第3話 偶然と偶然と偶然は重なる
山崎さんは、さっきまでの浮かれた感じとは変わり、ゆっくりと穏やかな口調で話し出す。
「さっきも言いましたけど、私は以前に魔法使いさんに助けてもらったことがあるんですよ」
「うん」
聞くと宣言した手前、相槌くらいは礼儀だろう。あんまり俺の印象を強めたくはないけど、大人としての態度を優先した。
「七歳の時、黒影に取り憑かれた男の人に襲われそうになったんです」
「うん」
黒影は人に取り憑く。そして、人間の欲を悪い方に歪め増大させる性質がある。
子供時代の山崎さんを襲いそうになった男は、加害者には変わりないが被害者でもあるということだ。
「殴られそうになった直前、魔法使いのお兄さんが助けてくれました。かっこよかったなぁ」
「おお、その人、いい仕事をしたね」
「はい!」
魔法使いは、黒影を祓うことを仕事とする場合が多い。俺の副業もそれだ。
事務的な魔法使いだと、被害者に関わらない事もある。仕事をするだけなら守る意味がないからだ。その点から判断すると、山崎さんを救ったお兄さんとやらは、とても見所がある魔法使いだと思う。
個人的な意見ではあるが、被害者を少しでも減らすことを含めて魔法使いなんだと思う。
俺もその主義のもと、免許取り立ての頃に、小さい女の子を助けた思い出がある。確かあれは、母親の田舎へ一緒に行っていた時の偶然だったはずだ。
十年ちょっと前のお兄さんということは、今はおじさんなんだろうな。もしかしたら俺と同年代かもしれない。会うことはないだろうけど、そいつとはうまい酒が飲めそうだ。
「あまりにもかっこよくて、私はその人に『お嫁さんにしてください』って頼みました」
「あー、そうなるんだ」
「でも、やんわり断られちゃいました」
「そりゃそうだろうね」
「そのすぐ後、記憶を消されたんでしょうね。もうそのお兄さんの顔も浮かびません」
山崎さんは、苦笑いをしつつ目を伏せた。
お兄さんがまともな奴でよかった。
俺も似たような事を言われた思い出がある。小学生がするこの手の告白は、可愛らしいが本気にしてはいけない。そういう時は優しい嘘をついて受け流すのが、いい大人というものだ。
例えば『大人になってまた魔法使いに助けられたら、同じことを言ってあげて』とか。
「ただ、覚えていることもあります」
「それは、あんまり良くないな」
「ですよね。本当は覚えていたらいけないですよね」
そいつは、経験の薄い魔法使いだったんだろう。記憶を消す際に罪悪感から、中途半端になってしまう。
俺も若い頃は、消すべき記憶を選ぶのに苦労したな。
「その人は困ったように笑いながら『大人になってまた魔法使いに助けられたら、同じことを言ってあげて』って言ったんです。顔は覚えていなのに、その言葉だけはずっと忘れられなくて」
うっとりした彼女の言葉に、俺は少しすすったコーヒーで盛大にむせた。
おい、あれか?
もしかして、あれか?
そいつは俺か?
で、この子はあの時鼻水垂らしてた女の子か?
「大丈夫ですか? 変なところ入っちゃいましたか?」
「いや、うん、大丈夫」
山崎さんの優しさが痛い。
「だから、次に魔法使いさんに出会って、その人があのお兄さんみたいに素敵な人だったら、お嫁さんにしてもらおうとずっと生きてきました」
「そうなのか……」
重い。若かりし俺のちょっと気取った一言が、一人の少女の人生を狂わせてしまった。しかも、その後の記憶操作も罪悪感から酷く中途半端だから、後を引きまくっている。
俺に対する気持ちが無意識で深いから、さっきの記憶操作も上手くいかなかったんだろう。
何が見所があるだよ。かなりのアホじゃねぇか。
「それで、さっきおじさんが魔法使いさんだとわかったときに『絶対にこの人と結婚するんだ!』と思いまして」
「それであの発言か……」
「はい! 正直好みのタイプです!」
大きく頷く山崎さんを前に、俺は頭を抱えた。
取り返しのつかない事をやっちまっていた。 なんか好みのタイプとか言ってるけど、そいつもきっと勘違いだ。
今から記憶を操作するにしても、長年持ち続けた想いはなかなか消せない。無理に消せば、人格に影響が出てしまうことも考えられる。
それでも、この子のためにはやった方がいいと思った。昔の約束に縛られて、こんなおじさんと結婚する人生など良いはずがない。
「さて、約束通り記憶を消すよ」
「やっぱり、そうですよね」
「うん、ごめんね」
「いえ、いいんです。聞いてくれてありがとうございました」
再び山崎さんの眼前に掌をかざす。
魔力を込め、記憶を覗いた。過去の記憶は触らずに、今夜の俺の記憶だけを念入りに消去した。
これで、再度俺と顔を合わせるようなことがなければ、魔法使いへの気持ちも思い出になってくれるだろう。
処置後、一時だけ意識を失っている山崎さんを置いて会計をし、そそくさと店を出た。
繁華街近くの駅から電車に乗り、自宅へと帰る。
情けないような、申し訳ないような、変な無力感でいっぱいな帰り道だった。
今日が金曜日でよかった。土日は精一杯落ち込むことにしよう。無理な魔術を使ったから、どうせ頭痛と筋肉痛で動けなくなる。
最寄り駅から十分ほど歩くと、もう十年近く住んでいるアパートが見えてくる。俺の部屋は二○二号室だ。
ずっと空き部屋だった隣の部屋には、三月の終わりから新しい住人が入居している。
留守にしている時だったが、挨拶にタオルを置いていってくれていた。こんな時代に丁寧な人だな、と感心したことは記憶に新しい。
道中のコンビニで買ったチューハイを飲みながら、階段を上がった。あまりにも情けないので、アルコールにだって頼ってみたいわけだ。
ちょうど隣人も帰宅していたようで、ドアの前に人影が見える。ちょうどいい、一声くらいかけよう。
別に近所付き合いがしたいわけじゃない。少しでいいから人と話したかった。
「こんばんは。隣の者です。この前は丁寧にどうも……って」
「あ、いえいえ……あっ」
振り向いた長い髪の女性は、非常に好みのタイプだった。
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