第2話 今更起きる特別な事態

 待て、いやいや、待て。

 頭が混乱する。そんな俺とは逆に、山崎さんはニコニコとストローに口を付けている。


 長い髪、大きな瞳、桜色の少し厚みのある唇、低めの小さい鼻。素顔の良さが引き立つ、ほぼノーメイクの純朴さ。美人ではなく可愛いタイプの子だ。

 そしてそのスタイル。服の上からでもかなりのボリュームがあることがわかる。

 正直好みだ。もうすっごい可愛い。


 それに、見知らぬおじさんを助けようとするくらい、とても優しい子だ。

 そんな子とお付き合いできるなら、どれほど幸せだろうか。しかし、残念ながらそいつを受け入れるわけにはいかない。


「あのね、いきなり婚約者って」

「大丈夫ですよ。十八歳なので犯罪にはなりません」

「そういう問題じゃなくてね」

「ああ! 確かにそうですね」

「うんうん、わかってくれたか」


 山崎さんは可愛らしく両手を合わせると、満面の笑みを浮かべた。

 くっそう、眩しい。


「自己紹介がまだでした。名前も知らないで結婚なんてできないですもんね。私ったら気が早かったです」

「そういう問題でなく」

「私、山崎 明莉と言います。この春から大学生なんですよ。今は一人暮らしなので、いろいろ大丈夫です。それはもう、いろいろ大丈夫です」

「いや、そうじゃなくてね」

「それに、両親は理解のあるタイプなのでご安心を」

「いや、だからね」


 先程頭の中を覗いた時に、名前や近況は見えてしまっている。嬉々として自己紹介をする山崎さんを見て、無断で知ってしまった罪悪感が湧き出てくる。

 当の山崎さんは、どうも思い込みの強い子みたいだ。舞い上がっているようにも見える。どちらにせよ、こちらの話が全く通じない。

 申し訳ないとは思うが、決定的な言葉を言わないといけない場面だ。


「山崎さん、君の申し出は受けられない」

「えっ……」


 彼女は心底意外だったという顔をする。

 自分に対する自信がすごいのか、この申し出そのものを当然のことだと思っているのか。それとも、何か別の想いがあるのか。


「俺は君とは初対面だ。君もそうだろ? 何も知らない相手とお付き合いだなんて、そいつはおかしい。それに、歳も違いすぎる」

「そ、それは問題ないですよ! これからお互いを知ればいいし、年齢なんて関係ないですし。あっ、お名前聞いてませんでした。教えてもらえませんか」


 大袈裟に手をバタバタさせる。この子はなぜこんなに必死なのだろうか。

 無下に断ってしまえばここで終わりだ。それで良かったのに、俺はついつい疑問を口にしてしまった。


「なぁ、なぜそんなに必死なんだい?」

「あ、聞いてくれますか!」


 山崎さんの顔がパッと輝いたようだった。表情がコロコロ変わって面白いと、内心思ってしまう。

 俺のちょっとした質問は、彼女にとっては蜘蛛の糸。俺にとっては地雷だった。


「私ですね、昔ですね、あ、昔って言っても十何年か前なんですけど、魔法使いさんに助けられたことがあるんです」


 現代では、魔法使いの存在自体は周知の事実だ。黒影を祓うという役目も知られているため、感謝の念を抱く人々も少なくない。


「ただ、どんな人に助けてもらったかは覚えてないんですよね。その人個人にお礼をするのは無理だし、なんか違うと思うんです」


 魔法使いの個人特定はできないように《魔法使い及び魔術師に関する特別措置法》で定められている。恐らく山崎さんはその過去に記憶を操作されているのだろう。だから、彼女は彼女を助けた者を覚えていない。

 それらから判断すると、彼女の言う通り、結婚は礼のためではないというのは本心だと思う。


「なので、魔法使いさんと結婚するしかないと」

「なぜそうなる」


 山崎さんは笑顔を絶やさない。そして、俺の話は耳に届いていない。と、思う。


「ずっとそう思ってましたけど、魔法使いさんと出会うことなんてまずないんで。そりゃ、秘密の存在ですからね。だから諦めて普通に女子大生しようと思っていたら、出会ってしまいました。だから、それは運命だろうと」

「なぜそうなる」


 俺の二度目のセリフも聞き流された。


「あ、もちろん魔法使いさんなら誰でもいいわけじゃないですよ。えーと、なんてお呼びしたら?」


 ここで名乗るのは危険だ。

 簡易な記憶操作が効果なかったのは、過去に使われたことがあるからだろう。彼女には申し訳ないが、深くまで入り込んで念入りに消去する必要がある。

 名乗ってしまえば、俺の印象がより強くなり消去が困難になる。


「とりあえず、おじさんとでも呼んでくれ」

「そうですか……」


 露骨に落胆する様子に、胸が傷んだ。


「ごめんね」


 山崎さんの眼前に掌を向ける。記憶操作の魔術は罪悪感こそ大きいものの、そんなに難しくはない。少しだけ魔力を込めて、人様の心を覗き込めばそれで終わりだ。

 俺は情けなくも、少しだけ躊躇してしまった。


「記憶を消しますか?」


 自分の掌に隠れて見えないが、彼女の視線が突き刺さるようだった。


「うん、規則だからね」

「なら少しだけ、話を聞いてください。もう名前は聞きませんから」


 俺は黙った。この数分で何度後悔した事だろうか。この選択も、たぶん後悔することになる。


「少しだけね」

「ありがとうございます。おじさん」


 花が咲いたような笑みを浮かべる少女は、やっぱり好みのタイプだった。

 俺は魔法使いになったきっかけを思い出していた。数ある副業の中でこれを選んだ時、何か特別なことが起こるのを期待していた。

 例えば、普通なら知り合うことのないような相手との恋とか。結局、この歳になるまで収入以外に特別なことはなかったけど。


 それがまさか、今やってくるとは思いもしなかった。でも、初対面の女子大生と結婚を前提としたお付き合いをするなんて、流石に大人としてどうかと思う。

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