第47話 思い出は美化されがち
俺の部屋前には、体育座りをした瀬戸が大人しく待っていた。変なところで妙に律儀な奴だ。
「まさか本当に体育座りとは」
「里中さんが言ったんじゃないですか」
「まぁそうだが」
「いや、そんなことはどうでもいいんです」
瀬戸は座ったままの姿勢で、恨めしそうにこちらを見つめた。最も重要なのは、別にある。そう言いたげな視線だった。
「健司さん、こんな風に待たせるなんて、ちょっと酷いですよ」
「あー、そうだな」
「ううん、明莉ちゃん。本当にこんなにも陰湿なプチ嫌がらせなんて気にしないの。いくらデートの邪魔をされたからって、人間が小さすぎるけど私は平気」
明莉に手を引かれ立ち上がった瀬戸は、俺に向けて舌を出した。
「気にしてるんじゃないか。悪かったよ」
「じゃあ、教えてくれますね? あのお方のこと」
「うわ、そうきたか」
瀬戸が聞きたいのは間違いなく師匠のことだ。まったく興味がなかったため知らなかったのだが、かなりのファンがいるらしい。
日本にまで師匠が影響を与え始めたのは、比較的近年のことだ。古くから活躍しているヨーロッパ方面も含めると、どんな数になるのやら。
そして瀬戸は、その中でも狂信的にあの人を崇めている。情報を得られる機会があれば飛びつくのも当然だ。
「絶対めんどくさいし、聞かれてもいなかったから話していなかったんだけどな」
「ふんふん!」
「由佳ちゃん、健司さんに近寄りすぎ」
鼻息荒く瀬戸が俺に詰め寄る。明莉の言葉も聞こえていないくらいに夢中だ。ここまで人気があるなんて、師匠はとんでもない人だったんだなと改めて実感する。
「ちょいちょい会いに来てくれてるんだよ」
「は? そんなこと聞いてないですよ。どういうことですか? 私と里中さんの仲なのに!」
「こうなるからだよ。急に心の距離を詰めるな」
「そうだよ、健司さんは私のー」
こいつが来ると話が前に進む気がしない。このまま玄関先で揉めるのも近所迷惑だ。とりあえず、俺の部屋で続きを話すことにした。
昼間に来客用のクッションを買っておいてよかった。明莉と知り合ってから、俺の部屋に入ってくる人が妙に増えた気がする。
「ふわぁ、これがあの方の魔力……素晴らしい」
「うわぁ」
「わぁ」
恍惚とした表情の瀬戸に、俺と明莉はドン引きした。なんというか、好きな子の部屋に入った男子中学生みたいな、そんなイメージだ。
「で、紹介してくれるんですよね?」
「え? しないけど」
唐突に真顔で問いかけられ、俺は真顔で答えてしまった。そもそも師匠は瀬戸に用があるわけじゃないし、今は非常に繊細な問題を抱えているのだ。こいつが絡んだら、収拾がつかなくなることは目に見えている。
「えー! それはないですよ!」
「ないの?」
「ないです! 里中さん、私の教官みたいなもんじゃないですか。つまり師匠。師匠が師匠に弟子を紹介するのは必然です」
「うわぁ」
恐ろしいロジックを披露された。俺はいつの間にか弟子をとっていたらしい。協会からの依頼で仕方なく監督役をやっていただけなのにだ。
あまりにも困ってしまい、隣に座る明莉に目をやった。瀬戸を止められるのは、彼女しかいない。こっくり頷く動きが、実に頼もしい。
「由佳ちゃん」
「はい」
「健司さん困ってるよ。こういう時はね、いくら先生でも、ちゃんとお願いしなきゃだめだと思うよ」
「そっちかよ。しかも先生なのかよ」
「え? いろいろ教えていたし、てっきり先生をしているのかと。大丈夫ですよ、頼りになる先生でしたから」
明莉の認識でも俺は先生だったようだ。本人の意思とは別に、事態は進行してしまっているということみたいだ。いや、侵攻かもしれない。
「明莉ちゃんの言う通りです。わかりました。では、私とあのお方の馴れ初めについてお話します」
「なんもわかってないだろ」
