第25話 平常心を失いたい時こそ平常心を求める

 その依頼は俺を戦慄させた。

 山崎の帰った後、鳴り響いた魔法使い用の携帯電話。月末書類の作成が終わり、ゆったりしていた俺の気分は脆くも崩れ去った。

 明日から連休が始まる。魔法使いの仕事もあるだろうから、全部は休めないとは思う。それでも、素直になると決めた相手とならきっと楽しめる。

 それに、勇気を出して申し出た約束もある。


 それら全てをぶち壊す、悪夢のような電話だった。手から力が抜け、思わず床に落としてしまった。このまま壊れてしまえばいいとも思えた。

 しかし、支給された電話は頑丈だ。なんの問題もなく、繋がったままだ。


『里中さん、聞こえてますか? おーい』


 魔法使いの氏名は秘密とされている。それでも俺の名を呼ぶということは、相手が協会の関係者だということを示す。

 そして、この落ち着きがあるようでない声には聞き覚えがある。

 魔法使いの大学を首席で卒業し、新卒で協会の職員となった、俺の師匠の狂信者。瀬戸 由佳だ。


 三回ほど深呼吸してから電話を拾い上げ、再び耳に当てた。


「要件の前に名乗ろうぜ、瀬戸」

『今更いいじゃないですか』

「いや、礼儀としてな」

『あのお方以外への礼儀など存在しません。あ、上司へは形だけの敬意は払いますよ』

「あー、そう」


 電話の向こうにいるであろう、瀬戸の偉そうな顔が頭に浮かんだ。それほど強烈な印象だったのだ。

 師匠のことを真剣に二つ名で呼ぶ人間が、まさか実在するとは思わなかった。あれは俺にとって衝撃だった。いや、笑撃だったかもしれない。


『で、依頼は受けてもらえますね?』

「嫌だと言ったら?」

『お願いしに伺います』

「うわ、それはもっと嫌だ」

『ならば、お願いします。私の野望のために』


 瀬戸の話によると、全日本魔法使い協会には伝統的な新人いびり……いや、新人教育があるらしい。協会の運営にあまり興味のない俺にとっては、初耳の内容だった。


『私にとってもいい迷惑なんですよ』

「はぁぁぁぁぁ」

『ため息が深いですね』


 協会の新人はしばらくの間、ひたすら雑用を押し付けられるそうだ。しかし、瀬戸はなまじ優秀だから、与えられた仕事を楽々こなしてしまった。

 協会を運営するのは、頭の固い連中ばかりだ。その事実を素直に受け入れられるはずがなかった。それで、この前まで学生だった瀬戸に、黒影祓いの仕事が任されたそうだ。

 瀬戸の鼻っ柱を折りたい一心なのだろう。しかし、仕事に失敗する訳にもいかない。


『ベテランの魔法使いに同行してもらえなんて、それはそれで困るんですよね』

「じゃあ、俺じゃなくてもよくないか?」

『それは、里中さんがあのお方の弟子として相応しいかの確認をするためですよ。協会に私の価値を認めさせるのと合わせて、一石二鳥です』


 相変わらず滅茶苦茶な言い分だ。断固として拒否することもできる。でも、ここで断るのはよくないという予感がしていた。

 新入社員の教育を本業としている俺の感覚が、このままではいけないと告げている。一定以上の社会性を身につけねば、瀬戸はいつか潰れてしまう。

 それに、これは黒影祓いの依頼者への侮辱でもある。必死の思いで魔法使いに頼っているというのに、新人いびりの道具にしているのだ。


「あーもう、わかったよ」

『では、明日から仕事への同行、お願いしましたからね』

「礼のひとつもない」

『では、待ち合わせの時間と場所ですけど』


 瀬戸は要件だけを言い散らして電話を切った。

 山崎がこれを知ったら、なんて言うだろうな。怒りはしないとは思うけど、がっかりさせてしまうだろうか。

 しかし、譲れないものもある。わかってくれると嬉しい。

 俺は祈るような気持ちでプライベートの携帯電話を使い、山崎へのメッセージを入力する。魔法使いの仕事とわからないよう、文面には気をつけないといけない。


『瀬戸の仕事に同行することになった』


 極力シンプルな文章を作り、送信ボタンを押した。なぜだか妙に緊張してしまった。

 今日はもう寝よう。シャワーは朝でいいや。なんかもう、めんどくさい。


 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン


「うおっ!」


 玄関のチャイムが連打される音に、まどろみかけた意識が引き戻される。

 まさかとは思うがと、覗き窓から外を見た。


「まじか」


 薄い黄色のパジャマを着た山崎が、ドアの前に立っていた。メッセージを送って五分も経っていないぞ。

 俺は慌ててドアの鍵を開けた。


「健司おじさん! あれは、どういうことですか?」


 風呂上がりだったのだろう、石鹸のいい匂いがする。俺はなんかこう、クラクラした。

 どうしようか、この状態の山崎を家に上げるのは大変よくない。

 かといって、このまま玄関先で話すのもダメだ。夜となると、外はまだ肌寒い。


「とりあえず、上がるか?」

「はい!」


 大きく頷いた山崎は、サンダルを脱いで俺の横を通り過ぎる。乾かしたばかりの髪が、ふわっと揺れた。

 平常心を保て俺。

 山崎は恋人でもなんでもないぞ。まだ。

 自前のクッションに座った山崎は、普段よりも愛らしく見える気がした。


 俺は時々奥歯を噛み締めながら、事の経緯を説明した。どんな反応が返ってきても、ここは山崎に譲ってもらうしかない。


「なるほど、仕方ないですね」

「お?」


 予想外に、すっきりとした回答だった。


「あ、予想外って顔してますね。大丈夫ですよ。私はそんなことでは揺るぎませんから」

「そうなんだ」

「はい。健司おじさんの考えてることもわかりますから。これは、私の好き嫌いと同じ所で考えてはいけない話です」


 たぶん、人としての器は俺より山崎の方が大きいと思う。


「ありがとうな」

「いえいえ、助手ですから。まだ」

「あー、まだね」

「まだです」


 山崎は含みのある笑みを浮かべた。


 もちろん、話が終わった後はすぐに帰ってもらった。そうでもしないと耐えられる自信がないからだ。

 明日は大変だと断言できる。とりあえずシャワーを浴びて、しっかり寝ることにした。

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