第13話 肉じゃがを作ればいいってもんじゃない
俺と山崎は、数秒間目を合わせてしまった。
彼女の友人は彼女に、麻衣子は俺に、訝しげな視線を向ける。
「ん? 知り合いさん?」
友人三人のうち一人、ショートカットの子が山崎と俺を見比べる。そりゃそうだろうな。食堂にいるおじさんと見つめ合ってたら、知り合い以外には思えない。
「うん、アパートのお隣さん。こんにちは里中さん。偶然ですね」
「そ、そうだね」
軽く笑みを浮かべて挨拶する山崎。これも気遣いなのか、わざと他人行儀にしている。
助かる反面、ちょっとだけ心が痛くなった。この気持ちは隠しておこう。
向かいの席では麻衣子が『ははーん』という顔をしていた。この表情は良くない。
「こんにちは。同僚の佐藤です。こんな可愛い子がお隣さんなんて羨ましいわ」
山崎に向かって微笑みかけた麻衣子は、完全によそ行きの態度だ。これに騙された人間は数知れない。
「ええ、里中さんにはいつもお世話になってます」
山崎の友人から視線を感じた。彼女らも俺と同様に、ただならぬ雰囲気を察したようだった。
そんな不可思議な合意が、滑らかな連携を産んだ。初対面でよくやれたと思う。
「さ、明莉、注文しよ」
「あ、うん」
「そろそろ会社戻るぞ」
「そうね」
互いに注意を引き、変な火花を上げ始めた二人を引き離す。
何とか上手くいった。さすが山崎の友人だ。よくわかっている。
「健くん、ほら行くよ」
は?
「じゃ、健司おじさん、またあとで」
え?
ちょっとした火花はくすぶる火種に変わり、俺と麻衣子は定食屋を後にした。俺の昼休みは、一切休まることなく終わってしまった。
この日は昼休み以降、麻衣子と言葉を交わすことはなかった。ただ、ふとした瞬間に、何かを言いたげにこちらを見ていた。
今日は珍しく定時に仕事を終えられた。日もまだ出ている。明るいうちに帰宅できるのは、本来気分がいいはずだ。しかし俺は、多少気分が重かった。
その原因はもちろん、定食屋での一件だ。きっと山崎からなにか言われる。付き合ってもいないのに、なぜか俺は少し怯えていた。
気になってしまったので、聞いてみることにした。
「え? 昨日の元カノさんですよね? 別に何も」
俺の茶碗にご飯を盛る山崎は、不思議そうな顔を向けた。
「え、そうなの?」
今日は肉じゃがを作りすぎて困っていたところで『奇遇』にも、俺が通りかかったらしい。あと、ほうれん草のおひたしも用意してあった。
これに買い置きしてあった塩鯖を焼けば、立派な夕飯だ。すごい家庭的な。
そういえば、麻衣子は全然料理しなかったな。と、昔を思い出してしまう。
「あのお店での態度は謝ります。友達や同僚さんがいたので、つい他人行儀にしてしまいました。ごめんなさい」
「そっちなんだ」
小さいテーブルに向かい合って、山崎は正座した。何度かクッションを勧めたが、かたくなに断られてしまっている。
なんか申し訳ないので、土日に座布団でも買ってこよう。
「いただきます」
「いただきます」
二人で手を合わせて食事を始めた。よくよく見てわかったのだが、山崎はとても行儀がいい。それも、凄く自然に馴染んでいる。きっと親御さんに愛されて育ったのだろう。
だからこそ、こんなおじさんに付きまとってはいけないと思う。少なくとも、俺は本気にならないと決意を新たにした。
「それで、おじさんは元カノさんのこと聞いて欲しかったんですか?」
「いや、そうじゃないけど、そういうの気にならないのかなって。あ、美味い」
「ありがとうございます。うーん、気にならないわけじゃないけど、気にしても仕方ないですし」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
なんか勝手に怒って問い詰めてくるのを想像していた。こういう子もいるのかと、感心してしまう。
それともうひとつ、少し寂しくも思う。俺の感情は支離滅裂だ。
「大丈夫、心配しないでください。嫉妬していないわけじゃないですよ。私の知らない健司おじさんを知っているわけだし」
「ふむ」
「それに、健司おじさんを振っておいて、これみよがしに健くんですよ。私も自然にそんな風に呼びたい!」
山崎は、箸を置いて拳をフルフルさせた。なんかとてもスッキリした気分になる。
俺が欲しい反応をしてくれるというか、そんな感じ。たぶん合わせてくれている部分も多いんだろうけど、嬉しいは嬉しい。
いかん、さっきの決意を早くも忘れそうになっている。
「でも、過去は変えられないし、その過去があるから今の健司おじさんがあるわけだし、それでいいと思うのです」
「そういうもんかぁ」
「はい。だから私は、今の健司おじさんを落とすために肉じゃがを作るのです」
「作りすぎたんじゃ?」
「嘘も方便です」
「使い方違うぞ」
「わざとです」
山崎の力説に、俺は思わず笑ってしまった。本当に面白い子だ。
「あ、健司おじさんの笑顔初めて見ました」
「そうだっけ?」
「そうですよ。いつも無理して笑わないようにしてるから」
「そうかなぁ」
確かに、本気にならないように気を張ってたかもしれない。それに、いつからか笑うのが苦手になっていた。
想いは受け入れない前提で、多少は素直になってみようか。
「ご馳走様でした」
「はい、お粗末さまでした」
作りすぎたらしい肉じゃがをあらかた食べ終えた頃、不意に携帯電話の着信音が鳴り響いた。依頼はなるべく金曜の夜にと、協会に登録した時に設定している。
魔法使いはあくまでも副業だ。本業に影響してはいけない。
「はい、魔法使いです」
俺は意図的に笑顔を消した。
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