第12話 思い出話が増えるのは歳をとった証拠

 金曜日の昼休み。

 デスクの上にメガネを置き、俺はそのまま突っ伏した。

 俺に初めての助手ができて一週間。そして、妙に押しの強い美少女に懐かれてからも一週間。

 楽しくないなんて、とても言えない。でも、なんというか、なんかこう、気持ちが落ち着かない。

 しかも、彼女が近くにいる時にではなく、いない時に落ち着かない気分なのだ。我ながら、こいつは重症だ。


「あああああー」

「何してんの?」


 声をかけてきたのは、佐藤さとう 麻衣子まいこ。いわゆる上司という存在だ。

 きっちり着こなしたビジネススーツに、肩まで切り揃えた髪と、外見に全く隙がない女。猫のような吊り目で俺を見ているのが、容易に想像できる。


「いやー、最近いろいろあってなー」

「いろいろって、相変わらず説明が雑ね」


 ハスキーな声で語りかけてくる上司に対して、こんな態度をとっているのは俺が会社を舐めているからではない。麻衣子とは同期の間柄だ。

 お互い新卒で入社しているから、年齢も同じ。入社式以来の付き合いのため、気の置けない関係になっていた。


「お昼行きましょ」

「おー」


 優秀な麻衣子はあっという間に出世していった。俺が魔法使いをやっている間に課長になり、俺が魔法使いをやっている間に部長になった。

 俺は魔法使いをやっている間ずっと平社員。まぁ、出世しようとは思わないし、そこは問題ではない。

 つまり佐藤 麻衣子は、若くして部長にまでなった同期の星というやつだ。まぁ、部長として若いというだけで俺と同い年のおば……。おっとやめておこう。


 そして、昼食に誘われたということは、どういうことかと言うと。


「そりゃ私達も悪いけどさ、なんであんなに責められないといけないわけ? ミスったのお前んところも同じだろって!」

「あー、うん」


 会社近くのいつもの定食屋。その一番奥の席。そこは俺と麻衣子の特等席になっていた。

 愚痴の。


「しかもね、私をチラチラ見ながら、詩織ちゃんばっかり責めるのよ。組織としての文句なら上司に言えっての」

「あー、うん」


 迷惑にならない程度の大声で言い放った後、鯖の味噌煮を豪快に口に突っ込む。咀嚼をしている間だけは静かだ。

 麻衣子はいつもよく食べる。それでいて長年ずっと細身なのは、何かの魔術なのかと疑ってしまいたくなる。師匠の若作りのように。

 なんにせよ、これで俺もようやくミックスフライ定食にありつける。まだ油物がいける年齢だ。


「で、健くん、さっきのは何?」

「さっきのって?」

「机に倒れてたやつ」

「あぁ、なんでもないよ。あとその呼び名やめろ」


 危ない。口を滑らせかけた。

 初対面(厳密には違うが)に言い寄られて、頻繁に部屋に招き入れているなんて言えない。そんなこと言ってしまえば、どんな目で見られるかわからない。


「えー、隠し事?」

「なんも隠してないよ」


 怒り狂っていたさっきまでと正反対に、ニヤニヤと笑い出す。赤く塗られた唇が楽しげに歪んだ。


「そう、健くんはちょいちょい隠し事してたもんね。結局教えてもらえなかったな」

「またそれかよ」


 隠し事というのは、魔法使いの件だ。貴重な人材の個人情報保護を名目に、他言無用が徹底されている。どれだけ親密な関係でも話してはならない。

 それだけではないと思うが、俺が振られた原因のひとつなのだろう。


「急に連絡つかなくなるもの。あの日だって」

「絶対その話になるな」

「だって、忘れられないじゃない。私が健くんを振った日なんだし」

「わざわざ言わなくても」


 麻衣子の昼食に付き合った時のお決まりのパターンだ。一通り愚痴ってすっきりすると、昔話を始める。話題は決まってあの日のこと。


「だって健くん、いつも決めてくれなかったじゃない。あの時くらい決めて欲しかった」

「いつも自分が全部決めてたろ。気に入らないと怒るし」

「だって、受け入れてくれるから」

「だってが多い」

「細かい男ー」


 子供のように唇を尖らす。いくつになっても、癖になっている仕草は変わらない。

 それは佐藤部長ではなく、俺の元恋人である麻衣子として会話していることの証明だ。こんな姿、会社の連中が見たら卒倒するに違いない。


「それで、健くんには素敵な人できた?」

「あー」


 時々麻衣子は探りを入れるような質問をする。振っておいて何を言っているんだか。

 いつもは鼻で笑って返すところだが、今日は答えられなかった。脳裏には長い黒髪と大きな瞳が浮かぶ。


「え? まさか、彼女できたの?」


 麻衣子が身を乗り出す。グレーのスーツに味噌煮の汁が付きそうになっていた。慌てた様子で全く気付いていない。


「いや、そういうわけじゃ」

「え、じゃあ何?」

「何でも、ないよ」

「あー、また隠す」


 俺のなんとも言えない反応を受け、椅子に戻る。それからは、無言で食事を続けた。

 麻衣子の言う通り、俺は隠し事ばかりだ。最後に残しておいたメンチカツは、あまり味がしない気がした。


「いらっしゃいませー」


 沈黙を破るように店主のガラガラ声が店内に響いた。昼時なので客の出入りはそれなりにあったのだが、これまでは会話に集中していて聞こえていなかった。


「ここね、安くて美味しいんだよ」

「へー、知らなかった」

「混んでるねー」


 くたびれたサラリーマンの客が多い店に似つかわしくない、楽しそうな明るい声。近くの大学生だろうか。

 ん、近くの大学?

 いやいやまさか。

 妙な予感に、隣の四人がけの席に座った気配へと、ちらりと目をやった。


「あ」

「あ」


 ついさっき思い描いていた、長い黒髪と大きな瞳の持ち主がそこにいた。

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