いかにも深いような前振りだったが、瀬戸の話は実にシンプルだった。
努力が嫌いだった少女時代の瀬戸は、ほとんど勉強をせず遊んで過ごしていた。それでも地頭は良かった(本人談)ため、学校での成績はそれなりに保てていたそうだ。
「そんな私が変わったのは、中二の夏でした。あのお方に出会ったんです」
友達のテスト勉強に付き合って行った図書館で、暇つぶしに読んだ本が瀬戸の人生を変えた。それが《流れる麗しの魔女とその軌跡》というタイトルの伝記漫画だった。思わず(笑)を付けたくなるような題名だが、吹き出すのは我慢した。
素晴らしい力で世界を救い、その正体は不明。誇ることなく驕ることなく、人々の力になる存在。瀬戸はそれに憧れたらしい。
細かい事実は違っているが、伝記に書かれていた内容は概ね正しいと思う。人格面を除けばだけど。
「あ、でも私はチヤホヤされたいですけどね」
「なんなんだよ」
きっかけや動機はともかく、瀬戸は真剣に勉強をするようになった。元々地頭は良かった(本人談)ため、難関とされている高校や大学にも上位で進学できたそうだ。
その後は俺たちが知っている通りだ。首席で大学を卒業し、協会の職員となった。いわゆるエリートコースってやつだろう。
「で、それと師匠に会いたいのは関係なくないか?」
「いやいや、私がこの道を目指す理由でもありますし、なにより、弟子にしてもらいたくて。残留魔力だけでもこれですよ。ますます憧れます」
「さっき俺の弟子とか言わなかったか?」
「じゃあ、兄弟子ということで」
また瀬戸特有の、めちゃくちゃなロジックだ。ただ、こういう性格の方が魔法使いに向いているのも事実だ。師匠に近しいものを感じる。
「なので、どうかお願いします」
クッションから床に座り直した瀬戸は、正座したまま大きく頭を下げた。簡単に言うと、土下座の姿勢だ。目的のためにはプライドを捨てる。それが瀬戸のプライドなのだろう。
ここまでされては断りようがない。明莉も『仕方ないなぁ』という顔をして苦笑している。
「あー、わかったよ。ただし、ちょっと今問題を抱えててな。そいつが解決したらな」
「あ、ありがとうございます! 兄さん」
「兄さんはやめろ」
「兄さんはやめて」
「はい、里中さん」
瀬戸がおでこを輝かせ、万遍の笑みを浮かべた。時々妙に素直なのが、こいつを憎めない理由のひとつだと思う。
その時、部屋のドアが唐突に開かれた。すぐに瀬戸を追い返そうと思っていたから、鍵はかけていなかった。
「おーい、愛しいケン。待ちきれなくて来てしまったぞ」
玄関先には、アッシュブロンドの髪を揺らす美幼女がいた。自称ロリババアの口調で、俺の名を呼んだ。
当初の約束では明日来るはずだった。言葉通り我慢できなかったようだ。実に師匠らしい。
「あ、師匠」
「あら、フィーナ」
「おお、明莉もおったのか。恋人だし当然じゃな。ん、先客かの?」
師匠が瀬戸に目を向けた。何気ない視線だったのだが、初めての相手には強烈だったみたいだ。全身を硬直させた瀬戸が、辛うじて口を動かした。
「し、師匠って?」
「うん、師匠」
「こ、この子が、ですか?」
「うん」
そりゃそうだろう。この状況が飲み込めるのは、たぶん世界で俺と明莉だけだ。
「ほぉ、魔法使いの女子か。いかにも、わしがケンの師匠じゃ」
「え、えーと」
「ああそうか、この見た目ではわからんかの。ならば、証拠じゃ」
師匠はニヤリと意地悪な笑みを浮かべて、一瞬だけ魔力を放出した。常人ではありえない、膨大な体内魔力だった。師匠、これはやりすぎだと思いますよ。
「はふん」
ほら、言わんこっちゃない。
瀬戸は間抜けな声を上げて、座ったまま気を失った。
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