

     

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下士官兵をめざして てとら@虎次郎 @tetora_tora

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