『小學句讀』序(明・陳選)(ここから読んでいただければ)

『小學句讀』序(1)

 ー 『小學示蒙句解』(以下『示蒙句解』とする)による紹介 ー

『小學』とは、この書の名である、小子の學ぶ所、その事すこしきなるために小學と云う。その學ぶ所の法をしるしたる書をも、た『小學』と云うのである。およそ『小學』・『大學』と云うに、學校を云うあり、その法を云うあり、その書を云うあり。學校とは、人を教えるところである。いにしえの帝王は、學校を天下にたてひろめて、萬民を教えさせ玉った。小學は、八歲以上の小子を教え、大學に十五以上の大人を教えた。この學校において教える所の法が、即ち小學、大學の道であり、この法をしるしたる書が、即ち『小學』・『大學』の書である。秦の始皇が天下の經書をやいた(焚いた)時、『大學』の書はのこりてあったのを、漢の世の儒者が、『禮記』にあみ(編み)入れて今につたわっている。『小學』の書はほろびたのだが、はしばし(断片が)のこって、ふるき傳記の中に入りまじりてみえていたのを、宋朝にいたって、朱子がこれをあつめよせ、またいにしえの聖賢の言語と行跡との、小學の教えにかなったものをも、くわえ入れて、共に「內篇」とした。秦漢以來の人の言行の、この書につけおくべきものをも、とりあつめて「外篇」とした。今の『小學』の書はれである。「句讀くとう」とは、註(注)のことである。明朝の儒者・陳選ちんせん、朱子の『小學』の書に註(注)して、これを『小學句讀』と名づけた。およそ書をよむに、語のきれるところには、字のかたわら(傍)にてんをして、これをと云う。語いまだきれないけれども、少し讀みがきれるところには、字の中ほどに點をして、これをとうと云う。まず本文の句・讀をわけ、句・讀のあいだにことばを入れて、その意を釋するために、註(注)を「句讀」とも云うのである。「序」とは、書のはじめにあらわす詞、序はしょの字の義(意味)にて、しょはいとぐちである、一書の大意を、ひき(引き)あげて(揚げて)しるすこと、いとぐちをもってまゆをくりいだすが如くなるを云う。是れは陳選が『(小學)句讀』をつくれるよし(理由)を、ずからその書のはじめにあらわしたのである。

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