第43話 開き直ると人は強くなる

 納得はできていないものの、師匠が俺を男として好いてくれていたのは理解できた。自分に向けられる好意はやっぱり難しい。鈍感鈍感と言われても、言葉にされなければわからない。

 仮になんとなくそう感じたとしても、自意識過剰による勘違いだったら、双方不幸になってしまう。俺は基本的にネガティブなんだ。


 そういえば、自分から女性を好きになったことは、あんまりないかもしれない。いいなと思った子は、これまで何人かいた。でも、意識的にそれ以上踏み込むことはしなかった。俺が好きになったとしても、向こうが好きになってくれるとは限らないから。

 過去形を含め、恋愛として好きとはっきり言えるのは、お付き合いした二人だけだ。両方とも、押しが強かったという共通点がある。拒絶されるのが怖くて自分からは行かない。俺はそんな、ずるい人間だ。


 ただ、明莉と知り合ってからは、少しずつ自分に自信が持てるようになってきた。好かれてもいいんだと思えるのは、とても気が楽になる。

 ただ、残念ながら恋愛にまつわる心の機微までは、どうにも察することはできない。仕事に関することはそれなりにわかるのに、不思議な話だ。

 だから、師匠が言わんとしていることは、最後まで理解できていない。


「えーと、結局どういうことです?」

「あーもう、この馬鹿弟子が。はっきり言わんとわからんのか」


 ついに馬鹿弟子と言われてしまった。しかも、魔法使いの弟子としてではなく、人としての部分で。


「フィーナ、それは言い過ぎだよ。鈍感なところも健司さんの魅力でしょ?」

「ああ、すまんアカリ。確かにその通りじゃ。ケン、言いすぎた。悪かったの。でもな、この際だから言わせてくれ」

「うん、それなら大丈夫。わかったよ」


 二人の間に、不可思議な合意が成立している。話の中心は俺のはずだが、口を挟むタイミングがない。


「当初はな、ケンに言い寄る泥棒猫から、可愛い弟子を奪い取ってやろうと思って来たんじゃよ。でもな、アカリはいい子だったから、正々堂々奪い取ってやろうと決めたところじゃ。だからさっきの二択なんじゃよ」

「えーと、奪い取るつもりというのは、わかりました。うん、たぶん」

「わかったなら、それでいいのじゃ」

「黒影……えっと、フィーナのお兄さんはどうするの?」


 いろいろ吹っ切れた様子で、師匠は本音を勢いよく語る。その変わりように、俺は困り果ててしまっていた。話が飛びすぎて、理解がどうも追い付かない。

 明莉も同じようで、言いづらそうに師匠のお兄さんの件を問いかけた。


「それは、ケンと添い遂げるついでに、兄さんを祓ってやろと思っておるから安心せい」

「え、師匠。それって、ついででいいんですか?」

「兄なら妹の幸せを願っているはずじゃから、多少待たせておくくらい問題ない。黒影となって溢れ出す魔力も、今の魔法使いがなんとかするじゃろうて」


 師匠は当然のように言ってのけた。時間の感覚が違う人は、言うことのスケールも大きい。


「あとは、あの選択肢はなんだったんです?」

「ああ、あれな、ケンが来てくれなければ、わしがひとりで兄さんを祓うことになるじゃろうからな」

「でも、健司さんがいないと無理なんだよね?」


 明莉の疑問に、師匠は得意げに鼻を鳴らした。結果的に俺を奪い合う関係なのに、なぜか妙に仲良くなっている。


「世界中の魔力を集めれば、わしひとり分くらいにはなるから大丈夫じゃ。その代わり、世界から魔力が消える。つまり、魔法使いも魔術師も意味がなくなるということじゃな。あと、一時的に人間同士の揉め事は増えるじゃろうな」

「ああ、で、魔法使いを辞めるってことなんですね。言い方が回りくどいですよ」

「うるさい鈍感。ただし、わしへの気安い態度は好きじゃけどな」

「はい」


 そう言われると黙るしかない。『鈍感』も『好き』も、なかなか強い言葉だ。


「とはいえな、いろいろ話しすぎたし、わしも慌てすぎた。今日のところは退散するよ」


 師匠は立ち上がり、俺の頭に小さな手を置いた。子供扱いされた気がして、なんだか気恥ずかしくなる。


「さっきも言ったがの、わしはどんな手を使ってでも正々堂々とケンを奪うことにしたよ。黒影の件をダシにしてもな」

「それって正々堂々じゃなくないですか?」

「いいや、手の内を隠す方が卑怯じゃよ。なぁ? アカリ」

「そうだね。私も全力で健司さんを捕まえるよ」


 対抗するように明莉は立ち上がり、俺の後ろに回り抱きついた。背中に柔らかい感触が伝わってきて、思わず緊張してしまう。

 お付き合いを始めてからこれまで、身体の接触は手を繋ぐ程度だった。師匠からのプレッシャーにより、どうやら焦りをみせたようだ。しかし明莉、これ以上は大学を出てからだぞ。


「ぐぬぬ、女の武器を使うとは……」

「ふふふ、照れてる場合じゃないからね」


 明莉と師匠の間に、見えない火花が散るのが感じられた。女の戦いは、俺を置き去りして既に始まっていた。恋愛感情には鈍くても、はっきりと認識できるくらいだ。

 とはいえ、俺の心は決まっている。長年好いてくれていた師匠には申し訳ないが、やっぱり明莉がいい。


「あー、師匠? 俺は」

「それ以上言うでない、わかっておる。好きでない女とお付き合いなどせぬからな」

「そうですか」


 俺が告げようとした決定的な言葉は途中で遮られた。すぐにでも決断を迫られると思っていたが、そうでもなかったようだ。とりあえずの安心と、問題を先送りにする気持ち悪さが同時に襲いかかってくる。


「今日はいろいろ話しすぎた。お互いに混乱もしておるしな。一日くらいは時間を置こうと思う。また明後日来るからの、待っていておくれ」

「はぁ」


 片目を閉じてみせた師匠の姿が突然消えた。次の瞬間、左頬に柔らかい感触。


「うおっ」


 瞬間的な転移。そこそこ高度な魔術をこんなにもあっさりと使う。俺がやったら、この距離でも筋肉痛は確定だ。


「ふふ、お前がどういう男か、今更になってわかったからの。覚悟しておけ」


 唇を頬から離した師匠は、俺の耳元でそっと囁いた。変な震えが、背中から首にかけて伝わってきた。


「あー、またやった!」

「それではな」


 ようやく状況を把握した明莉の怒声をよそに、美少女は軽やかにアパートの出口に向かう。あの人のことだから、どこかに宿は用意しているのだろう。


「またな、ケン、アカリ」


 いつものように突然現れた師匠は、黒影の正体という、とんでもない情報を俺たちに伝えた。しかし、彼女にとっては、さほど重要なことではなかったらしい。どちらかというと、俺の恋人の確認が主目的だったようだ。

 人を超越した師匠ですら、過去の出来事や世界の問題よりも優先順位を高くしてしまう。恋心というものは、恐ろしいものだ。

 しかも、それはどうやら、明莉も同様みたいだった。


「これは大変なことになりました……」


 その証拠に、いつになく真剣な呟きが後ろから聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る