「小學題辭」(4)

「小學題辭」

 親を愛しこのかみを敬し、君に忠あり長に弟ある、是れを秉彝へいいう、順うこと有ってしうること無し、



 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・(「親を愛しこのかみを敬し」の)字義は前に見えている。


 ・「忠」は、「心をつくす(尽くす)」ことである、「弟」は、「したがう」義(意味)である、よく兄長につかえる(仕える)を弟と云う。


 ・「秉彝へいい」は『詩經』の字(に出る字)である、「へい」は「とる」とよむ、「もつ(持つ)」義(意味)である、「」は「つね」である、人はその本性によりて、おのずからよく愛・敬・忠・弟す、この性は人のもちそなえて、萬事にふる(触る?)れども常にしてかわらないために、これを秉彝へいいという。


 ・愛・敬・忠・弟は、皆な本性の自然の理にしたがいて、これをするのみである。しい(強い)おさえ(抑え)て、このようにせしむることはない。この四句は人の行う所に、本性があらわれることをいっている。上の(四句の)四端は事に感ずる眞情について、萬人の本性は、みな至善の理をうけていることを見る、この四行は、人にほどこす良能について人倫の常道、即ち本然の性にしたがうことを見る。


 ・按ずるに、凡そ人は幼少にて、まだ父母を愛敬すべき、當然とうぜんの義をしらない時より、父兄においては、則ちよくこれを愛敬する、是れはおのずから生れつきたる良能である。けだし(思うに)父兄には、自然に愛敬すべき道理があり、人が生まれた初めより、この自然の理をうけて性とする。このために教えないけれども孝・弟すべきことを知る、これを良知と云い、學ばないけれども孝・弟することを能くする、これを良能と云う。し人としてそのする所が、孝・弟にそむけることがあるのは、皆な形氣がわたくしにおおわれたためである、天性の理にもとづいて出でたのではないのだ。君に忠あり、長に弟あるも、またおなじことわり(理)である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る