[参考]『小學示蒙句解』序(中村惕斎先生)(新・書き下し・原文)

【 『先哲遺著漢籍國字解全書』による書き下し 】

(次のページに新しい訳を載せています、飛ばしていただいても結構です、一番最初に挙げたものとほとんど変わりません)


 古者いにしへ小學の教、廢墜はいついして、道を求るに根基こんき無し。あるいは既に蒙養もうようの正を失って、しかして後に之をくいれども、た以て及ぶこと無し。子朱子、之を憂うこと有り。故に兩篇の書を纂輯さんしゅうして、以て古典のけつ(欠)をおぎなう。人君、教えを天下に成し、師儒、學を生徒に授くるに、其れをして初めておもむく所を知らしめまく欲する者、な此れにらざるべからず。だ幼學の規のみにあらざるなり。且つ此の書、身をおさむるの大法たいほうそなわれり。お時政の榜諭ぼうゆ有るがごとし、男女老少、日夕居常、省守勸戒して、あえささげ行わずんばあらず、まことに天壤の間、くべからざるの重典なり。


 予、往歲、片字を句間に注し、諸子弟にせて、其の文義を領略せしむ。客、有りわく、


「朱子、の書に於ける、人をして旬日の功を以て之を讀ましむ。故に注解をつくらず。特だ司馬公、書儀の說、本文と相發すべき者をって之につけるのみ、元亨利貞、仁義禮智の如き者、だ其の名目をればれ可なり。集解・句讀の作、おそらくは朱子の意に非じ、子、何爲なんすれぞた屑屑然として字ごとにしゃくし句ごとに訓じて、だに心力を勞する」、と。


 予わく、


「朱子、の言、後世の人、未だつて小學の藝業をならわずして、ただちに事に大學に從わまく欲する者を見、其のず心をむなしうし步を退しりぞけ、旬日の功を費して以て此の書を讀ましむるのみ。纂輯の由る所、蓋しもっぱら此の一流の人のめのみにあらじ。注解、爲らざるも、だ是れに由らんや。およそ篇中、出る所の、經文名數、大槩たいがい、學者、平時の口誦する所、義訓、おのおの、本書にそなわる。故に此の書、華人にって則ち必ずしも解せず、吾がくに諸音の異なる、蒙士小生、つて訓讀を受くとえども、すべからく字字師友に問辨もんべんして後にまさりょうすべく、今、こころみに此の解を以て之を授れば、わずかに章句に通ずる者、詞義しぎって口に登る。故にひそかおもえらく以て少しく教えを助くべし。乃ち之を家庭に存すなり」と。


 客、未だ服せずとえども、かもみずから其の人を誤るに至らざらんことを信ず。ここいて客に答えるの語を篇端へんたんに錄して之が序と爲す。


 元祿三年夏六月  平安の仲欽・敬甫書す



【 原文 】


 古者小學之教廢墜。求道無根基。或既失蒙養之正。而後悔之。亦無以及矣。子朱子有憂之。故纂輯兩篇書。以補古典之闕。人君成教於天下。師儒授學於生徒。欲使其初知所趣者。皆不可不賴此。不啻幼學之規也。且此書修身之大法備焉。猶時政有榜諭。男女老少。日夕居常。省守勸戒。不敢不奉行矣。實天壤之間。不可少之重典也。予往歲注片字於句間。課諸子弟。使領略其文義。有客曰。朱子於此書。教人以旬日之功讀之。故不爲注解。特采司馬公書儀之說。可與本文相發者附之耳。如元亨利貞。仁義禮智者。止識其名目斯可也。集解句讀之作。恐非朱子之意。子何爲亦屑屑然字釋句訓。徒勞心力。予曰。朱子此言見後世人未嘗肄小學藝業。而欲直從事於大學者。使其先虛心退步。費旬日之功以讀此書耳。纂輯所由蓋非專爲此一流人也。不爲注解。亦豈惟由是哉。凡篇中所出。經文名數。大槩學者平時所口誦義訓各具本書故此書在華人則不必解吾邦諸音之異。蒙士小生。雖嘗受訓讀。尙須字字問辨于師友而後方了。今試以此解授之。纔通章句者。詞義隨登口。故竊謂可以少助教。乃存之於家庭也。客雖未服。然自信其不至誤人。於是錄答客之語于篇端爲之序矣。


 元祿三年夏六月  平安仲欽敬甫書

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