第3部『本業を忘れて副業は成らず』
第11話 身の上話と我慢は程々に
俺にとって、魔法使いは副業だ。
普通に普通の大学を出て、普通に普通の企業に就職した。そのまま普通に働いていく人生だと思っていたところ、後に師匠になる人にスカウトをされた。
『君にはとんでもない才能がある。私と魔法使いになろう』
魔法使いは才能が大事らしい。あまりにも特殊な能力のため、その才能に気付かないまま日々を過ごしている人も多いそうだ。
会社の給料も少ないと思っていたから、副業にちょうどいい。それに、魔法使いになると、特別な何かがあるかもと期待もしてしまった。だから、試しに弟子になってみる事にした。
もちろん、副業という前提で。
だから、俺の本質はただのサラリーマンだ。
あの子が期待するほどの凄い魔法使いではない。まぁ、その程度のもんだ。
だけど。
「あ、健司おじさん。奇遇ですね」
「今どき奇遇って言う時点で奇遇じゃないだろ」
筋肉痛休暇明けの仕事帰り、山崎は玄関前でなんでもない俺を待っていた。
基本的にはシンプルな服装が好きなのだろう。長袖のTシャツに膝丈のスカート姿だ。
艶のある長い髪といい、どうしてこんなに好みのタイプなんだ。
「バレました?」
「バレるも何もなぁ。ん、それは?」
山崎は片手に小鍋を持っていた。あれは、完全に俺の胃袋を征服しに来ている。
「ああ、作りすぎたって体で持ってきたカレーです」
「体って言っちゃってるね」
「バレました?」
「バレるも何も」
やっぱり。
「こう何日も、悪いよ」
「あ、大丈夫です。作戦なので」
「また言った」
「正々堂々、健司おじさんを我がものにしようとしています」
こういう積極性には敵わない。
せっかく作ってきてくれたものを無下には出来ず、山崎を部屋に招き入れた。たぶん既に術中にはまっている。
「大学はいいのか?」
「はい、大丈夫ですよ。お友達もできましたし、勉強も楽しいですし」
「そうかー」
学業が楽しいのはいいことだ。俺はそんなに楽しいと思ったことがなかった。
山崎の通う大学と俺の勤める会社は、電車で一駅の距離にある。歩いてもさほど遠くはない区間だ。いつか大学生をしている彼女とニアミスするかもしれない。
「はいどうぞ。売ってるルーだから味は何の変哲もないですよー」
「ありがとう」
皿に盛られたカレーライスを受け取る。いつの間にやら、我が家の食器も把握されている。
筋肉痛の間、介護してくれていたからな。
もちろん月曜日は、大学の終わった夕方からだけど。元々は山崎を守るためであったとはいえ、もう頭が上がらない。
カレーは市販のルーで作ったとは思えない味だった。具もオーソドックスで好みだ。
「美味いなこれ。隠し味とか入れてるの?」
「いえいえ、なんにも。コーヒーとかチョコレートとか、邪道だと思うのですよ。ルーを開発した人に失礼です。でも美味しいって、嬉しいです」
「そうかー、じゃあなんだろうね」
「うーん、愛情?」
「言うと思った」
まだ出会って数日なのに、他愛ないやりとりに対して妙な安心感を覚えていた。いかんいかん、大人としてこのまま流されるのは良くない。
だから、ちょっとズルい方法で線を引くことにした。
「ちゃんと材料費は出すからな」
「えー、気にしないでくださいよー」
「だーめ、バイト代に乗せておく」
「うーん、健司おじさんらしいけど、なんか嫌です」
「けじめだよ」
「ちぇー」
文句を言う姿すら可愛らしい。やっぱり惹かれつつあるなぁと実感してしまう。
「そうそう、健司おじさんって彼女さんとかいないですか? もしかして結婚してたりも」
「いや、いないし、してないけど、今更聞く?」
「一応、念の為。いない確信はありましたので大丈夫です。仮にいた場合は、悲しいけど諦めないといけないかなと」
「なるほどー」
やっぱり抜けているのかいい子なのか、イマイチわからない。そこも魅力といえばそうなんだけど、言葉にならない危うさも感じる。
やっぱり、年相応の恋をして欲しいと思ってしまうのは、俺の年齢や立場からなんだろうな。
「元カノさんとかは、いたんですか?」
「おじさんのプライベートに興味津々だね」
「そりゃ、好きな相手のことは知りたいですよ」
「たぶん幻滅するよ」
「しませんよー」
まぁ、別に隠すことでもないし、幻滅されたらそれはそれでいい。
「もう七年くらい前に別れた彼女が、最後だよ」
「随分前ですね。どんな人だったんですか?」
「うーん、ちゃんとしてた」
「ちゃんと?」
「そう、同じ会社の同期でね、俺とは比べ物にならないくらい優秀だったよ」
「んっ……社内恋愛!」
山崎は口に含んだカレーライスを慌てて飲み込んだ。
「そうだねー。告白されて付き合ったんだよ」
「うわぁ、健司おじさんカッコイイから」
「いや、そうじゃないと思うけど。でも、何年か付き合って振られたよ。魔法使いになってちょっとしてからかな」
「えー、もったいない。健司おじさんを振るなんておかしいですよ。でも、私としてはありがたいです」
怒ったり喜んだり、忙しい子だ。俺にはもうそんなに感情の起伏はない。ちょっと羨ましいとも思ってしまう。
「その後しばらくして、彼女は別の男と付き合ってたね」
「それは、なんというか」
不意に会話が止まる。スプーンが皿に当たる音だけが部屋に響いた。
「健司おじさん」
「ん?」
「私は、振りませんよ」
「そいつはどうかな。俺の本質を知ったらわからんよ」
「大丈夫ですよ。ちょっと方法は考えますけどね」
山崎は意味深に小さく笑った。
食事を終えたら、山崎は大人しく帰っていった。帰ったと言っても、同じアパートの隣室なのだが。
その後の山崎は、予想外の行動を見せた。
火曜日水曜日と顔を見せず、私用の携帯電話にメッセージが数件届いているだけだった。
諦めてくれたのだろうか。少しの安心感と大きな寂しさを抱いている自分を鼻で笑いつつ、俺は普段の生活に戻っていた。
木曜日の夜、自覚できる程に肩を落として帰宅した。今日もきっとドアの前にあの子はいないだろう。
元来のネガティブ思考がより前面に出ている。良くない兆候だ。
「あ、奇遇ですね」
ドアの前で山崎が長い髪をかきあげながら、振り向いた。片手にはタッパーを抱えている。
「今どき奇遇って言う時点で奇遇じゃないだろ」
「バレました? 実は待ち伏せしてました」
「なんだよそれ、入るの?」
「もちろん。私だって我慢したんですよ」
「何の話だよ」
「さーなんでしょう」
この他愛ないやり取りに内心では激しく喜んでいる俺は、たぶんちゃんとした大人ではない。
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