第33話 固定観念は案外簡単に崩れる

 俺は今、人生最大の窮地に立たされているのかもしれない。狭いアパートの一室に、四人が黙って座っている。

 この奇妙な状況は、山崎の『あ、じゃあ、私の部屋で詳しく説明するね。健司おじさんもいいですか?』という発言が発端だ。若い女性の部屋に大勢押しかけるのもどうかという話になり、結局俺の部屋で説明会が行われることに決まったというわけだ。


 その結論に至るまで異論を挟まなかったのは、山崎のお父さんに黒影の存在を感じたからだ。この流れで本音を聞き出して、大事にならない内に祓ってしまいたい。

 山崎にも、どこかのタイミングで父親に取り憑かれていることを伝えなければ。俺は二重の意味で緊張に身を固めた。


 俺の狙いを知らないまま、山崎のご両親は仕方なくという風に部屋まで上がってきた。クッションを差し出すが、床に直接正座されてしまう。

 俺だけクッションを使うわけにもいかず、同じように正座した。山崎もそれに合わせ、当たり前のように俺の隣に座った。

 俺を正面から睨むように見つめているのは、明夫さんと紹介された山崎のお父さん。その右隣にはお母さんである茉莉さんが、おっとりと微笑んでいる。


「うん、じゃあ改めて説明するね」


 なぜか俺の隣にいる山崎が、いつもの調子で話を始めた。彼女がこっち側にいる時点で、いろいろ勘違いさせているのではないだろうか。

 ここで認識阻害をかけて強引に祓うこともできるが、後の記憶操作に不都合が出る可能性を考慮し一旦保留した。まずは黒影によって歪まされた欲求の確認をしよう。


「彼は里中 健司さん。命を助けてもらったことがあってね、それがきっかけで好きになったの」

「ほぅ」

「で、いろいろアピールしるんだけど、なかなか振り向いてもらえなくて」

「ほぅ」


 やめてくれ山崎、その説明は嘘ではないけどダメな言い方だ。ほら、明夫さんの眼光がさらに鋭くなっただろう。

 どこまでが素の反応で、どこからが黒影の影響かさっぱりわからない。もう少しでいいから、オブラートに包んだ言い方にできないものか。


「ちょっと前からは、バイトって形でお仕事の手伝いもさせてもらってるんだよ。いろいろ機密が多くて、詳しくは話せないんだけどね」

「ほぅ、親にも話せない仕事か」

「うんうん、ごめんね。でも安心して。全然怪しくないお仕事だから」

「怪しくないか」

「そう、詳しく言えないけど健司おじさんは凄いんだよー。あれ、お父さん怒ってる?」

「いや、怒ってないよ」

「そっかー」


 続く説明も、誤解と不信感を加速させるようなものだった。怪しくないと言った時点で怪しいぞ山崎。そりゃお父さんも反応に困るぞ。

 当の本人はちょっとした違和感を覚えた程度で、あまりに気にしてはいないようだ。世間話でもするように自然な態度で、俺の印象を悪化させていった。


 心の底から補足説明がしたい。しかし、迂闊に口を開いてしまえば、ほぼ確実に逆効果となるだろう。

 多少なりとも気を許してもらわなければ、本音なんて聞き出せない。だから今は耐えるしかないというのが、俺の判断だった。


「明莉の話はわかったよ。里中さん、少し、こちらの話を聞いてください」

「はい」


 眼光はそのまま、無理に平静を作るように明夫さんは口を開いた。


「見ての通り大切な一人娘です。子供の頃からの夢を叶えさせてやるため、一人暮らしも許しました。一ヶ月経って様子を見にきたら、これです」

「はい」


 ああ、確かにこれだ。見知らぬ男と仲睦まじくしている(ように見える)娘を見たら驚くだろう。しかもかなり年齢差がある相手とだ。

 戸惑いや怒りに近い感情を持ちつつも、理知的であろうとする。彼の意思がそこに見えた気がした。


「嫌な言い方してごめんなさいね。普段はこんなことないんですよ、この人。今日だって、急に明莉に会うって言い出して。急に来たら迷惑だってわかってるのに」


 なるほど、そういうことか。茉莉さんから入ったフォローのおかげで、事情が概ね想定できた。

 娘が一人暮らしを始めた寂しさで心に隙間ができ、そこを黒影に取り憑かれる。欲を歪められ、迷惑だとわかりつつも会いに来た。詳細は違うかもしれないが、そんなところだろう。

 俺へのちぐはぐな態度や山崎や茉莉さんの戸惑いも、これではっきり説明がつく。 問題は、ここからどうやって本音に近付くかだ。


「どうも必死になりすぎているみたいで、申し訳ない。娘を悲しませる可能性があることは、どうしても見過ごせなく思えて」

「はい」


 おそらくここが、黒影に歪まされているポイントだ。激しく攻撃的にならず、否定も最小限にしようとしていて、突飛な行動も控えめだ。きっと本来は、穏やかな性格の人物なのだろう。

 そして、俺の予想が正しければ、とても素直な人だ。ここまでの会話と、このご両親に育てられた山崎を見ていたらわかる。


「最初は里中さんを否定的に捉えていました。でもね、そういうことじゃないんですよ。現に明莉はとても楽しそうです。だから、違うんです」


 心苦しそうに、吐き出すように語っている。その姿を見て、山崎が察したようだ。ちらりとこちらに目配せをした。

 さすが優秀な助手だ。俺は軽く頷いた。


「お父さん、大丈夫だよ。恥ずかしくて言えなかったけど、健司おじさんね、デートに誘ってくれたんだよ。今夜、素敵なレストランに連れて行ってくれるんだって。ですよね?」

「は?」


 山崎は凄く良い笑顔を俺に向けた。いや違う、違うぞ山崎。優秀な助手という評価を撤回したくなる。


「良識のありすぎる健司おじさんを落とすのは難しいけどね。もしかしたら、振られちゃうかもしれないけどね。でも、大丈夫。私は今、幸せなんだよ。心配してくれてありがとうね」

「明莉……」


 明夫さんの幅広い肩が震える。口元から、黒いものが見え隠れした。


「娘の気持ちを押し付ける気はありません。迷惑ならきっぱり振ってやってください。ただ、もし、お仕事や年齢を気にされているなら、大丈夫ですよ。少なくとも親としては明莉が幸せな……あああああああ!」


 最後まで言い切る前に、明夫さんから黒影が溢れ出した。


「健司おじさん!」

「おう!」


 痺れた足でよろけつつ、明夫さんに取り憑いた黒影を祓った。そのまま、ご両親から黒影に関する記憶を消去する。


「ふぅ」


 一時的に気を失った二人を前に、ひと息つく。色んな意味で緊張した時間だった。

 改めて山崎の方を向くと、俺に向かって可愛らしく親指を立てていた。ここまでが全て計算だとしたら、優秀な助手の撤回を撤回しなければならない。


 もちろん父親を救うのが大前提だったとは思う。たぶん意図的ではないとも感じる。

 しかし、俺の中の常識という固定観念を崩すのと、外堀を埋める行為、その両方をこの子はやってのけてしまった。

 満足げに目を細める山崎はやっぱり魅力的だった。

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