「小學題辭」(2)

「小學題辭」

 げんこうていは、天道の常、仁義禮智は、人性のこう



 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・「元」は、はじまるである。「享」は、とおるである。「利」は、とぐるという意である。「貞」は、成るという意である。


 ・元亨利貞は、即ち天の道なり。四時の運行うんこう、萬物の生成せいせい、みなこれによっている、その、はじまり(元)、とおり(亨)、とげ(利)、なり(貞)て、なった時はまたはじまり、めぐりめぐりて萬古かわらないために常と云う。


 ・仁は、物をあわれみいつくしむ理である、義は、事をたち(断ち)さだめる理である、禮は、人をうやまい、法にかなうための理である、智は、よろずをわかちしる理である。


 ・性は即ち仁・義・禮・智を云う。人のもとよりうまれうけて、心にそなえたる道理である。けだし(思うに)天道がめぐりゆきて、萬物を生成するに、この氣がある時は、またこの理があって、二つの物は常にそれぞれはなれない、人の生ずること、氣はそれ形體となるために、この理もそれぞれしたがいて、心中にそなわる、是れが即ち性である。「仁」は「元」の理、「義」は「利」の理、「禮」は「亨」の理、「智」は「貞」の理である。綱は、あみ(網)のつな(綱)である。仁・義・禮・智は人の性であって、天下の萬善をかねていることあみ(網)のつな(綱)のようであって、目をすべ(統べ)たるがようであるがために「綱」と云う。この四句は、天道が人にそなわって、性となることをいっている、



 ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』による注 ー

 「元亨利貞」を「生物」にてとくこと。「生物」とは天地の間に生ずる物を云う。天道の大段は、四時の運行の、萬物を生成するにあればである。また人性は運行する(めぐる)物ではないけれども、即ち是れ天理なるためにわかちて云う時はまたおのおの天道にあたっている所がある。


「元者生物之始(元は生物のはじめ)」とは物がうまれてはじまるのである、春は萬物の始めである。また仁のあわれみいつくしむ意は、春の氣のやわらぎおだやかにして物がきざしめぐむがようである。


「享者生物之通(享は生物のとおる)」とは、物がひらけて通るのである、夏は萬物の通ることである。また禮のうやうやしく、かいつくろう意は、夏の氣のひらけあきらかにして、物のいろ(色)あや(彩)が外にあらわるるがようである。


「利者生物之遂(利は生物のすい)」とは、物がおさまりてぐるのである、秋は萬物の遂である。また義のたちさだむる意は秋の氣のすみおさまりて、物のみのる(稔る)がようである。


「貞者生物之成(貞は生物の成る)」とは、物がこもりてるのである、冬は萬物の成である、また智のわかちしる意は冬の氣のこもりしずみて、物のいろ(色)あや(彩)が內に入りふくむがようである。およそ智の分別は、皆なしずまり(沈まり)たる所より出でる。明鏡止水のよく物をてらすのは、是れそのためし(例)である。


「天理自然之本體」と云う、「體」はかたちである、「天理の本來のかたち」と云う義(意味)である。「本來」とは、即ち自然という義(意味)である。「溫和」は、「おだやか」である。「慈愛」は、「いつくしむ」である。「斷制」は「さだむる」である。「裁割」は、「たちきる」である。「恭敬」は、「うやまいつつしむ」である。「樽節」とは、「樽」は「おもむく」である、「節」は「法度」であり、つねに法度におもむくということである。說に云う、「樽」は「きりおさえる」義(意味)である、節は「ほどよくする」義(意味)である、と。分別は、「わかつ」である、としとすることを云う。この四字の註(注)に、「皆なその理なり」と云うのはおのおのその意のねざす所の理、心中にそなわるものを云う、性は即ち理であるからである。流行とは、「めぐりゆく」義(意味)である。「賦す」とは「しきくばる」義(意味)である。

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