「小學書題」(4)

「小學書題」

 ま其の全書、見つべからずとえども、かも傳記でんきまじいでる者また多し。讀む者、往往おうおうだ古今、よろしきをことにするを以て、これを行うことし、たえて知らず其の古今のことなること無き者、まことに未だ始めより行なうべからずんばあらざることをなり。今ますこぶる蒐輯しゅうしゅうして、以て此の書をつくり、之れを童蒙どうもうに授け、其の講習をたすく、


 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・今とは、朱子みずから宋の時をいっている。「其」とは、小學をさす。「全」は、まったきということである。いにしえの小學の法をしるせる書は、秦の世にやけうせて、今はその全部の書は見られぬのである。


 ・古人のつたしるせる書を、傳とも記とも云う。ここにては、『禮記』・『管子』等の書をさしている。小學の書の、はしばし(断片的に)のこりたるが、傳記の中に、まじわりいでたる者もまたおおい。


 ・「讀者」とは、傳記の中の小學の法をよむ者を云う。「往往おうおう」とは、多くはと云う義(意味)である、「古今異宜(古今、よろしきを異にす)」とは、いにしえの法、いにしえにはよろしくして、今にはよろしからざることを云う。


 ・「之」とは小學の法をさす。


 ・いにしえの法に、今にもよろしくして、ことなることなきものもある。


 ・その古・今のことなることなきものは、まことにもとより、今もおこなわれないということにあらない。このようであることを、たえてしる者がないということである。



 ー 『小學句讀』の注への『示蒙句解』の注 ー

 ・秦火とは、秦の始皇が、世の民はおろかにして、上をそしらせるべきでないがために、天下の經書をやきすてたということである。『管子』は、齊の管仲がつくった書である。



 ー 『示蒙句解』による注 ー

 ・「すこぶる」は、俗によほどと云う義(意味)である。「しゅう」は、もとむ(求める)、「しゅう」は、あつむる(集める)である。朱子は、今、すこぶる傳記の中にいでている、小學の古法の、今にもよろしきことを、かんがえもとめ、とりあつめられたということである。


 ・これ(前記の伝記に散逸していた小學の法)を以て、この『小學』の書・二篇をつくったのである。


 ・童は、わらわべ、蒙は、くらきということである。童子は智がくらきために、「童蒙どうもう」と云う。


 ・今の世(宋の時代)の童子がまなんで講習すベき法度ほっとがないために、この書をさずけ、その法として、講習の力をたすけるということである。

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