第24話 自分を守るための誠実さは時に不誠実となる

 本業も副業も、まぁプライベートもバタバタした四月は終わりに近付いていた。

 ゴールデンウィークを目前にした世間は、全体的になんとなく浮き足立っているようにも感じる。

 毎年のことではあるが、俺にはこれといった予定はない。ダラダラするか、魔法使いの仕事をするか、といった程度だ。


 ただ、正直なところ、今年はちょっとソワソワしていたりもしている。何かに誘われたりするだろうか。などと、実際に誘われると困るくせに、あまりにも都合のいい妄想をしていた。


 その原因となった娘さんは今、今月の収支計算を始めたところだ。

 助手として雇った当初は、そこまでを求めていなかった。しかし、やる気がすごいため、ついつい任せてしまう。

 間違いなく助かっているのだが、頼りすぎもどうかとは思う。あくまでも魔法使いは自分がやり始めたことだ。


 とはいえ俺は俺で、協会へ提出する月末報告書類を作っている。面倒だけど毎月のことで、慣れたものだ。有能極まりない人手がある今月からは、本業と比べても楽な仕事の部類に入るくらいだった。


 その人手をちらりと盗み見る。真剣な表情を浮かべていても、幼さの残る整った横顔は素直に可愛かった。シンプルに括った長い髪も艶やかで綺麗だ。

 いつの間にか俺は、山崎に見惚れていた。だめだ、これはいけない。気付いたと同時に、慌てて書類へ向き直った。


「えええー!」

「うおっ」


 副業用の通帳を確認していた山崎が、唐突に大声をあげた。


「どうした?」

「これ、ゼロ多くないですか?」


 震える手で通帳を見せてくる。報酬の振込金額でも間違えられたのだろうか。

 受け取って確認したが、問題は見当たらなかった。きっちり規定通りの額だし、件数も正しい。


「いや、問題ないぞ。今月は四件だろ。うん、だいたい合ってる」

「え、これでいいんですか?」

「うん、こっちの報酬規定表通りだぞ。ああ、細かいところは確認してほしいけども」

「は、はい」


 事前に渡してあった規定表を指差す。条件や状況などにより、細かな違いがあるから、それを見誤ったのかもしれない。

 嫌がらせのように難解な日本語を使っているから、最初は間違えるのも頷ける。


「あー、細かいもんな。まだ時間の余裕はあるし、ゆっくりやってくれていいよ」

「いえいえ、そういう意味でなく……あ」

「どうした?」

「私が規定表の桁数を読み間違えてました。ゼロがひとつ多かったです」

「そっちかー。まぁ気付いてよかったな」


 山崎の肩を軽く叩き、俺は書類作成に戻ろうとした。しかし、助手の顔は晴れない。


「健司おじさん……」

「わからないことあった?」

「いえ、そうじゃないんですけど」

「ん?」

「魔法使いさんの報酬額、こんなに多いんですね」

「そうでもないだろ?」

「多いですよ。一件で、五十万円って」


  山崎の言う通り、普通のサラリーマンからしたら破格の報酬だ。俺もそれに惹かれて魔法使いになったところもある。

 黒影の対策費用は、全額税金で賄われている。協会による中抜きもそれなりにあるなんて、黒い話もあったりする。

 それでも、取り憑かれた者が起こす事件の被害額に比べたら、魔法使いに払う報酬など些細なものらしい。

 魔法使いは特殊な技能だし、危険が伴う場合もある。感覚でしか言えないが、そこそこ妥当な金額ではないかとも思う。

 

 それに、一人でいると金なんてそんなに使わないものだ。長いことやっていて慣れてしまったのだろう。いつしか金額に関しては何も感じなくなっていた。

 だから、山崎の反応はとても新鮮だった。

 金銭感覚が世間とズレるとろくな事がない。昔、親から散々言われていた。そういえば師匠も似たようなことを言っていたな。


「あ、貯金もしてるし、ちゃんと納税もしてるぞ。協会の特例確定申告でだけど」

「そこは心配してませんが、別の心配が」

「なにが心配?」

「言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、私は魔法使いさんの報酬について、今まで知りませんでしたよ」

「うん、関係者以外は非開示だし」

「そこで、誤解なきようにお願いしたいのですが」


 山崎にしては珍しく、言葉の歯切れが悪い。とても言いにくいことを言おうとしているのがわかった。それが何なのかまでは、わからないけど。


「あの、玉の輿とか狙ってませんからね」

「は?」

「私は純粋におじさんを狙っているだけですからね」

「ああ」


 なるほどそういうことか。

 金銭目当てだと思われたくなかったと。だから言いづらそうだったと。

 わざわざ必死に説明するくらい、俺を好いていると。

 なんか、年齢を気にして逃げているのが、馬鹿らしくなってきたかもしれない。同時に、今の俺は山崎の気持ちに対して誠実ではないとも思えた。


「わかってるから、いいよ。大丈夫」

「健司おじさん……ありがとうございます」


 にっこり笑う山崎を見て、小さく決心した。何かに誘われたらどうしようなんて、俺が理想とする大人の考えることじゃない。

 こんな時にどうするのが正しいか、俺はわかっている。ちょっとだけ勇気を出して踏み出したら、それでいい。


「山崎、ゴールデンウィーク、暇な日あるか?」

「へ?」

「助手、頑張ってくれたからさ、どっか飯でも食べに行かないか? いつも飯作ってくれて助かってるってのもあるし」

「へ?」


 山崎がフリーズする。固まった顔が再起動するまで、それなりの時間を要した。


「健司おじさん」

「はい」


 眉をひそめて、こちらを見つめる。妙な緊張が襲ってきた。俺は中学生か。


「それは、デートのお誘いと理解してもよろしいですか?」

「あー」


 確かにそうだ。これまでの俺の態度から考えれば、確認したくなってもおかしくはない。

 今ならまだ誤魔化すこともできる。ここで引き返せば、山崎をがっかりさせるだけで済む。だけど、俺は俺の気持ちに従うことにした。


「うん、そのつもり」

「あ、えーと」


 再び山崎はフリーズした。少し待つと、驚いたまま固まった顔がゆっくりと緩み始めた。

 完全に緩みきって、緊張感が完全になくなったところで、山崎はようやく口を開いた。


「嬉しいです。まさか健司おじさんからお誘いされるなんて、驚いてしまって」

「俺も驚いてるよ」

「ふふ、同じですね」


 緩みに緩んだ笑顔も、魅力的だった。


「とりあえず、この仕事終わってからだけどな」

「そうですね。ふふふー、楽しみだなぁ」


 俺たちはたぶん、露骨に浮かれていた。

 しかし、デートまでに様々な障害が待ち構えていることを、この段階の俺たちは知る由もなかった。

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