「小學題辭」(3)

「小學題辭」

 凡そ此れの初め、不善、有ること無し、藹然あいぜんとして四端、感にしたがってあらわる(現わる)、


 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・「此」とは、上の仁義禮智の性をさす。「初」は「本來」の義(意味)である。


 ・天の道はまことであって、流行りゅうこうはやまず(止まず)、おのずから至善である。人はこの理をうけて生れるために、仁義禮智の德性は聖人・凡人のかわりなく、その本來が不善なるものはない。


 ・あいは、おおくさかんなるかたち、然とは、上の字をたすけて、物をかたどる詞である。端は物のはしである、孟子の惻隱そくいん羞惡しゅうお辭護じじょう是非ぜひを、仁義禮智のはし(端)であるといえる、是れが「四端」である。側隱そくいんとは、物をあわれみいたむ意、羞惡しゅうおとは己があしきをじ人のあしきをにくむ意、辭讓じじょうとは、己より辭退し去りて人にこれをおし(推し)讓る意、是非ぜひとは、とし、とする意である。


 ・感は、物きたりて、心をうごかすことを云う。人性もと善なるがために、事物の感動するにしたがいて、四端の情が藹然あいぜんとしてあらわれいでる。至愚しぐ不肖ふしょうの者であるといえどもまた必ずこの意がおこるのである。この四句は、性があらわれて、情となることをいっている、性は情の體(体、本体)、しずかにして內にあり、情は性の用(作用)、うごいて外にあらわる。



 ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』による注 ー

 ・「本然」は、「本來自然」の義(意味)である。「しょ」は、いとぐちである、「端」の字義はそのような意味である。

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