悪魔は、いつの間にか側にいる。

龍玄

悪魔は、いつの間にか側にいる。

 2021年3月26日午前四時頃、宮崎市で火柱が上がった。


 沖田正信の携帯が鳴った。火事現場近くに住む友人の唐沢健司からだった。


 「正信、大変だ」

 「どうした、健司。こんなに早く」

 「武信のアパートが燃えているんだ」

 「えっ、兄貴の…。兄貴は無事か」

 「分からない」

 「す、直ぐに行くよ」


 正信は、着の身着のまま自家用車で現場に向かうと、現場は規制線が張られ、近づけない状態だった。そこで三百メートル程離れた友人の健司の一戸建ての前に車を止め、急ぎ現場に向かった。着いた時にはまだ消火中であり、古い木造の平屋建ての民家は炎と黒煙に包まれ、火事現場独特の臭いが正信の鼻を衝いた。

 野次馬の中から健司は、正信を見つけ隣に位置し、二人は沈黙したまま、状況を見守っていた。


 「状況は、分からないのか」

 「ああ、消火活動は見ての通りだが、それ以外は分からない」

 「ああ、そうだ、兄貴に電話してみるよ」


 携帯電話は繋がらないでいた。正信と健司は不安を抱え、現場をも守るしかなかった。火事の規模から生存者がいたのなら救急隊が慌ただしく動いているはず。規律正しく動く消防隊とは異なり、救急隊の静かな待機が対照的に見えた。

 正信も健司も武信が在宅中に起きたものなら、炎の静まりと共に最悪な状況を覚悟せざるを得ない状況にあった。

 消火活動の後、残ったのはすすこけた柱と骨組みだけ。消防隊が鎮火した現場を検証している傍らでは、消防隊員との遣り取りを受けた後、粛々と、白い布に包まれた担架が救急隊員によって二度、運び出されているのが目に入った。


 「兄貴、か」

 「ああ…。二人、いたのか」

 

 正信は、近くに居た警察官に身元を証、警察官の対応を待った。その時には、武信の生存の期待は消え失せており、落胆の澱みしかなかった。そこへ近づいてきた警察官から遺体が二体見つかったと聞かされ、確認の為、警察署に同行して欲しいと告げられ、言われるままパトカーに乗り込み宮崎北警察署に着いた。意気消沈の中、待たされる時間が途轍もなく、長く感じた。そこへ刑事が入ってきた。遺体の損傷は激しいが身元確認をお願いしたいと依頼される。連れていかれた部屋には、白い布に覆われた遺体が二体、台の上に横たわっていた。正信は恐る恐る顔の部分の白い布を震える手で捲った。「あっ」一瞬目を背けたが意を決し直視した。


 「どうですか」

 「あ、兄貴じゃない、知らない人だ」

 「では、こちらは」


 刑事は、もう一体の白い布を頭の部分だけ、捲って正信に見せた。


 「あっ…。兄貴だ、兄の武信で間違いないです」

 「そうですか」


 やけどは負っていたものの武信と分かる状態だった。正信は驚きを隠せないでいた。兄、武信は独り暮らしであると思っていたからだ。刑事はしつこく、もう一体の遺体に心当たりはないかと尋ねてきたが、正信には知らないものは答えようがないとしか返せないでいた。遺体の性別は男性。見つかった場所は、兄の遺体から七メートル離れた居間だと聞かされた。正信を驚かせたのは、その遺体は畳の上で靴を履いた状態であったことだった。

 警察は、二人死亡の火事として片づける雰囲気が漂っていた。しかし、不可解なことが正信の脳裏から離れないでいた。兄・武信は玄関近くの廊下に出入り口に足を向け、仰向けに倒れていた。直ぐ側には蓋がとれたスプレー型の消火器が転がっていた。一方、もう一体の遺体は、居間で仰向けの状態で見つかり、スニーカーを履いていた。消防や警察が駆け付けた際には掃き出し窓・玄関などは全て施錠されていたが、勝手口だけが鍵が掛かっておらず、扉が開いた状態だった。

