「小學題辭」(7)

「小學題辭」

 れ聖、いたみ、學をて師をてて、以て其の根をばいし、以て其のえだ(枝)をたっす、



 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・いにしえの聖德の君は、民の暴・棄(自暴・自棄)に安んじているのを見て、いたみ(悼み)あわれ(哀れ)ませ玉いなさった。聖とは、二帝三王をさしている。


 ・小・大の學校をたて(立て)おき(置き)、またこれに師として、民をおしえる官人を、たておいたのである。


 ・「ばいす」とは、つちをかう(う)である。小學の教えをもって、放心をおさめ、德性をやしなうのは、木の根に土かいて、こやす(肥やす)がようであることをいう。


 ・「達す」とは、ひらき(開き)のぶる(伸びる)義(意味)である。大學の教えをもって、聰明をひらき、德業をすすめるのは、木の枝をのばし、さかやかす(栄やかす)がようであることを云う。この四句は、聖人が學校をたて、教法をもうける意をいっている。


 ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』の注 ー

 ・「傷憫しょうびん」は、いたみあわれむのである。「收放心(放心を收む)」とは、はなれちり(散り)たる心を、とり(取り)おさめる(収める)ことを云う。「養德性(德性を養う)」とは、生れたる性を、やしないたてるのである。小學の灑掃應對等、みな心をおさめ、性をやしなうの法である。「培擁ばいよう」は、土かうである。「開發」は、ひらくである。「そう」は、みみとき(耳聡き)ということである。「明」は、目があきらかであるのである。この一句(『小學句讀』の文(注)の内の一文か、不明)は、物にいたり(格り)、知をいたす(致す)ことである。「進德」とは、意をまことにし、心を正くし、身をおさめて、德性を成すにすすむのである。「脩業(業を脩む)」とは、家をととのえ(斉え)、國をおさめ(治め)、天下をたいらかにして、事業をおさめおこなうのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る