「小學題辭」(11)

「小學題辭」

 さいわいに秉彝へいい、天をおうるまでおつることし、ここに舊(旧)聞をあつめ、來裔らいえいさとさんことをこいねがう、


 嗟嗟ああ小子しょうしつつしんで此の書をけよ、我がことばぼうなるにあらず、れ聖のおしえなり。



 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・後世の教學のあきらかでないことは、上に云うごとくであるけれども、なお幸いに、この秉彝へいいの性は、人の心にそなわり(備わり)てあるのである。


 ・「極天(天をおうるまで)」とは、天のおわりにいたるまでと云う義である、天のあるかぎりは、人にあっておち(堕ち)ない。


 ・「舊聞きゅうぶん」とは、「舊」はふるき(旧き)ということである、もと聞きおいていたことを云う。蓋し(思うに)德性の人にあること、いにしえとかわらないのであれば、いつとても、おしえられることができるのである。ここにおいて、舊聞をあつめて、この『小學』の書をつくった、ということである。


 ・「來裔」とは、「來」は後來を云う、「裔」は、ころも(衣)のえりさき(襟先)である、是れは後世の學者にたとえ(譬え)て云う。この書をもって、後學をさとらしめ(覚らしめ)んことをねがう、ということである。


 ・「嗟々ああ」は、なげく詞である。「小子」は、童子・小子によびかけてつくったということである。


 ・この書をうけてまなぶべきである、ということである。


 ・「ぼう」は、おいぼれる義(意味)である、この書のしるす所は、私がおいぼれて、みだりに言ったことではない、ということである。朱子はこの時に、年齢が五十八であったために、このようにいったのである。


 ・是れはみな聖人の人をおしえ玉う意であるのである、ということである。この八句は、『小學』の書を作りて、後學をみちびく(導く)意をいっている。


 ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』による注 ー

「萬古」とは、萬歲の久しいことを云う。「衣襟いきん」は、ころものえりである。

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