第8話 耳打ちという行為はイチャつくに近い
魔力の揺らぎを感じているのは、この中では俺だけだろう。それは、魔法使いや魔術師にしかわからない、黒影に取り憑かれた人がいる証拠だ。
「娘さんのお名前を聞いていいですか?」
「
小林さんは、山崎さんに体を預けたまま答えた。言い方に棘があるのは、まぁ仕方ない。
「裕子さん、お話を聞きに来ました」
話かけながら、ドアノブを捻る。当然のように鍵がかかっていた。
「来ないで」
部屋の奥から掠れた声が聞こえた。露骨に拒絶されている。こうなると対処は難しい。いっそのこと、この前の男のように暴力的になってくれた方がまだ楽だ。
でも、人に迷惑をかけなくて良かったと心から思う。黒影に取り憑かれていても、犯罪をすれば犯罪者だ。それならば、俺が苦労するくらいなんでもない。
「お母さん、すみませんが席を外してもらえませんか」
「な、なにを」
小林さんから怒りに近い視線を受ける。でも、ここにお母さんがいるのはあまりよくない。
「助手」
「はい。さっ、ここはおじさんに任せて一階に行きましょう」
こんな時にでもおじさん呼びしてくれるのには、少しだけ心が軽くなる。ありがとう。
「お母さんは私の助手と一階に行きました。では、ゆっくり話しましょう」
二人が階段を下りたのを見計らい、静かに語りかける。少しでも警戒を緩めたい。
「お母さんから、一旦のお話は聞きました。裕子さんのことで、とても困っているそうです」
「来ないで……」
再度拒絶される。震える声は懇願しているようでもあった。
「でも、裕子さんにも理由があると思います。あるはずです」
「話せる、わけがないでしょう!」
菓子の袋だろうか。ガサガサと音を立てながら、今度は声を荒らげる。一言二言でこうだ。かなり情緒不安定になっている。
これは、長丁場になりそうだ。
「よしっ、じゃあ勝手に言葉を崩させてもらうよ。ゆっくり話ができるまで、俺の話を聞いてもらうことにしたからね」
「は?」
「まー気にしない。偶然、話したがりのおじさんがいるだけだと思って。いてててて」
長居する宣言をして、赤い文字が書かれたドアの前に腰を下ろした。魔法で外から動かしているが、筋肉痛はずっと続いている。めちゃくちゃ痛い。でも我慢しよう。
階段からこっそり覗いている山崎さんに向け、軽く手を振るのも忘れない。「わっ」と小さく驚いて顔を引っ込めたが、たぶん聞き耳を立てているだろう。
それでも、俺のやることはいつも変わらない。
「黒影って知ってる? 人に取り憑くやつ」
部屋から聞こえる音に変化はない。いや、次の袋を開いているみたいだ。ペースが早すぎる。これは急がないといけない。
「俺は魔法使いでね。君が黒影に取り憑かれたんじゃないかって思ったお母さんに依頼されて来たんだ」
音が一瞬止まる。
「仮に君が黒影に取り憑かれていたとしよう。俺は無理やりに君の部屋に入り、無理やりに黒影を祓うことができる。お母さんの依頼をこなすだけなら、それで終わりだ」
もちろん本心ではない。
憑かれた人の体から出る前に祓ってしまうと、心に影響を及ぼす。酷い場合には、廃人のようになってしまうこともある。
俺はそれをやりたくない。だからこんな、回りくどいカウンセリングの真似事みたいなことをしている。
今日は特に、そこで聞いている山崎さんならわかってくれるかな。なんて甘い期待も抱きつつ。
「仮に君が黒影に取り憑かれていなかったとしても、同じことをして解決させたふりもできる」
脅しの様なことを言っているのは重々承知だ。でも、俺にはこのやり方しか思いつかない。
黒影は、取り憑いた人の欲を歪める性質を持っている。そして、その人が心から本音とする欲を口にした時、体から出ていく性質がある。
その際に祓えば、心の傷は最小限で済む。だから俺は、なんとしてでも裕子さんの本音を引き出したいと考えている。
「いや……」
「そう、嫌だよな。俺も嫌だ。少しでも本心を出してくれてよかった。君が本音を言える子なのがわかったのには安心したよ。あとは、ゆっくり待つだけだね」
「出てってよ」
「それも本音かな。俺は君の気持ちを否定しないし肯定もしない。今何を心から望んでいるか教えてくれたらそれでいい」
「出てって」
「さて、どうしようかな」
と言いつつ、そーっとこっちを見ている山崎さんに手招きをした。真剣な面持ちなのに、どこか嬉しそうだ。
大変優秀な助手は足音を立てないよう、そっと歩いて来てくれる。
近くまできた山崎さんに、俺から耳打ちできるようにジェスチャーした。裕子さんに聞こえてしまうので、声は出せない。魔法でカクカクする動きでは上手く伝わらないみたいだ。
最初は頭に「?」が浮かんでいたが、なんとか「!」に変えることができた。シャンプーなのだろうか、いい匂いのする頭が近付いてくる。
「長くなるって、小林さんに伝えて」
「ひゃ……」
声を上げそうになり、山崎さんは口を押さえる。耳打ちは危険だったかもしれない。
「あと、誰もこっち来ないように見張ってて」
耳まで真っ赤になった山崎さんは、高速で何度も頷いた。こっちまで照れてしまう。
ともかく、助手のおかげで安心だ。ゆっくりじっくり、欲を吐き出してもらおう。
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