第37話 どこに行くかより誰と行くかが重要(第5部 完)
俺は内心かなり焦っていた。予約の時間はとっくに過ぎているため、受け付けてもらえるだろうか。そもそも、今から向かったとして、閉店時間に間に合うかどうかすら怪しい。とにかく急がねば。
「健司おじさん、ちょっと待ってください」
山崎の声は少し苦しそうだった。俺は無意識に、彼女の手をかなり強く引っ張っていたようだった。
「ああ……」
慌てて手を離す。そういえば、俺から山崎の手を握ったのは初めてだった。筋肉痛の介護で腕を掴んでもらったことはあるけど、それとこれでは意味が違う。
山崎は解放された右手を振り、こちらを見つめた。散々走った後に、無理やり早歩きをさせた。俺の感情だけで、悪い事をしてしまった。
「山崎、悪かっ……」
「あーあ、離されちゃいました。残念」
謝罪を遮った山崎の口から出てきた言葉は、まったく予想外だった。痛いとか、苦しいとかだと思っていた。
「あー、山崎?」
「あのですね、さっきは落ち込んじゃってごめんなさい。でも、もう大丈夫です。健司おじさんに手を握ってもらえて、気持ちを切り替えることができました」
「どういうこと?」
「凹むなんて、私らしくないなって思いました!」
山崎はいつもの山崎に戻っていた。そのきっかけが、俺の焦りだったというのがなんかもう可笑しい。
「じゃあ、急ぐぞ」
「で、ちょっと待ってください」
「ん?」
「とりあえず、電話しましょう」
「ああ!」
確かに。予約に遅れたらまずは電話だ。そんな事にも気付かないなんて、俺はかなり気が動転していたらしい。
非常に恥ずかしい気分を抱いたまま、ポケットから携帯電話を取り出して店の番号を入力した。店員の女性が電話に出るまで、しばらく時間がかかった。きっと忙しいのだろう。
慌てている様子の女性に、予約の時間に遅れた旨を説明する。以降はずっと満席だそうで、時間の変更は断られてしまった。
「……はい、わかりました。ご迷惑おかけしました」
携帯電話をポケットに入れ、俺は肩を落とした。
「聞こえてた?」
「はい、聞こえてましたよ」
露骨に落ち込んだ気分の俺と正反対に、山崎は平然としていた。右手を左手で包み、むしろ楽しげでもあった。
「ごめ……」
「だめですよー」
「え?」
再び謝罪が遮られる。
「健司おじさんはどうかわかりませんけど、私は別にどこで何してもいいんです。一緒ならそれで」
「ああ……」
どうやら、いつの間にか目的と手段が入れ替わっていたようだ。俺は山崎を雰囲気のいいレストランに連れて行きたかったんじゃなくて、山崎の喜ぶ顔が見たかったんだ。それと、ちゃんと話をしたかった。
そのための場所はどこだっていい。
「じゃあ、どこ行こうかね。食事はしたいものな」
「ですね。うーん」
この時間で入れる店といえば、居酒屋くらいしか思いつかない。さすがに、二十歳になっていない子を居酒屋には連れては行けない。
「あ、そうだ!」
「ん?」
悩んでいたところで、山崎が手を叩く。ぱちんという音ともに、すごい笑顔を浮かべている。
「あそこにしましょう!」
「あそこ?」
「そうです! 私達の思い出の地!」
山崎の表情には見覚えがある。あの時と同じ顔だ。俺はピンと来た。
「ああ、この時間でもいいな」
「はい、さっそく行きましょう。お腹空いちゃいました」
三歩ほど歩いた後、山崎はこちらに右手を差し出した。
「ちゃんとエスコートしてくださいね」
「まだ早い。行くぞ」
「ちぇー」
照れくさくなった俺は、ポケットに手を突っ込んだ。大人の男がする対応とは我ながら思えない。情けないけど、もう少しだけ心の準備が欲しかった。
そのまま電車に乗り一駅、目的地は会社近くの駅からすぐそこ。あの日、黒影から助けた少女に無理やり連れて行かれたファミレスだ。約一ヶ月ぶりに入る店内は、どこか懐かしく感じた。
「あ、前と同じ席ですね」
店員に案内された席は、以前と同じ席だった。おあつらえ向きというか、なんというか。さぁ、ここで言うんだ、里中 健司。
「何にしようかなー」
