「小學題辭」(6)

「小學題辭」

 衆人しゅうじん蚩蚩ししとして、物欲こもごもおおい、すなわち其の綱をくずして、此の暴棄ぼうきやすんず


 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・「衆人」とは、衆はもろもろである、凡人ぼんにんを云う。「蚩々しし」は、おろかなるかたちである。衆人は、氣をうけること、にごりてまじわり、蚩々しし然として無知である。


 ・「物欲」は、外物がいぶつと私欲である、たとえば聲・色・臭・味は物である、是れはすなわち耳・目・鼻・口の欲である。「こもごも」とはかなた(彼方)こなた(此方)より、入りまじわる義(意味)である。「蔽」とは、德性をおおいふさぐということである。


 ・「綱」は、仁義禮智の性綱である。


 ・「暴」は、そこなう、「棄」は、すてるである。是れは孟子のいえる「自暴自棄」である。つよき(強き)にすぎたる者は、仁義の道をそしる、是れをみずからその德をそこなうために「自暴」と云う。よわき(弱き)にすぎたる者は、仁義をおこなうにたえない(耐えない)、是れを自らその德をすてるために「自棄」と云う。これをはなはだいやしむ(卑しむ)べきこととしらないでいて、心をここ(自暴自棄)にやすんじて、(そこに)居るのである。けだし(思うに)衆人しゅうじんは、生れた初めより、その氣禀きひん(気の受けたものが)蚩々ししとしているために、生れて後に物欲がおおいやすいので、欲におおわれる(おおわれる)こと、またふか(深)いので、則ちその性網をくずして(頽して)、ついに暴・棄の品にやすんじるのである。是れは必然の道理である。この四句は、衆人がその性をみだすことをいっている。


 ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』による注 ー

 ・「氣禀きひん」は、氣をけたる所である。「昏愚」は、くらくおろか(という意味)である。「交互」は、まじわりたがいにするのである。「頽墜たいつい」は、くづしおとす(という意味)である。

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