第6部『あのお方が来る』
第38話 惚気けたい時は惚気けたい
やまざ……いや、明莉と恋人関係になり約一ヶ月が経過した。いい子で優秀でよく気がついて、そして何より可愛い。見た目はもちろんなのだが、内面が非常に可愛い。
お付き合いする前はわからなかったのだが、彼女は非常に照れ屋だった。軽く手が触れただけで赤面したり、数秒目が合うと慌てて目を逸らしたりする。それなのに、俺の隣にいたがる。
「健司お……えっと、健司さん……」
「おう、明莉」
「あー、もぅー」
まぁ、こんな感じだ。あんなに押しの強かった態度が、今や見る影もない。こんな状態でも魔法使いの仕事や普段の生活は、なんとか大きな支障なくやれている。我ながら、いいコンビだという自覚もある。ただ、ふとした瞬間に、なんかこう、愛しくてたまらなくなってしまうのだ。
いい歳したおじさんが、こんなになってしまうのは、傍から見たら少々どころじゃなく気持ち悪いだろう。会社では部長直々に『ニヤニヤして変』と言われたくらいだ。まぁでも、それくらいは許して欲しいと思う。
「今日はですね、金曜特売でお肉が安かったのでビーフシチューにしてみました」
「おー美味そう」
「ふふ、市販のルーですけどね」
内心は非常に惚気けているが、俺達の距離感や関係性が目に見えて変わることはなかった。変化点はいくつか思いつくが、そんなに大きなものではない。例えば、呼び方が互いの名前になったこと。
それともうひとつ、明莉が料理を作り過ぎることがなくなったことも挙げられる。それを宣言した時の『うふふー、もうそんな作戦いらなくなりました』と言う彼女はとても良い笑顔をしていた。
とはいえ、言い方が変わっただけで、作って貰っていることには変わりない。材料費をバイト代から払うこともなくなり、共同で出資する生活費から出すようになったのも、変化と言えば変化だ。
「ビーフシチューに合わせるのでパンがいいかなとも思いましたが、やっぱりご飯かなと。どうですか?」
「うん、大正解。ありがとうな」
「よかったー」
上目遣いに見つめられ、思わず視線を逸らしてしまった。なんだこれ、日に日に可愛くなってるぞ。まさか、恋人の目を見つめるのに勇気がいるようになるとは思わなかった。
「いただきます」
「はい、どうぞ。私もいただきます」
スプーンと箸を使い分け、ビーフシチューと白飯を食べ進める。しっかりサラダもあるあたり、気遣いを感じて嬉しい。
「うん、美味い」
「よかったー」
二ヶ月ほど前に言われた『結婚を前提に』という言葉を本気にしてしまうくらいには好きになっていた。でも、明莉には選択肢を残しておきたかった。若者の人生を固定したくはないという、俺のわがままだ。
もし、もしもだ。彼女が大学を卒業する時に、今と同じ気持ちでいてくれたら、ちゃんと言おうと思う。その時は、残りの人生を固定させてしまいたい。
サラリーマン。魔法使い。そして山崎 明莉の恋人。最近増えた肩書きに、俺は非常に満足していた。
「今週の土日は、魔法使いのお仕事入ってませんね」
「あー、もう六月だからな。ごちそうさま」
「お粗末さまでした。六月は少ないんですね?」
「例年そんな感じだよ」
変化が多い三月四月と、変化のしわ寄せが来る五月は人の心を大きく惑わせる。それらがなんとなく落ち着くため、六月は黒影の発生数が減る傾向にあった。
つまり、俺達のような登録魔法使いは暇になりがちということだ。わざわざ外部に頼らずとも、協会の正規魔法使いだけで対処できてしまう。
「久しぶりに、土日はゆっくりできそうだよ」
「じゃあ!」
「ん?」
「あの、えーと、あれです」
勢いよく乗り出したものの、急に言葉が弱くなる。その態度から、言いたいことがなんとなく察せてしまう。わかりやすい子だ。
「どっか出かけるか?」
「はい!」
「返事早いな。急に依頼入るかもしれないから、そこまで期待するなよ」
「大丈夫です! お仕事はお仕事で一緒にいられるので!」
明莉は弾むような足取りで、食器を片付けていった。露骨にご機嫌な鼻歌まで聞こえる。ただし、調子外れであんまり上手くない。これはご愛嬌というやつだ。
さて、どこに連れて行ってやろうか。車は持っていないし、急な依頼も考えると遠出はできない。駅近くをブラブラするのも悪くないと思うが、明莉はどうだろうか。
「なぁ、明莉」
「はいー?」
ピンポーン
ブラブラを提案しようとしたタイミングで、チャイム音が鳴った。この時間、このタイミングで来るのは一人しか思い付かない。また同伴の依頼だろうか。仕方ないとはいえ、勘弁して欲しいものだ。
「瀬戸だよなぁ……」
「あ、私出ますよ」
俺が重くなった腰を上げようとするのを遮って、明莉が声をあげた。ワンルームのリビングより、通路と一体になったキッチンの方が玄関に近い。
「あー悪いな。一応ちゃんと見てから開けなよ」
「はーい」
ほぼ間違いなく奴なのだが、万が一ということもある。覗き窓から確認はしてもらいたい。
「あれ?」
「どうした?」
明莉の戸惑った様子を見ると、来客は瀬戸ではなかったようだ。とりあえず俺も玄関へ向かう。
「小さい、女の子が」
「女の子?」
ドアに目を近付け覗き窓から外を見た。正面には誰もいない。頭の角度を変え、視線を下に向けた。
「まじだ」
「お知り合い、ですか?」
「いや、心当たりない」
そこには、真っ白いポンチョのような上着を羽織った、小さい人影があった。猫の耳にも見える突起がふたつあるフードを被っていて、顔はよく見えない。既にだいぶ暑いこの時期には、似つかわしくない服装が妙な雰囲気だ。
明莉が女の子と称したのは、この服装と体格からだろう。本当に女の子だとしたら、こんな夜に外を出歩いていては良くない。場合によっては保護して警察へ連絡する必要がある。
「とりあえず、開けようか」
「はい」
チェーンと鍵を外し、ゆっくりとドアを開けた。人影はぴょこんと音がするように軽く跳ねると、フードの内側をこちらに向けた。明莉の言う通り、小学校低学年くらいの少女だった。それも、とびきりの美少女だ。
幼いながら非常に整った顔と白い肌は、明らかに日本人ではない。北欧系だろうか、透き通ったエメラルドグリーンの瞳が俺を見つめる。
「ケン、来てやったぞ」
謎の少女は、舌足らずな可愛らしい声と共に目を細めた。
明莉は物凄い勢いで俺に振り向いた。
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