「なぁ、山崎」
嬉しそうにメニューを眺め始めた山崎へと話かける。若干声が裏返っている気がした。
「なんですか?」
「注文の前に、話したいことがあってな。本当はもう少し静かな所の予定だったんだけど」
「なんでしょう?」
これから話すことで、もしかしたら幻滅されるかもしれない。同時に、山崎なら受け入れてくれるんじゃないか、なんて期待もしている。
「実はな、俺と山崎は初対面じゃなかったんだ」
「え?」
「十年くらい前、魔法使いに助けられたって言ってたよな? あれ、俺なんだ」
「へ?」
大きなメニューを手にしたまま、山崎の動きが固まった。こんな事実をいきなり告げられては、混乱するのも当然だ。
「えーと……」
「あのころな、魔法使いになったばかりで調子に乗ってたんだ。今の瀬戸みたいなもんだ。で、助けた女の子の真剣な言葉に、俺は茶化して答えたんだ」
「えっと、じゃあ、あのお兄さんが、健司おじさんということで?」
「うん。山崎の人生を無責任に縛ったのが、俺ってこと」
「健司おじさんが、あのお兄さん……」
山崎はじっと俺を見つめる。次に出てくる言葉が心底恐ろしかった。激昂して『あなたの安易な言葉が私の人生を台無しにした』と言われても仕方がない。でも、そうじゃないことを言って欲しいと願っていた。
「ということは、これは運命ですねっ」
「は?」
「だってそうですよ。結果的かもしれませんが、お兄さんは私を迎えに来てくれたんですよ」
「そうなるんだ?」
「はい。そうなります」
予想というか、期待というか、それらを軽く越える反応だった。驚きながらも、俺はどこか納得してしまってもいた。
見た目は好みだし、とても優秀でもある。性格も優しくいい子で、文句のつけようがない。しかも俺を好きだと言ってくれる。
それらはもちろん、彼女の魅力を形作る重要な要素だ。でも、俺が心から惹かれたのは、別のところにあると今更気付かされた。無邪気なまでの前向きさと、本質を正面から見据える意志。
俺にないものをしっかりと持っていて、それを俺に真っ直ぐ向けてくれている。そりゃ、落とされてしまうわけだ。
「それに、安心しました。最初は一目惚れに近い形でしたけど、今はちゃんとしっかり健司おじさんのことが好きです。そういう意味では、十年くらい前の私も、男性を見る目があったなって」
「そっか」
「はい! あ、じゃあ、今『私と結婚を前提にお付き合いしてください』って言ったらどうなるでしょうね? なんて」
冗談めかして笑う山崎は可愛かった。だから、驚かしてやりたくなった。言うなら今しかない。
「うん、よろしくお願いします。結婚前提とまではいかないけどね」
「え? なんて?」
「結婚前提とまでは言えないけど、俺とお付き合いしてください」
「え? うぇ? は?」
俺はテーブル越しに、メニューを持ったままの手を握った。その柔らかな指は、徐々に小さく震え出す。
「どうだろうか?」
答えのわかっている質問とはいえ、なかなか緊張してしまう。万が一ということもあり得る。ないとは思うけど、ないと思いたいけど。
「あ……はい。よろしく、お願い、します……」
山崎らしくない、店内の喧騒に消え入りそうな声だった。なんか俺も手汗がすごい。
「じゃあ、好きな物を頼んでくれ、やまざ……明莉」
「は、ははははははい」
山崎、じゃなくて明莉は、顔を真っ赤にしながら店員を呼ぶボタンを連打した。俺は身体中に変な汗をかいていた。周りからはきっと、変なカップルに見えたことだろう。
こうして、魔法使いの助手は、魔法使いの恋人になった。もちろん、帰りはしっかり手を握った。お互いに恥ずかしくて無言だったけど。
後から聞いた話だが、明莉はその時食べたチーズハンバーグセットから全く味を感じなかったらしい。俺が頼んだスパイシーチキンステーキセットも無味無臭だったような気がしたが、それは秘密だ。
第5部『デートまでの長い道のり、そして』 完
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