第48話 時には第三者が入ることも必要
意識を失った瀬戸は、明莉によって静かに横たえられた。枕替わりのクッションが、頭の下に敷かれている。
「やりすぎですよ師匠」
「すまんのう、ちょっと驚かせてやろうとした茶目っ気だったんじゃよ」
「まぁ、こいつがいると話が進まないし、いいと言えばいいんですけどね」
「あー、健司さん酷い」
明莉の言葉の意味もわかる。あれほど会いたがっていた相手にからかわれたのだ。本人にしてみたら楽しい話ではない。いや、瀬戸にとったら思い出深い経験になるのかもしれない。
「それで、この女子はどこの子じゃ? ケンの弟子でないなら、わしのライバルか。ケンは急にモテすぎじゃろ」
「違います」
「違うよっ!」
その勘違いはとても困る。師匠のライバルというよりは、むしろ俺のライバルだ。恋人兼優秀な助手は渡さない。
首を傾げる師匠に、瀬戸の事をざっくりと説明した。協会の職員であること、流れる(笑)のファンであること、最近よく仕事に同行していること。
「そうか、わしのファンか。それは可愛いのう。それに、才能もある。あの二つ名はいただけぬがな」
「その名を呼んだら助走を付けて殴られますからね」
「よく覚えておるの。さすがケンじゃ」
にこにこしながら手を伸ばし、俺の頭を撫でた。子供扱いされている気もするが、師匠からしたら俺はいつまで経っても子供なのだろう。
子供扱いできるほど年齢差のある相手に、恋愛感情を抱いている。そう考えたら俺と師匠は同類だった。
「それで、今日はどうしたんです?」
「そう、悪いな。約束はもう一日先じゃったが、どうしても顔を見たくなっての。言葉にしてまったから、気持ちが抑えられなんだ。なんてな」
「はぁ」
頬を押さえてくねくね動く師匠は、大変可愛らしかった。もちろん、見た目での話だ。昼間に明莉へ話したとおり、師匠はやっぱり師匠だ。すごく大事な人だけど、そういう目では見られない。
だから、言わねばならない。気持ちには応えられないが、師弟としては縁を繋げていたいと。酷いわがままを告げなければならない。
「師匠、俺は」
「いいよ、ケン。言わなくてもわかっておる」
「師匠……」
「アカリが好きなんじゃろ?」
俺の言葉を遮り、師匠は寂しそうに笑った。つい数秒前の、ふわふわとした雰囲気は消え去っていた。
「さっきのあれは、照れ隠しの冗談だとも受け取っておくれ。一日早く来たのは、わしから伝えようと思ったんじゃ。聞いておくれ」
「はい」
昨日の夜から今日にかけて、色々と考えていたそうだ。その結論を、師匠は「わしの弱さじゃよ」と締めくくった。
俺に決断を迫ったのは、自分で決めるのが怖かったから。あえて断りづらい言い回しにしたのは、一人で変わり果てた兄と対峙するのが怖かったから。想いを告げてから答えまでに間を置こうとしたのは、恋人を作れるようになった俺に拒絶されるのが怖かったから。
教科書に載るような人が弱いなど、その言葉の意味が理解できなかった。それに、俺の中の師匠は弱くない。傍若無人でさりげなく優しい、本当に強い女性だった。
「だからせめてな、お前の口から言わせないようにしたくて、慌てて来たんだよ」
「師匠……」
「人にあるまじき歳の重ね方をしても、見た目を変えてみても、心の強さだけはそうそう変わらんのう」
師匠はすとんと、もうひとつ用意してあったクッションに腰を落とした。力なく座るその姿は、見た目通りに小さな女の子だった。
肩を落とした師匠に、かける言葉が見つからない。重い沈黙が、アパートの一室を包んでいた。
「フィーナ、あ、このままで呼んでもよかったのかな?」
「ああ、いいよ」
「うん、ありがとう。あのね、そもそも部外者だし、人生経験も全然ない私が言うのは、たぶんおこがましいんだけど……」
明莉が沈黙を破り、何か言おうとしてくれている。普段から直球で話す彼女にしては、変に言葉を濁していた。それほど言いにくいことなのだろうか。
「言ってみておくれ」
「ありがとう。じゃあ、はっきりと言います。健司さんね、すごく悩んでいたよ」
「ケンが?」
「うん、デートの時たまに上の空になるくらい。健司さん、お師匠さんのこと大好きなんだよ」
なぜか自慢げに胸を反らし、俺がいかに師匠を大事に思っているかを語り出した。明莉やめてくれ、すごく照れくさい。嘘ではないし、言おうとは思っていたことではある。しかし、他者の口から聞くのは、耐え難い恥ずかしさだ。
師匠も下を向いて震えている。肌が白いため、赤面しているのが丸わかりだ。
「当人同士では、こういうこと絶対話せないので、僭越ながら口を挟みました。フィーナ、健司さん、わかりましたか?」
「お、おう」
「わかったのじゃがな、アカリ……」
もう師匠とは目を合わせられないじゃないか。代わりに言ってくれたのは、本当にありがたいのだけども。
「わかってもらえたなら、いいのです」
当の明莉はとっても満足そうだった。自慢げな顔も可愛い。
「ケン」
「はい」
「アカリの言ったことは本当か?」
「……本当ですよ」
その問いには、こう返すしかなかった。感謝してるし、明莉とは違う意味で大好きだ。親兄弟ではないけど、家族みたいに思っている。だから、拒絶する言葉を吐くのが辛かったのだ。
「そうか、聞けてよかった。わしは幸せ者じゃ」
師匠は立ち上がり、下を向いたままの俺の頭を撫でた。やっぱり子供扱いだ。でも、それが心地よかった。
「アカリがいれば、ケンは一人にならないな。もう魔法使いをやる意味も薄いじゃろ。決心がついたよ」
「師匠、ひとりで?」
「まだ師匠と呼んでくれるのかえ」
「そりゃ、あんたは俺の師匠ですよ。ずっと」
「そうか、また来るよ。いつまでも可愛い弟子だからな」
このまま、自分一人で行くのだろう。世界中の魔力を吸収し、黒影の元凶となった兄を祓うのだろう。でも、俺は一緒には行けない。一緒には行かない。
また会いに来ると言ってくれた。もう魔法使いではなくなるが、いつまでも弟子だとも。知らず知らずのうちに、俺の頬を涙が伝っていた。
「じゃあの、ケン、アカリ」
「はい、また」
「次はご飯食べていってね。私作るから」
「ああ、楽しみじゃな」
師匠は踵を返し、俺の部屋を後に――したかと思った。
「話は少しだけ聞かせてもらいました」
「は?」
「え?」
「へ?」
目を覚ました瀬戸が、寝転がったままで師匠の足をがっちり掴んでいた。
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