第36話 足の早い男がモテる年代があった

 俺はだんだんと小さくなる後ろ姿を見て、途方に暮れそうになった。陽はほとんど落ちている。


 指定された待ち合わせ場所は、俺のアパートから二駅離れた先の運動公園。依頼者は二十代半ばに見える男性だった。彼は塚本つかもとと名乗った。

 瀬戸が話を聞いている途中、塚本さんは突然笑いながら走り出した。「じゃあ、鬼ごっこね!」と楽しげに言い残して。

 瀬戸と俺、そして山崎は慌てて塚本さんを追いかけた。しかし相手の足は妙に早く、あっという間に遠ざかっていった。決して俺の体力が衰えているわけではない。そう思いたい。


 なんと表現したらいいのか難しいのだが、瀬戸 由佳という見習い魔法使いは、とことん貧乏くじを引く特性があるようだ。具体的に言うと、一見簡単そうに見えて厄介な案件に当たる。

 今回も、依頼者が自ら黒影に取り憑かれたことを自覚して、協会まで連絡したパターンだった。経験の浅い魔法使いには、この手の依頼が回ってくることが多い。それは、比較的解決が楽だからだ。

 ささっと本音を聞き出して、ささっと祓う。そのはずだったのだ。


「遅いよー! こっちこっちー」


 ずり落ちそうになるメガネの位置を直し、改めて前を向く。塚本さんが楽しそうにこちらを挑発していた。

 瀬戸が必死に走っているのも見える。しかし、タイトスカートのビジネススーツにパンプスでは分が悪い。それでもスニーカーの俺より早いって、あいつ運動神経すごいな。

 山崎はだいぶ遅れているようだ。頭は切れるし察しも良くてしかも可愛いが、運動神経はあまり良くないようだ。なんか少し安心してしまう。


「瀬戸……なんとか……追いつくぞ」


 息が絶え絶えになっていて苦しい。やばいな、これはジョギングとかした方がいいのかもしれない。

 今この状況をなんとかできるのは、筋肉痛を覚悟した上での身体強化魔術だろう。寝込むほどではないが、ゴールデンウィーク後半は痛みと共に過ごすことになる。


「実は、強化は、まだ練習中でして」

「まじか……」

「まじです」


 身体強化の魔術は悪用防止のため、大学では概要しか教えていない。だから瀬戸も免許取得後の現在で、ようやく練習中の身というわけだ。

 瀬戸の性格では悪用することなんて考えないだろうけど、そういう学生は過去にいたそうだ。魔術や魔法は簡単に犯罪行為ができてしまうため、免許取得にあたって規律や人間性を重視する傾向がある。俺も師匠にはその辺を厳しく指導された。

 つまりだ、ここから先は俺が対応しなければならないということだ。付き添いのはずだったのに、大変迷惑な話だ。


 自分の中にある魔力を、下半身に集中させた。脚の筋肉を太くするイメージだ。走るのは苦手だが、やらざるを得ない。よし、いける。

 魔力によって増強した筋肉によって、俺の体は弾かれるように加速した。身体強化は何度使っても違和感がある。あんまり運動しない普段と、素早く動く強化後の格差が酷いからだ。

 とはいえ、もう慣れたものでもある。あっという間に瀬戸を追い抜き、塚本さんへと迫る。


「なっ!」


 もうすぐ手が届くと思ったところで、塚本さんがさらに加速した。こいつはまずい。

 彼の脚部に、うっすらと魔力を感じた。魔術を使ったわけではなさそうだが、身体強化のような状態になっていた。

 世の中には、隠れた魔術の才能を持った人が多くいる。師匠にスカウトされる前の俺が、まさにそれだった。


 体内魔力を豊富に持つ人が黒影に取り憑かれると、無意識に魔術に近いことをする場合がある。たぶん今回はそれに該当するケースだ。

 なんかこう、運命的なものすら感じる。どうやらこの世界は、俺にデートをさせない気らしい。

 このままでは追い付かない。そうすれば黒影も祓えない。デートもできないし、そもそも魔法使いとして失格だ。

 俺はもう覚悟するしかなかった。


「くそっ!」


 約一ヶ月前のあの日、まだ名前も知らなかった山崎を助けたのは咄嗟のことだった。だから覚悟もなにもなく、半分無意識に魔術を使った。

 あの時ほどではないが、状況を打破するには近しいことをする必要があった。たぶん明日と明後日は、筋肉痛で動けなくなる。

 でもまぁ、仕方がない。 彼女はそんな俺を好いてくれているようだ。それに俺自身も、彼女のおかげでそんな自分が嫌いではなくなりつつあった。

 だから、この後に全部を話そうと思っている。幻滅されるかもしれないけど、全部だ。


 下半身に送っていた体内魔力を、今度は全身に行き渡らせた。手足だけでなく、心臓や横隔膜まで全ての筋肉を、一時的に人の限界まで強くする。

 短時間であれば、俺の身体能力はどんなアスリートや格闘家にも負けないだろう。魔術とは、とてもずるいものなのだ。


 その後は簡単だった。

 塚本さんを捕まえて、申し訳ないけど軽く拘束した。

 彼の本音は『少年の頃に憧れた魔法使いに会いたい』というものだった。それが歪んで、魔法使いとの鬼ごっこに変わったと。

 平謝りする塚本さんをなだめ、無意識下で魔力を使った記憶だけ消した。記憶操作は最小限に、これは魔法使いの基本でもある。


「遅く、なっちゃいましたね。すみません、私の読みが甘くて」


 真っ暗になった空を見上げ、瀬戸がバツの悪そうに謝罪の言葉を呟く。携帯電話の時計を見ると、予約の時間はとっくに過ぎていた。


「ううん、由佳ちゃんのせいじゃないよ」


 俺も山崎と同じく、瀬戸を責めるつもりはない。ただ、瀬戸を慰めるその声は、酷く落ち込んでいた。


「瀬戸、あとの対応は任せてもいいな?」

「あ、はい、もちろん」

「山崎、行こう」


 ガクガクする膝を押さえつけて、山崎を促した。まだ諦めたくなかったのだ。

 俺を好きと言ってくれたこの子に、好きになってしまったこの子に、特別な場面で大切なことを伝えたかったから。


「え、でも、時間……」

「大丈夫、まだ間に合うかもしれないから、ほら」

「あっ……」

「じゃあな、瀬戸」

「はい、ありがとうございました!」


 俺は山崎の手を引いて、運動公園を後にした。

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