「小學題辭」(5)

「小學題辭」

 れ聖は性のままなる者、浩浩こうこうたる其の天、毫末ごうまつを加えず、萬善ばんぜん、足れり。



 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・「惟」とは、「ただ」と云う詞なり、「性者」とは、人の性はもと(元)は皆な善であるといえども、うけて生れる所の氣に清濁純雜の不同があり、ただ聖人のみその氣至りて清く、至りてもっぱらであるために、天性のうまれつきのままにて、その本體(本体)はまったく(全く)して、かくる(欠ける)ことがない者である。


 ・「浩々こうこう」は、ひろく大なるかたち、「天」とは、天理なり、この理、性・體よりながれいでて、日用の間におこなわれること、浩々然として、ひろく大いである。


 ・「毫末ごうまつ」は、毛のすえである、毛頭もうとう(毛先ほど)の工夫を、くわえないけれども、ということである。


 ・「萬善」は、四端・四行の類のよろずの善心・善行を云う。「足る」とは、かくる(欠ける)所がないことを云う。この四句は、聖人がその性をつくせる(尽くせる)ことをいっている。



 ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』による注 ー

「全於天(天にまっとうして)」とは、その全きこと、天然のままであるということである。「汚壞おかい」は、けがしやぶるということである。「人爲じんい」は、人のしわざである、「欠缺けつけつ」はかくる(欠ける)である、「盡其性(其の性を(尽)くす)」とは、その天性の道理をきはめつくすのである。

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