「小學書題」(5)

「小學書題」

 風化ふうかの萬一におぎない有るに庶幾ちかからんとか云う


 淳熈じゅんき丁未ていび、三月朔旦さくたん晦菴かいあんだいす。


 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・「風」は、上のおしえを云う。「化」は、下の化するを云う。君がおしえをもって民を化すること、風の草木を生化するが如くであれば風化と云う。「云爾(か云う)」とは、「爾」はかくの如しと云う義(意味)である。云うこころは、「わが(我が)この書をつくりて、童子の講習をたすけること、上の風化の萬分の一をも、おぎなうことあるに、ちかかるべきか、その意趣はこういいたることである」ということである。以上の段々は、朱子がこの書をつくった意をといている。


ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』による注 ー

 ・「蒐索しゅうさく」は、もとむるということだ。「纂輯さんしゅう」は、あつめるということだ。「蒙昧」は、くらきということだ。「詩序」は、『詩經』の「大序」である。「語辭」とは、語をたすくることばである。「謙辭」とは、へりくだったことばである。吳氏は、海虞かいぐの吳氏、名はとくあざなは敏德びんとく思庵しあんと號す。明朝の人、『小學集解』(という書)をつくった、「繼絕學(絕學を繼ぐ)」とは、今の世に學習の法が絕えたのをつぐということである。


 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・按ずるに、朱子の『小學』の書、ここにただ童蒙にさずくとあればとて、成人の者よまざれ(よまないようにせよ)と(いうこと)にはあらず。年たく(く)るまで、小學の道をしらない者は、皆な童子と同じことであるので、諸書のはじめに、必ずまずこれをよむべきである。このために、始めて大學の道をまなぼうとする者はまずこの小學の書をよむべきであると、朱子もまたおしえられたのである。


 ・淳熙じゅんきは、宋の孝宗の年號、丁未ていびの歲は淳熙の十四年である。


 ・朔旦は、ついたち(一日)のあさ(朝)である、


 ・晦菴かいあんは、朱子のじゅうせられた、廬山ろざん雲谷うんこく草堂そうどうの名、ここには用いて號としている。朱子のあざなを元晦げんかいと云うによりて、みずか晦翁かいおうとも號せられたのである。題すとは、この書に題して、如此かくのごとくしるすということである。

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