 状況を聞かされた正信は、思った。いったい、この男は誰なのか。


 宮崎北警察署は、遺体の身元は住人の沖田武信さんと知人のパート従業員・北里守さんだと発表した。警察が、知人とした男に正信は全く心当たりがなかった。正信は、警察が北里さんが武信の知人だと断定する根拠を不思議に思い問いかけるも、警察は奥歯にものが挟まったような言い方で、調べた結果だとしか教えてくれなかった。正信は納得がいかず、家族・親族、職場の人、知り得る知人に尋ねるも誰もその男の存在を知らないでいた。その中でなぜ、警察は知人と決めつけるのか正信の不審は膨らむ一方だった。知人と言われる北里という男が午前四時に土足で居間に上がり込んでいる、こんな違和感のある事実を前に兄の死を受け入れられるはずはなかった。

 正信の不信感を煽り立てたのは、現場で「こら」とか「うわ」という乱暴な言葉で言い争うような声を聴いたという近所の住人の証言があったことだ。兄・武信に何があったのか、その真相への探求心は正信の不審の渦を大きく掻き立ていた。このままではただの火事の災害として片づけてしまわれるのでは。その焦りは正信の中で警察への不信感へと変貌し始めていた。

 正信は、遺体の解剖結果を大学から取り寄せた。そこに書かれていたのは…。

 玄関が炎上し、わーわーという男性の緊迫した声に近隣者が気づき110番通報した。遺体と残っていた着衣の一部からガソリンが検出された、とあった。

 兄・武信の遺体からは家にあるはずのないガソリンが検出されていた事実に正信は驚きを隠せないでいた。なぜ、兄・武信はこんな死に方をしなければならなかったのか。現場は、明らかに事件性がある事を物語っていた。

 法医学教室の坂本新次郎教授は、喉の奥にすすが入っていることから火災が起きた時には呼吸をしていたが分かる。ガソリンを使えば、火を放った方も危ない。ガソリンを使ったことで短時間で火が回り、撒いた本院も現場から脱出できなかったのではと、証言した。


 兄・武信は、宮崎市内の専門学校で留学生を相手に講師を務めていた。火事の前日はこの春、卒業した留学生の寮の片づけをしていた。温厚な武信が何らかの恨みを買い事件に巻き込まれるなど、正信には想像もできなかった。その兄が火事を起こして亡くなった。ご近所に迷惑を掛けて…。そんな汚名を兄は背負わされたのか、と思うと、失火として片づけようとしている警察への怒りが沸き上がってきた。


 正信は葬儀の告知文で、「不幸な事件で兄が永眠しました」と告げようとするのを知った警察の家族担当者が、「何か警察に不満があるんですか、イメージ操作をする文言は使わないでください」と語彙とは違い、険しい口調で激しく抗議され、葬儀では事件性を疑うも、失火で死亡したとしか参列者に説明するしか出来なかった。警察の安易な捜査で兄の死因が闇に葬られるという危機感を感じた正信は、さらに詳しく遺体を調べて欲しいと解剖医に相談する。解剖医から連絡を受けた宮崎北警察署から電話が掛かってき、「解剖の先生に連絡したみたいですねと言われ、北署の方では必要なことをもうやったからいらないですよ」と遺体を引き取ってください、と言われた。出来るだけの努力はしたいと思って遺族がやっていることをなぜ、警察が妨害するのか正信には正直、理解できなかった。


 火事から二週間後の四月中旬、兄・武信宛てに届いたクレジットカード利用明細書が届いた。開封するとそこには驚きの事実が記載されていた。

 3/16、JCBギフトカード、20万円。他にも火事が起きる前の十日間で三万円の金券をアマゾンから何度も買っていることが記されていた。購入は死亡する前の日まで続き、金券購入総額は三十八万円にも上っていた。正信は、兄・武信が普段使用していないカードに不審を抱いき、カード会社に詳細を開示するように求めた。その結果、JCBカードは、千円券で二百枚をインターネットでの購入だった。可笑しいのはその送り先が、もう一人の遺体である北里守の住所であり、受取人もにもなっていたことと兄が亡くなった日より購入実績がないことだ。

 正信は、その住所を訪ねてみた。不動産会社によると、その部屋を契約していたのは女性であり、その女性の部屋にいつの間にか男が一緒に住むようになっていたことが分かった。この男・北里と兄・武信の接点はどこにあるのだろうか、正信に新たな疑問が立ちはだかった。

 調べを進める中、兄・武信と交流があった友人が見つかった。その友人は、鹿児島県でカイトサーフィンショップを経営する岡本直人さんだった。兄・武信の趣味はカイトサーフィンであり、岡本さんとは十三年来の知り合いだったらしい。驚くことにこの岡本さんは、北里守という男の事も知っていたのだ。岡本さんによるとカイトサーフィンの知識も普通に在り、寡黙な人物だが金銭的な問題はなかったと言う。武信とその北里は、岡本さん主催のカイトサーフィンの忘年会で知り合ったことが分かった。さらに驚いた情報に行きつく。その北里は2006年、鹿児島市内で強盗傷害・放火・住居侵入・窃盗の罪で懲役八年の判決を受け、服役していた過去が明らかになったのだ。

 2006年当時、自分の住むマンションのオーナーの部屋に窃盗目的で侵入し、灯油を撒き放火したものだった。北里は、点検用の梯子を使い、屋上からオーナーの部屋のベランダに降り立ち部屋に侵入し、金品とスペアキーを盗んだ。そのスペアキーを使い幾度か犯行を繰り返し、疑われ始めると証拠隠滅を図り部屋に火を放った。オーナーは、同じマンションの空き部屋に仮住居を映した一週間後、オーナーへの見舞金六十万円が金庫にある事を知った北里は、懲りずに再び盗みに入り、証拠隠滅を図るため、消火剤を部屋に撒いた。放火事件後、マンションに設置された監視カメラから北里の犯行が明らかになり逮捕。後に北里に面会したオーナーは、本人から動機を聞くとFXの取引に使ったと告げられた。

 武信さんと知り合った北里は、何らかの方法でクレジットカードを盗み、金券を買い金券ショップで換金。事件当日、盗みに入り、武信さんと出くわし、口論になり殺害(殺害方法は不明)。その後、持参したガソリンを撒き、火を放つが火の回りが思ったより早く、自らも犠牲になったのが真相だった。現場近くに停めてあった北里のSUV車を警察は既に発見していた。そこから北里の行動を密かに調べていた。しかし、被疑者死亡と言うこともあり、捜査の熱の入れようが疎かになったかは定かではない。北里の所有する車内に当時入院中だった正信さんの父の通帳と兄のクレジットカードが見つかった。94歳で入院中の父、義信さんの口座から二回に分けて現金百万円を引き出していたのも判明した。

 北里は、窃盗のターゲットを探している時、武信さんの高齢の父・義信さんが独り暮らしで療養中であり、近々入院の予定のあることを知った。北里は、武信さんの知り合いであると告げ、高齢の義信さんに接近した。いいひとに成りすまし、親交を深め、体の不自由な義信さんの買い物を代行するまでになっていた。

 北里は悪人の嗅覚なのか義信さんには、武信さんは気配りが出来る人だから私の事を話せば要らない気を使わせてしまうので、内緒にしておくようにと事あるごとに釘を刺していた。人を疑わない義信さんは、北里を気遣いのできるいい人だと心を許していた。その義信さんが入院すると留守宅に上がり込み金品を物色し、金に換えていた。また、北里は武信さんに成りすため、保険証を盗み、住居侵入した際に通帳の口座番号などを控え、クレジットカードを契約。その後、滅多に使うことのない保険証を武信さんが保管していた場所にそっと返却。容易く金が手に入るようになった北里は、懲りずにさらなる金品を探すため、事件当日に忍び込み、武信さんに気づかれ、今回の事件を引き起こしてしまう。


 真相が明るみに出て初めて警察は、武信さんを北里が殺害し、火を放ったと認め、被疑者死亡で書類送検をした。警察は、遺族の気持ちを思うばかりに捜査内容を明かさないでいた、と釈明し、謝罪した。

 盗み、薬物の再犯は後を絶たない。平穏な日常が、無気力で安易に金を稼ごうとする者の餌食になり、変貌する。人を見れば泥棒と思え、とはよく言ったものだ。結果、自分の身は自分で守るしかない現実を思い知らされる事件だった。


 


 


 

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